「てことはここも天道宗の結界の内側になるわけか」
神宮寺さんがフムと息をついて腕を組んだ。
私は泰雲堂の応接セットで神宮寺さんと向かい合っている。
宗方くんはカウンターに座っているがこちらに顔を向けて話を聞いている。
三谷建設でのヒアリングで天道宗の敷いたレイラインのことを知り、特殊な鎮物をした箇所をマーキングした地図をコピーさせてもらって、すぐに泰雲堂へと戻って神宮寺さんに報告をした。
「陣があるならどこかに傷をつけて破綻させるのが結界破りの定番だが、ビルの地下に埋められちまったものはすぐにどうこうできねえし、こりゃ参ったね。厄介な連中だわ」
呆れたようにため息をつく神宮寺さん。
「しかもそれを最低限の手間とコストでやってますからね。敵ながらあっぱれというか、もうほんとどうしたらいいのかなって感じです」
神宮寺さんの雰囲気に合わせて私の返答も投げやりな感じになる。
非常に軽い会話の調子だが、内容はぶっちゃけ手詰まり感すら漂っている。
「なんかピンとこないっすね。呪われてると言っても特に変な感じもしませんし」
宗方くんが素直な感想を述べる。
「ずっと昔から呪われてるんだから、何もないように感じるのも無理はねえさ。俺だって呪われてる実感なんてこれっぽっちもねえ」
だけどな、と言って続ける。
「陣が完成してるんなら、それは確実にこの国に影響を与えてるだろうな。本来なら死ぬ運命じゃない奴が死んだり、健康に生きられるはずの奴が病気になったり、そういう風に運命を捻じ曲げられた奴はいくらでもいるだろうさ」
「マジっすか」
神宮寺さんのにべもない言葉に宗方くんが目をまん丸にして呻いた。
「ああマジだ。陣ってのはそういうモンなんだよ」
そうだ。
呪われている実感が持てないだけで、私達はずっと呪いを受けてきたということだ。
そして現在進行形で今も呪われ続けている。
ピンときていない宗方くんの様子に危機感は感じられない。
それこそが呪いの悪質な点だ。
そして天道宗の狙いがそれだけであるとは思えない。
人知れず日本国を呪ってきました、だけで済む話ではないと、私の記者としての直感が訴えてくる。
「それで、どうするつもりなんだ?」
何かしらの案はあるんだろ?という感じで、神宮寺さんがニヤリと笑って私を見た。
見透かしているような態度にも嫌な感じはしないのが神宮寺さんの不思議なところだ。
私は胸の中にある欲求を曝け出すことにした。
「次のOH!カルトでとりあえず全部をぶちまけてみようと思います。情報を小出しにできるほど余裕があるわけじゃないですし、とにかく色々な人に知ってもらうのが一番じゃないかなと」
「いいのかい?」
間髪入れずに神宮寺さんが問いかけてくる。
「と言いますと?」
思わず問い返す。
「呪われてるのを周知させるってのは、呪いに手を貸すことと同じだろ?」
「…………」
神宮寺さんの意外な言葉に今度は私が目を丸くする。
そんなわけ…と思ったが、何かが頭の隅に引っかかる。
「どういうことっすか?」
言葉が出ない私の代わりに宗方くんが素直に疑問を口にする。
神宮寺さんはまた腕を組んでフムと息をついた。
「呪いの一番簡単な達成方法は、呪われてる当事者に呪いの事実を知らしめることだ」
そうか。
「丑の刻参りだ」
思わず出た呟きに神宮寺さんがパチンと指を鳴らして私を指差した。
「その通り。篠宮さんの影響力がデカければデカいほど呪いも拡散することになる」
たしかに。
「ちょ…ちょっとすいません。わかりません」
二人だけで納得する私と神宮寺さんに、宗方くんが申し訳なさそうに声をかけてくる。
「呪いの藁人形だよ。知ってるだろ?」
神宮寺さんが体ごと宗方くんの方に向き直って腕を組んだ。
「あ、はい。それはもちろん」
「夜中に神社の境内に忍び込んで御神木や樹齢の高い木に藁人形を打ち付ける。藁人形には呪う相手の髪の毛や爪、あるいは相手の名前を書いた紙なんかを埋め込むわけだ」
「あ、すいません。そこまでは知らなかったっす」
「んでそれを7日間続ければ憎い相手に呪いが掛かるってわけだ。ちなみに丑の刻参りをやってるところを誰かに見られると呪いは失敗するってことになってる」
