振り返ってみれば一連の怪現象に悩まされたのはたった四日間の出来事だった。
あのビデオ編集の仕事をした日から数えると結構な日数になるのだが、伊賀野トク子の死を知り、寺社を巡って御守りやお札を集め始めたのはつい六日前のことだ。
「…………」
凄まじい四日間だった。
あの霊に翻弄され続けた四日間。
特に最期の二日間はキツかった。
木崎美佳の姿をしたアレにつきまとわれ、最悪なことに死人まで出てしまった。
「……………」
タッキーと伊賀野さんのお弟子さん達。
取り返しのつかない犠牲を思うと辛い。
しかし不謹慎だが、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、それでも俺はニンマリと緩む頰を引き締めることはしなかった。
開放感。
アレに悩まされることはもうなくなった。
解放されたのだ。
高尾山から帰った翌日は病院で検査を受け、その翌日久しぶりに出社した会社のデスクに座り、机の上に大量に貼り付けられた付箋を一つ一つ剥がしながらあくびをかみ殺す。
付箋に書かれてるのはどれも取引先の誰それから連絡あり、のような簡単な業務報告だった。
午前中に全ての相手にお詫びの電話を入れる。
季節外れのインフルエンザでしたと言えば大抵の場合は納得してくれた。
不在の間に溜まっていた雑務を全て片付け、午後は通院という名目で半休にしてもらった。
事実、アバラ骨にいくつかヒビが入っているらしい。
それほど痛みを感じないので大した影響はないが、運動は控えるようにとのことだった。
病院に到着し伊賀野さんのいる集中治療室へと向かう。
斎藤さんが見当たらないので誰にも断りを入れず集中治療室に侵入する。
見つかって怒られる前にさっさと報告を済ませてしまおう。
伊賀野さんは起きていた。
俺が来るのがわかっていたのだろうか。
一昨日と同じように点滴やチューブが繋がれ、包帯姿が痛々しい。
それでも目に宿る力強さは一昨日よりも強くなっている気がした。
その目が俺を見て、驚いたように見開かれた。
伊賀野さんの傍に立つ。
「終わりました。アレはもういません」
伊賀野さんの目が俺の背後や周囲を伺う。
そして再び俺の目を見て、俺の言っていることを事実だと確信したようだ。
「仇を、討ちましたよ」
お母さんの、お弟子さん達の、タッキーの、そして伊賀野さん自身の、仇を討った。
伊賀野さんがゆっくりと手を伸ばす。
その手を取り握手するように組む。
胸の前で手を組む男らしい握手の形だ。
「体が回復したら詳しくお話ししますが、今は簡単に説明しますね。アレはもう消滅しました。神様に食われたんです」
伊賀野さんの目が驚きの表情に変わり、続いて困惑する。
「昔、俺がガキの頃、山で神隠しに遭ったって話を覚えてますか?それ以来、山に入っちゃいけないと言われていたこと」
伊賀野さんが頷く。
「嘉納康明に相談に行ったら2000万よこせと言われたんで、嘉納を頼ることはできませんでした。それで、もうダメだとなって、山に登ったんです」
嘉納の話で伊賀野さんが眉を寄せる。
「そしたらガキの頃に出会った神様が現れて、いや違うな、俺が神様の所に呼ばれて、その神様とまた会ったんです。高尾山に入ってめちゃくちゃに走り回っていたら、いつのまにか故郷の山の中に移動させられてた感じですかね」
伊賀野さんの目が興味深そうに俺を見ている。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
「それで俺は最初死ぬつもりだったんです。アレに殺されるぐらいならせめて自分から死にたいと思って。それで神様に会いに行った」
伊賀野さんは俺を見つめたまま表情を変えない。
俺が死ぬつもりでいたことに気づいていたのだろうか。
「結果としては、神様は俺に取り憑いてるアレを食ってくれたんです」
伊賀野さんが少し顎をあげる。
「別に俺を助けるとか、そんな感じではなかったんですが、とにかく俺を食う前にアレを食った。生きたまま……でいいんですかね……霊なのに生きてるって言い方は変なんですが……まあとにかく、生きたままグチャグチャ食われてくアレの叫び声を聞かせたかったですよ。とにかく酷い死に方です。それでアレは欠片すら残さずきれいに食べられました。もうどこにもいないんです」
伊賀野さんが手に力を込めた。
ググッ…と力強く俺の手を握る。
目に光るものが見えたので、とどめの一言をかます。
「みんなの仇、ちゃんと取りましたよ」
伊賀野さんの目から涙がこぼれた。
悔しい時は泣かなかったのに、自分自身の手ではなくとも、みんなの仇を討てたことで涙を流す。
優しい人だな、そう思った。
「詳しいことは体が良くなってからしっかり説明しますんで、今日は結果だけで満足してください。俺はもう大丈夫なんで、安心して休んでくださいね」
そう言って、少し迷ったが伊賀野さんの涙をティッシュで拭って、俺は立ち上がった。
伊賀野さんは照れ臭そう手を振り、「ありがとう」と言った。
挨拶して集中治療室を出る。
タッキー達のお墓にお礼に行こうと思ったのだが、亡くなってからまだ2日しか経っていない。
遺体はお寺か病院か実家にあるのだろう。
あとで笠根さんに聞こう。
そうして俺は日常に戻った。
悔しいことにアレの映像が収録されたDVDの順位は六日経っても大した変化はなかった。
本物中の本物なんだぞ。
まったくみんな見る目がない。
まあ映像に映っている霊自体がもはや存在しないので、新たな祟りなど起こりようもないわけで、そういう意味で言えば中身のない空っぽの心霊映像とも言えるわけだ。
などとよくわからないことを考えていたら会社の電話が鳴った。
同僚が電話を取り、「前田ですね、少々お待ちください」と言って子機を俺に渡してきた。
「先輩に電話でした。なんか出版社だかなんだか」
なんだろうと思いつつ電話に出る。
「もしもし、お電話変わりました前田と申します」
受話器の向こうからは女性の声が聞こえてきた。
「あ、もしもしー、はじめましてー。わたくし民明書房でライターをやっております篠宮と申しますー」
「はあ」
「今回ですね、エグゼクティブプロモーションさんが発売された『本当にあった心霊映像100連発』の特集をウチの雑誌で組ませて頂くことになったんですね。それでエグゼクティブさんの方に取材させて頂いて、ディレクターさんから前田さんのお名前を伺って、ぜひともお話を聞きたくてお電話させていただいたんです」
あーなるほど。
あんまり売れ行きが良くないから広告を打ったのか。
売り上げノルマは達成したと聞いていたが、もう少し売り上げを伸ばしたいのだろう。
そのための取材か。
「はあ」
「それでですねー、ぜひ一度お会いさせて頂きたいんですが、ご都合はいかがでしょうか?」
「はあ、まあ、いいですよ、いつでも」
「ありがとうございます!それでは明日…などはいかがですか?」
「ああ、いいですよ、何時ぐらいですか?」
「お昼過ぎにお伺いさせていただきます!」
「ああ、わかりました、はい、はい、失礼します」
そういうわけでウチの会社にライターさんが来ることになった。
「マジ?先輩取材受けちゃうの?雑誌に載るわけ?」
同僚が電話の内容を察したらしく興奮している。
「まあねー。つってもどんな取材かわからないよ?蓋を開けてみたら『超つまらない心霊映像トップ10』とかかも知れないし」
「いやいやー。そんな内容でわざわざ会いに来ないでしょ。先輩、顔がにやけてるぞー?くふふ」
気色悪い笑顔を向ける同僚を無視してパソコンに向き合う。
「…………」
雑誌か。
DVDの販促記事だとしても、ちゃんとした紙面に載ったら親は喜んでくれるかもしれないな。
そんなことを考えながらその日は若干浮ついた感じで仕事を終えた。
翌日、写真を撮られることを見越してTシャツにジャケットを羽織って出社した俺を同僚が茶化してきた。
「あれー先輩どうしたんですかー?……そんなまともな服装を……ようやく社会人としての自覚が芽生えた感じ?……雑誌に出るからって?……涙ぐましい努力を…あう!」
同僚の額にバチコン!とデコピンをかまして自分のデスクに座る。
額を抑えて同僚が恨めしそうに呻く。
「ううー……やりやがったな……ちくしょう……」
「女の子がちくしょうなんて言ったらいけません」
なおもブツクサ言う同僚を放置して午前中にできる仕事を片付けておく。
どうせ今は大した仕事はない。
次の仕事の打ち合わせは週明けだから今日は雑務のみだ。
手早く作業を済ませるとちょうどインターホンが鳴った。
時刻は12時過ぎ。
予定通りライターさんが来社した。
《月刊OH!カルト》編集者 篠宮水無月
ライターさんが差し出した名刺にはそう印刷されていた。
クソみたいな名前の雑誌だなと思いつつ軽く談笑する。
この手のオカルト系雑誌は今まで積極的に避けてきたので詳しくはない。
この雑誌が有名なのかどうかも全くわからない。
「マニア向けジャンルですからねー。知る人ぞ知るって感じです。根強いファンがいますから時代に左右されないでそこそこの部数をキープしてます」