丑の刻参りのやり方には地域によって様々な種類があるが、神宮寺さんの説明はまあメジャーなやり方だろうと思う。
だが話の本質はそこではない。
「7日間っすか。執念が半端ないっすね」
宗方くんが可笑しそうに言った。
神宮寺さんはフンと鼻を鳴らして続ける。
「呪いの藁人形なんて気持ち悪いもんを放置しとくわけにゃいかねえから、神社の連中は発見した藁人形を木から外して廃棄したりするんだが、神社とは関係ない奴が藁人形を持っていったりすることもある」
「え?……なんでそんなことを……」
「どこにでもいるだろ?うわさ好きのゴシップ野郎が」
そこで宗方くんはピンときたようだ。
「マジっすか」
「マジなんだよ。毎晩夜中にカンカン鳴らして釘を打ってれば誰かが気づくわけさ。んで周りの奴に『昨日の夜に神社でさ』って話をするわけ。そしたら面白がって藁人形を取りに行く奴も出てくるわな。んで中身を取り出すのさ」
「めちゃくちゃ悪趣味っすね」
「まあ今と違って娯楽のない時代なら格好のネタだろうさ。それで翌日には何人かが囁くようになる。『呪われてるのはアイツだ』ってな」
宗方くんが「うへえ」と変な声を出した。
「最悪っすね笑。マジで最悪の娯楽じゃないですか」
あちゃーとでもいうように宗方くんが頭を振る。
「オメーだって誰かに『昨日の夜に丑の刻参りやってたっぽい』って言われたら藁人形取りに行っちゃうだろ?」
「……行きますね。実際に手に取ったりはしないでしょうけど、見に行くのは間違いないっす」
「そういうこった。まあこれは藁人形の中に名前を書いた紙が入ってた場合のことだな。爪や髪の毛の場合は神社にコッソリ隠れて『誰が丑の刻参りをやってるか』を割り出して、ソイツの交友関係で呪われてる相手を想像したりもする。それで親切な奴が呪われてる当事者に『アンタ呪われてるよ』って教えてやることもあるわけだ。そうしたら当事者に呪いが伝わって、丑の刻参りは無事達成となる」
「え?なんでそこで達成なんですか?」
「そりゃオメー、アレだよ。呪われてると思ったらアレもコレも呪いのせいなんじゃないかって思っちゃうだろ?心が弱ければノセボ効果で体調を崩すこともある。呪った方からすれば呪いを伝えてくれた奴に感謝だよな」
「ノセボ?ってなんですか?」
「プラセボの反対だよ。オメーは薬屋でバイトしてんのにノセボ効果も知らねえのか」
「すいません。いやあ勉強不足で……」
宗方くんが首をすくめて頭を掻いた。
「『これは良く効く薬ですよ』って渡されたら飴玉だったとしても体調が良くなったりする。それがプラセボ。反対に『これは毒ですよ』と渡されたら飴玉だったとしても体調を崩しちまう。まあ実際には毒なんて言われて飲む奴はいないけどな。丑の刻参りのほとんどはノセボ効果だと思うよ」
「なるほどっすね。それで篠宮さんの記事が丑の刻参りってのは……ああそうか!」
宗方くんがようやく納得して叫んだ。
「国民の皆様、あなた方は大変な呪いをかけられてますよ、って記事を書いたら、天道宗の呪いを読者に伝えることになる。それで影響を受けちまう読者さんもいるだろうってことさ」
「そういうことっすか」
宗方くんがウンウンと頷いて納得を表現すると、神宮寺さんは改めて私に向き直った。
神宮寺さんのレクチャーを宗方くんが聞いている間に出した私の回答を求めて、神宮寺さんが私の目を見つめる。
『呪いを拡散させてもいいのかい?』という神宮寺さんの問いに、一息ついてから私ははっきりと答える。
「それでも天道宗のやってることを訴える必要はあると思ってます。呪われている側が呪いを跳ね返すには、どうしたって呪われている事実を受け止めないといけないですから」
それに、と間を置かずに続ける。
もし突っ込まれるにしても、その前に全てを言ってしまいたかった。
「天道宗の呪術がそれだけで終わるとは思えないんです。ヨミを使って世間の注目を集めるようなことをした以上、大々的に国民を脅すようなことまで考えていると私は思います。東京の中心を囲んでいる五芒星は確かにそれだけでも悪い作用をもたらしていると思いますけど、五芒星を使ってさらに別の大規模な呪術をしかけてくるんじゃないかって、どうしてもそんな気がするんです」
私の考えを聞いて神宮寺さんがフムと息をついて腕を組んだ。
「確かに。五芒星なんてどんな呪術にも使われるような基本の陣だからな。別の呪術を仕掛けるための布石だってのは正しい見方だろう。俺も篠宮さんの意見には賛成だ」
良かった。
もしも神宮寺さんに否定されてしまったらどうしようかと思ったが、どうやらそれはなさそうだ。
詰めていた息をフウと吐き出す。
けどな、と神宮寺さんが続ける。
「それでも陣として成立しちまってる以上、現在進行形で呪いが掛かってるのは間違いないんだ。それを隠すのか伝えるのか、その辺はしっかり考えてから決めようや。俺も一緒に考えるからさ」
そう言ってまた優しい笑みを浮かべる。
「……ありがとうございます」
不安に思っていた所にこの笑顔はズルい。
このオジサンは本当に私を口説くつもりなのだろうか。
若干の恥ずかしさを誤魔化すようにコホンと咳払いをして続ける。
「私としては全部ぶっちゃけたいと思ってますけど、ライターとしての欲求がそう思わせてるのかも知れませんし、そこは慎重になったほうがいいですね。編集長にも相談してみます。神宮寺さんも是非よろしくお願いします」
その私の言葉に神宮寺さんは「あいよ」と軽い返事をしてヒラヒラと手を振った。
それから私は与えられた部屋に篭って原稿を書きつつ編集長にLINEする。
程なくして編集長から電話が掛かってきて、私はかいつまんで天道宗の結界の現時点での影響と、これから行われるかもしれない大規模な呪術の可能性を伝えた。
編集長なりに悩んだようだが、出した結論は『黙ってるわけにはいかない。責任は俺が持つ』というものだった。
最近なにやら私の周りのオジサマが格好良くて嬉しくなってくる。
天道宗への危機感や姉の態度で暗い気持ちにもなるが、それでも私の周りには力になってくれる仲間がいる。
俄然やる気になった私はその日の深夜に渾身の原稿を完成させた。
明日これを神宮寺さんやみんなに見てもらって、それぞれの意見を聞きつつ最終的には私の判断で天道宗特集の第二弾が世に出る。
「…………」
多くの人を守らなければならない。
呪われていると知って過度に不安を覚える人を勇気づけなければならない。
ジローさんの怪談ナイトの責任問題とは比べ物にならない。
私が自分の意思で呪いを拡散するのだ。
そして同時に『恐れるな』と伝えるのだ。
例えば多くの丑の刻参りのように、ノセボ効果によって伝わる呪いを跳ね返す最善の方法は『気にしない』ことだ。
それこそ宗方くんが言ったように、今現在の私達は呪われている実感なんて感じていない。
今まで感じてこなかったものを過度に恐れる必要なんてないんだと強く訴えることで読者さんに与える不安をできる限り抑える。
その上で天道宗の敷いた結界がどのような呪術に使われるのか不明であり、それ次第では実際に被害が出る可能性もあると伝える。
呪いを過度に恐れるのではなく、邪悪な結界を敷いた奴らへの怒りを感じてもらうように書いたつもりだ。
多くの怒りを喚起することができれば、それはすなわち呪いの抑止にもつながる。
皆がそれぞれ神仏に頼って浄化や救いを祈るならば、その思いそのものが天道宗の呪詛を縛る鎖となるだろう。
深夜のテンションで若干気恥ずかしい表現もチラホラ見えるが、そんな強い言葉でOH!カルトを読んでくれる読者さんを煽るのだ。
もう一度殴りつけてやる。
ペンの力を最大限に使って天道宗の悪事を暴く。
書き上がった原稿を推敲しながら、私は深夜のテンションに身を任せ、夜中に一人でニヤニヤしていた。
翌日、若干の寝不足を感じつつ神宮寺さんと朝食を取る。
今朝のメニューはベーコンエッグとサラダ。
神宮寺さんの好みの焼き加減を把握していないため私の好みの硬さに仕上げた。
「いいねえこういうの、新婚みたいで」
目玉焼きの違和感に気をよくした神宮寺さんがいつも通りの軽口を叩く。
「はいはい。冷めないうちに食べてねおじいちゃん」
「介護かよ笑。嫁かと思ったらヘルパーさんだったってか。こりゃ俺もついにボケちまったかねえ笑」
軽口に軽口を返しながら食事をしていると、漠然とした不安を忘れることができる。
泰雲堂に身を寄せて本当に良かったと思った。
朝食後、神宮寺さんにはプリントアウトした原稿を渡して読んでもらい、それ以外の関係者にはメールで送って見てもらうよう連絡をした。
「いやあ、コレを読んじまったら出すのを控えるとか内容をどうとか言ってるのが馬鹿らしくなったよ」
原稿を読み終えた神宮寺さんが感心してため息をついた。
「凄えわ篠宮さん。ハリウッド映画に出てくるかっちょいい指揮官みたいな書きっぷりじゃん。コレ見てビビる奴なんてよっぽどの弱虫だけだろうな。むしろやる気を煽って呪いを跳ね除ける良い演説だよ」
深夜のテンションで書き上げた原稿には所々に『恐れるな』やら『立ち上がれ』みたいな格好良くて強い言葉が書いてある。
「普段はそういう言葉は使わないんですけどね。今回は内容が内容だけに強い言葉を使っちゃいました。胡散臭くならないように注意したつもりですけど、大丈夫でしたか?」
ともすると厨二病を発症したのかと疑われそうな言葉遣いだが、それ以外の部分はできる限りスマートに書いたつもりだ。
こればかりは読んでくれた人の印象を聞いてみるしかない。
「んー、大丈夫じゃねえかなあ。俺は別に胡散臭いとは思わなかったよ。むしろ力強くて勇気づけられる読者は多いと思うね」
「それなら良かったです」
そろそろバイトに来るだろう宗方くんにも読んでもらってワカモノの意見を聞いてみよう。
結局、和美さんや笠根さんほか、原稿を読んでもらった関係者の全員からOKをもらって、天道宗特集の第二弾は私の書いた状態のまま世に出ることとなった。
今回は前回よりもさらに部数を増やして、広告にもできる限りの予算を組んでもらい、SNSでの炎上を狙って芸能界のしょうもない不倫話やタブー話を別の編集部から融通してもらった。
今の私にできる全てを尽くして、月刊OH!カルトは発売された。
前回を上回る速度でSNS上で情報が拡散していくのを見てとりあえず一安心する。
前回の天道宗特集を記事提供したネットメディアがすぐに拡散してくれ、OH!カルト公式ウェブサイトのリアルタイムのアクセス数は過去最高の数値を出した。
「…………」
天道宗特集ページのコメント欄に次々にコメントが書き込まれ、ツイッターでのリプライやダイレクトメールは見る間にカウントを増やしていく。
明らかに前回よりも勢いよく燃えている。
とりあえずライターとしての仕事は無事完遂した。
今度こそなんらかのアクションを天道宗が起こしてくるのを期待したいところだ。
数日後、私はまたジローさんの番組にゲストとして呼ばれていた。
雑誌の宣伝と記事の解説を行うためだ。
今回は和美さんや笠根さんは不参加。
ゲスト出演は私だけだった。
「えー、本日の放送はですね、月刊OH!カルトさんの方で天道宗特集の第二弾が掲載されまして、それに乗っかってまた喋ってみようかなと思います。先週の放送でお越しいただいたOH!カルト編集者のSさんにも参加していただきます。Sさん、今日もよろしくお願いします」
ジローさんがマイクに向かってそう言いながら、私と目を合わせ軽く頭を下げてくる。
「よろしくお願いします」
私も「いつもより大きくハッキリ」を意識しながら挨拶をする。
ラジオということで多少は緊張しているが、天道宗の悪事を言葉で伝えられる場をもらったことでやる気はみなぎっている。
「今日は小林アナの代わりに初登場の柏木アナが担当します。柏木さん、よろしくお願いします」
その言葉に若い女性アナウンサーが頷いた。
「民明放送アナウンサーの柏木かなえです!よろしくお願いします」
元気よく挨拶する柏木アナにジローさんが続く。
「まあ柏木アナはこの番組初めてなんで、今日は俺の方で色々と進行しながらSさんと天道宗について深掘りしていければと思います」
小林アナは安全を考慮して番組から外れることとなった。
今後は民明放送の局アナやフリーのアナウンサーが持ち回りで原稿の読み上げなどを担当するらしい。
ジローさんと小林アナの掛け合いを楽しみにしていたリスナーさんには申し訳ないことだが、こればかりは仕方ない。
番組冒頭のさまざまな説明や告知をきれいに読み上げた柏木アナからジローさんが話を引き継ぐ。
「というわけでですね、今夜は怪談ナイトでも天道宗特集の第二弾をお届けします。Sさん、今回の特集の反響はどうですか?」
ここからが本番だ。
私は軽く息を吸って喋り始める。
「そうですね。予想していたよりも大きな反響が来ています。今のところ有力な情報提供とまではいかないんですけど、引き続き相談も集まってますし、まあ順調ですね」
「結構な勢いで炎上してるよね笑」
「はい笑。お陰様で苦情も応援もバンバン届いてます」
ふとジローさんが私から視線を外してマイクを見た。
「えー、リスナーのみんなもですね、是非とも情報の拡散にご協力ください。我々が騒げば騒ぐほど天道宗が動きにくくなると思いますので」
さて、とジローさんが話題を変える。
「今回の特集の内容なんですが、まあ凄いことになってたんだなっていうか、ぶっちゃけ『マジで?』って感じなんだけど」
結界のことだろう。
あの箱を鎮物(しずめもの)として地中に埋めて作られたレイライン。
特集では三谷建設の名前は出していない。
ただ『呪術によって霊を妖化させる箱で結界が作られていた』と説明してあるだけだ。
「残念ながらマジです。全てのポイントで裏が取れてます。間違いなく呪いの箱による結界が敷かれていました。そして箱を作っているのが天道宗。彼らによる大規模な呪術の下準備と捉えるのが合理的だと思いますよ」
特集の内容でも肝の部分を一息で言い切って、ジローさんの反応を待つ。
「その結界というのをリスナーさんに軽く説明してもらえますか?」
「はい。数ヶ月前の『心霊写真鑑定ライブ事件』で明らかになった、呪いの箱とその制作者である天道宗。その呪いの箱を五芒星の形に埋めることで結界を作っているのがわかったんです。五芒星というのは古今東西あらゆる呪術に利用されてきたメジャーな形でして、良い意味でも悪い意味でも使用されます。そんな五芒星が非常に正確な形で、皇居を中心とした半径10キロほどの規模で描かれていました。狙ってやらないとあそこまで正確に五芒星を描けませんから、偶然とかではないはずです」
若干早口になってしまったかもしれない。
リスナーさんにちゃんと伝わっただろうか。
「要するに星形の魔法陣ですね。非常に正確に描かれているので確信犯ですし、呪いの箱を使ってることから良いものであるはずがないと考えています」
今度はゆっくりハッキリ短く終わらせた。
「その結界?魔法陣?はすでにこの国に悪い影響を与えてるって書いてあったけど」
「はい。五芒星って陰陽道なんかでは魔除けの意味で使ったりするんですよ。安倍晴明とか有名ですよね。五芒星を描いたお札を玄関にペタッと貼っておくと悪いものが寄ってこない、みたいな」
「あーわかった。わかっちゃったよ」
うめくようにジローさんが合いの手を入れた。
私はその合いの手を受けて続ける。
「魔除けの反対、神除けですかね。そういった悪い影響は知らず知らずのうちに受けてきたんだろうなと。でもですよ?そこは特別恐れる必要はないって思ってます。結界の内側と言ってもそこら中に神社やお寺があって、私達を守ってくれているわけですから」
実際のところ神仏は能動的に私達を守護してくれるわけではないのだが、今は不安を与えない為にあえて大袈裟な方便を使った。
きちんとお参りをしてお祀りをして、何代にもわたって神仏との縁を強く持っている人なら鼻で笑う話だし、普段から神仏に関わってない人なら騙されてくれるだけでノセボ効果は軽減できるだろう。
「五芒星の結界自体は何年も前から存在していたわけですが、だからといってそれを知ったところで特別不幸になった人はいませんよね?雑誌を読んだ方からの苦情にもそんな内容のものはありませんでした。むしろ結界の存在を知ることで、逆に天道宗への怒りを感じて、その力が呪いを跳ね返すことにもつながると思っています」
なるほど、と頷くジローさん。
その後も雑誌の内容の解説や、拡散に協力して欲しいなどのお願いを繰り返しながら、リスナーさんから寄せられる質問に答えていった。
ふいにジローさんが眉を顰めて放送ブースの外にいる阿部さんにジェスチャーで何かを伝える。
阿部さんは大きく頷いてから、今度は柏木アナに何かを手振りで伝える。
私とジローさんの会話がひと段落ついたところで、ジローさんが柏木アナに目配せをした。
「それではここで一旦番組からのお知らせをお送りします!」
柏木アナの元気の良い声と共にCMが流れ始める。
ジローさんが手招きするので、席を立ってジローさんの元へ行く。
ジローさんが目前に置かれたノートパソコンを指差す。
「変なのがきてる」
そう言って私の前にノートパソコンを移動させる。
画面はどうやらTwitterのDMで、短いメッセージと画像が送られてきていた。
「…………!」
そのメッセージを見て息を呑んだ。
一瞬頭が真っ白になり、すぐに落ち着いてこの状況を理解する。
『こんばんは。天道宗です。証拠にリエとのツーショット送りますね(^^)』
という砕けた文面の下に、男女が肩を寄せ合う自撮り写真が続く。
男性の方の顔はスタンプで隠されているが、女性の方は顔がまるわかりだ。
これは……。
間違いない。
霊安室で録画した映像を検証している時に何度も見た丸山理恵さんだ。
照れたように微笑む表情は、霊安室で見た冷たい寝顔とは全然印象が違う。
それでも輪郭や鼻の形や唇の薄さなど、丸山理恵さんの特徴と全て一致している。
あのご遺体の生前の姿と言われて疑う余地はなかった。
「これは…マジのやつ?」
息を呑む私の様子にジローさんが声をかけてくる。
はい、とだけ答える。
後に続く言葉が出てこない。
これはなに?
なぜこのタイミングで接触してきたの?
この男がタツヤなの?
返信するべき?
それとも無視?
阿部さんがブースの外で大きく手を振っている
考え込んでいるうちにCMが終わるタイミングがきてしまったようだ。
「やりとり……してもいいですか?」
何も考えずに、思いついた言葉を言ってしまった。
「構わないよ。ノートは篠宮さんが使ってくれる?俺は番組のスマホで見るから」
そう言って私にノートパソコンを手渡してくる。
阿部さんが両手のひらをこちらに向けて何かを言っている。
残り10秒ということだろう。
急いで席に戻ってノートパソコンを目の前に設置する。
CMが開けて、ジローさんがマイクに向かって話しつつ、私にアイコンタクトで天道宗とやりとりをするよう促す。
ジローさんは天道宗特集の大まかな内容や、心霊写真鑑定ライブ事件を振り返る内容などを喋っている。
私がやりとりするための時間を稼いでくれるようだ。
「…………」
意を決してキーボードに手を添える。
何を伝えるべきだろうか。
『こんばんは。どういったご用件でしょうか?』
とにかく情報がない。
相手のペースに巻き込まれるのは避けたいが、今まで尻尾すら見せていない彼らとコンタクトを取れる機会を見逃すことはできない。
私の返信を待っていたかのように、すぐに新たなメッセージが表示された。
『番組中に申し訳ないですが、少しやりとりをさせてください。明日のお昼頃に取材を受けたいと思ってます。OH!カルトさんのご都合はいかがでしょうか?』
『明日は久しぶりにウチのトップが東京に揃うので、またとないチャンスです(^^)』
『高齢の先生は滅多なことでは地元から出てきませんのでσ(^_^;)』
立て続けにメッセージが送られてくる。
怪談ナイトのTwitterにも関わらず明らかに私に向けてのメッセージだ。
私がゲストで参加しているからこそ、このタイミングなのだろう。
明日の昼に取材?
いくらなんでも唐突にすぎる。
自分勝手な要求をしてくる天道宗への苛立ちと、ゲストにも関わらずジローさんに任せっきりにしている焦りとで思考が乱れてうまく考えがまとまらない。
『場所はどちらですか?』
とりあえずそれだけ返す。
少しでも考える時間が欲しい。
明日の昼?
私一人で行くの?
和美さんや笠根さんは来れる?
この時間に連絡して明日の昼に来てくれと頼む?
そもそも朝の早い僧侶である彼らは既に寝てしまっているだろう。
深夜一時に決まったことで翌日のお昼に都合をつけられる社会人は多くない。
神宮寺さんは来てくれるかもしれないが、嘉納や平野さんは無理かもしれない。
こちらが頭数を揃えられないタイミングを狙っての呼び出しなのだ。
『場所はOH!カルトさんの会社で大丈夫です。こちらから伺います』
『高齢の先生は明日の夕方には地元に帰っちゃうので、番組中に回答を貰えない場合は取材の提案を撤回させてください』
取材すること自体は是非もない。
ライターとしても私個人としても是非とも奴らの言い分を聞いてみたい。
仕事を誰かに代わってもらってでも天道宗への直接取材はなんとしてもやりたい。
焦りが頭の回転を鈍らせる。
さっきから質問や相談であろう番組TwitterのDMはひっきりなしに届いている。
リスナーさんからの質問に答える為に私が呼ばれたというのに、CM明けから私は黙ったままだ。
ジローさんと柏木アナが苦しそうに場を繋いでくれているのが聞こえてくる。
頭の中がぐるぐると回る。
私は若干パニックのようになっている自覚があった。
いつの間にか御守りを握りしめていた。
神様、神様、私の神様。
まとまらない頭で、神様に呼びかける。
神様が答えてくれることはないが、御守りの感触は勇気を与えてくれる。
『わかりました。明日の12時から民明書房の会議室を使えるようにしておきます。到着されましたら受付でOH!カルト編集部に取り次いでもらってください』
そう書いて送信する。
何がどうなるかわからない。
もしかしたら私一人で天道宗に向き合わなければいけないかもしれない。
それでも。
「…………」
改めて御守りを握る。
トクンと小さく御守りが脈打った気がした。
私は逃げない。
私はOH!カルトの編集者であり、天道宗の悪事に憤る1人の個人であり、ささやかながら神様の小間使いとして心霊に触れる訓練を受けた神社の娘だ。
向こうから来てくれるんなら逃げの選択肢なんてあるものか。
『ありがとうございます(^^)。それでは明日よろしくお願いします』
そう返信がきたので、私はこれ以上のやり取りはせず番組に戻ることにした。
顔文字がいちいちムカつくんだよ、クソ野郎。
心の中で毒づいてから深呼吸する。
3回繰り返したことで頭もスッキリしてきた。
ジローさんに顔を向けて頷くと、ホッとした顔で私に話を振ってきた。
「えー、それでですねSさん、リスナーのみんなから寄せられる質問の中で、天道宗はどうやって結界?魔法陣?を作ったのかっていうのが結構あるんですけど、それについてはどう思いますか?」
その質問に三谷建設の名前を出さないまま慎重に答えていく。
胸の奥に重く沈む不安を無視する為に、寄せられた質問への回答に集中していたら、あっという間に番組終了の時間がやってきた。
「えー、それでは今日も番組終了のお時間がやってきました」
ジローさんがいつも通りの言葉で番組終了の旨を伝える。
「みなさん是非ですね、今回の天道宗特集が掲載されている月刊OH!カルト最新号を買っていただいて、SNSや口コミなんかで情報の拡散にご協力ください。えー…俺達は天道宗の計画をぶち壊すんだという気持ちでいますから、どうかみなさんも応援してください」
ぐっ、とジローさんが言葉に詰まったような声を出した。
「心霊写真鑑定ライブの被害者の方々のためにもですね、俺達が仇を打つんだと…そう…俺は思っていますので、みなさんも是非ともご協力ください。よろしくお願いします」
そう言ってジローさんはマイクに向かって頭を下げた。
ジローさんがいまだに辛いのは先日の件からも理解しているつもりだ。
辛いのは、怖いのは私だけじゃない。
ノートパソコンに表示している番組Twitterにものすごい勢いで応援のリプライが来ている。
「…………」
伝わっている。
ジローさんの気持ちは確実にリスナーさんの心に届いている。
そのことが嬉しかったし、明日の不安に対する勇気をもらった気がした。
「それでは怪談ナイト、今夜はここまでです。また来週!」
「さよならー!」
涙声になるギリギリで番組を終わらせたジローさんに、元気な声で柏木アナが続いて放送は終わった。
「お疲れ様でした。ジローさん、さっきのDM、あれマジなんですかね」
放送ブースに入ってきた阿部さんが若干興奮した様子で言った。
阿部さん達も別のパソコンなりスマホなりでTwitterを確認していたのだろう。
「全然わからない。篠宮さん、どうだった?」
ジローさんが私に聞いてくる。
「マジでしたね。送られてきた画像の女性なんですけど、ヨミに取り憑かれて新宿で射殺された丸山理恵さんで間違いないです」
「てことは?」
ジローさんも阿部さんもいまいちピンときていないようだ。
「メッセージを送ってきたのは本物の天道宗で、しかもおそらく丸山理恵さんにヨミの霊を取り憑かせて、死に追いやった本人だと思います」
「…………」
ジローさんも阿部さんも次の言葉が出てこない。
あの軽薄なメッセージの文体と、丸山理恵さんを殺したという事実の乖離に戸惑っているのだろう。
「とにかく明日そいつと天道宗のトップと会いますんで、何かしらの情報を聞き出してみせますよ」
そう口にした途端、また胃の奥に重くのしかかる不安が首をもたげる。
この後すぐにみんなに連絡を入れるつもりだが、明日の昼にすぐ来てくれる人がどれほどいるだろうか。
番組が終わって今は午前3時ちょっと前。
流石に誰も起きてはいないだろう。
「わかりました。明日は俺オフなんで付き合いますよ」
私の言葉を受けて阿部さんがそう言った。
「いやいや、オフのところ悪いですし何より…危険ですよ」
非常にありがたい提案だが危険なものは危険だ。
「だってテロリストの親玉に直接インタビューするんでしょ?そんなもんカメラ持って行くに決まってるじゃないですか笑」
阿部さんが楽しそうに言う。
さも何でもなさそうに明るく振る舞っている。
「それに番組としてもここは是非とも動画で抑えたいですしね。心霊写真鑑定ライブで散々な目に遭わされた以上僕らも当事者です。とことんまで行ってみるのもアリだと思うんですよ。篠宮さん、ボディガードとしては頼りないとは思うんですけど、番組ディレクターとして同席することを許可してください。どうかお願いします」
そう言って頭を下げる。
「俺も参加するよ。俺も明日はもともと予定入れてないし。天道宗にやり返したい気持ちは俺も阿部ちゃんも一緒だから」
ジローさんが阿部さんに続く。
腹の底にじんわりと広がる温かい思いに目が潤みそうになる。
もう一度だけ断って、それでも言ってくれるなら。
「危険ですって。相手はヨミを作り上げて使役するようなとんでもない奴らなんですよ?」
これは一般人のジローさんや阿部さんには非常に恐ろしい事だろう。
私だって怖いのだ。
私一人ではあの箱のお祓いすら危険なのだから。
ジローさんは一瞬言葉に詰まり、言った。
「それでも。むしろそんな奴らに篠宮さん一人を向き合わせる方がマズいでしょ。他の霊能者さんだって朝イチで連絡して来れるかどうかわからないじゃない。もしも霊能者さんが揃うなら俺達は隅っこで撮影だけさせてもらうよ」
「そうそう。人間相手なら僕とジローさんで何とかしますんで、ヨミが出てきたら篠宮さんお願いします笑」
ジローさんの言葉に阿部さんが続く。
私は口をへの字にして涙を堪えている。
たっぷり10秒ほど固まって、私は頭を下げた。
「ありがとうございます。本当は怖いです。一緒に来てください」
しっかり踏ん張っていたはずなのに、頭を下げた拍子に涙が落ちて床にポタリと垂れた。
「だよね。俺が篠宮さんだったら逃げてるよ笑」
「僕もです笑」
ジローさんと阿部さんが努めて明るい雰囲気を作ってくれている。
私は顔を上げて目元を拭ってから、明日の集合予定などをジローさん達に伝えた。
翌朝9時。
民明書房のロビーには私と神宮寺さん、和美さん、ジローさん、阿部さんの5人が揃った。
笠根さんは住職の代理でどこかに行っているらしく不参加。
平野さんは家族で旅行に行ってるとのことで、連雀さんは連絡つかず。
嘉納に至っては普通に請求してきたので今回はお断りした。
まあ嘉納に関しては、いざという時にはまた母から連絡してもらうとして、今回は神宮寺さんがいるので戦力としては問題ないだろう。
ちなみに編集長は私に任せると言って逃げた。
何やかんやと準備をしていたら11時半を回っており、会議室に緊張感が漂い出した。
そして12時少し前という頃、来客を告げる旨のインターホンが鳴った。
第一部 完