篠宮さんは長い髪をゆる巻きにしてまとめた感じのアクティブ系女子で、ジャケットにジーンズというラフなスタイルだった。
担当する雑誌はネット全盛の昨今でも発行部数がそれほど落ちない珍しい分野なのだそうだ。
「ウチは老舗ですが中堅から零細の間くらいの出版社でして、創業者の社長がおじいちゃんなんでネット関係は私達に丸投げなんですよ。だから雑誌とネットを連動させてうまく立ち回れるんですね。バックナンバーはネットでほぼほぼ見れちゃう、みたいな」
「へえ。そんなことして大丈夫なんですか?」
「今のところ大丈夫ですねー。雑誌買わないとわからないパスワードとか色々やって……」
「それで本題なんですが」
しばしの雑談を終えて篠宮さんが話題を本題にシフトする。
「今回エグゼクティブさんから特集のお話をいただいて、送ってもらったDVDを拝見したんですけど、本編はまあ、よくある心霊系だよねって感じだったんですけど」
篠宮さんの声のトーンが若干落ちる。
「最後のオマケ映像がびっくりするぐらいマジなやつで、あーこれ本物じゃんって」
なんと。
わかる人がいた。
「あれ伊賀野トク子さんですよね、5年前に亡くなった。私、編集のアシスタントしてた時に取材で会ったことあって、伊賀野トク子さんに。観てびっくりしましたよ。あの映像って、もしかしたら伊賀野さんが出演した最後の番組かもしれないって思って、もしそうならそういう売り出し方もできるかなって思ったんです」
篠宮さんは早口で一気に喋る。
ここまで食いつかれると流石に嬉しい気がした。
ディレクターにはスルーされたし、笠根さんや伊賀野さんにはDVDの売り出し方なんて不謹慎すぎて話題にできるはずがなかった。
そんな場合でもなかったしな。
「流石に故人をネタにするのはどうかと思いますけどね、その考えはよくわかります」
「ですよね!?まあ私もそこらへんはちゃんと弁えてますよ?紙面で大々的に故人をネタにしたら下手したら廃刊ですから。でもまあ、ネットで噂話を流したりすると良い意味で炎上するかなーとか、色々考えちゃうというか、まあ興味ありますね、単純に」
好奇心を隠そうともせずに話す篠宮さんは実に楽しそうだった。
実際に死んだ人を話題にしてるわけで、グレーゾーンのさらにブラック寄りのところを楽しんでいる。
オカルト雑誌のライターさんというのはそんなものなのだろうか。
まあ俺も他人事だったら楽しめたのかもしれない。
「それでエグゼクティブさんのディレクターの方にお話を伺ったんですね。色々と聞きたかったんですけど、ディレクターさん、なんというか、テキトーな感じで流されちゃって、それで詳しいことは前田さんに聞くようにって」
「ああ、そうなんですよ、あの人、すごい適当ですよね」
まったく。
せっかく広告を打ったんだからちゃんと仕事しろよ。
まあディレクター自身、何もわかってないから仕方ないっちゃ仕方ないんだけども。
「前田さんは伊賀野トク子が死んでるって知ってて編集したんですか?」
直球が飛んできた。
これからが取材の本番か。
「いや、まったく知らないで編集してましたよ。DVDが発売されて、それでAmazonのコメントに、死んだ人を見世物にするなっていう書き込みがあって、調べてみたら死んでたっていう感じですね」
なるほどーとメモをする篠宮さん。
テーブルに置いたレコーダーで会話は録音しているのだが、要所要所はちゃんとメモに残している。
「それで、DVDを観た限りでは無事に除霊は終わったように見えるんですけど、タレントの女性はそれきり活動してないんですよ。伊賀野トク子もその後に死んじゃってる。前田さん、どうなったかご存知です?」
「…………」
篠宮さんは知らないようだ。
当たり前だ。
木崎美佳は行方不明ということになっていた。
「…………」
話しても良いのだろうか。
頭のおかしい男だと思われるだろうか。
しかしあの映像を本物と言い切ったのは篠宮さんだし、何よりオカルトを専門にしているライターだ。
俺にはわからない知識もあるだろう。
伊賀野トク子にも会っている。
アレの正体がわかるかもしれない。
「前田さん?」
黙っている俺を訝しんだのか、篠宮さんが上目遣いに俺の顔を伺う。
「………えーと………凄い変な話なんですけど………笑いませんか?」
「もちろんですよ」
篠宮さんの目が光り、小鼻がプクッと膨らんだ。
ライターの勘だろうか。
話の流れから当然の反応だろうか。
ふと篠宮さんの後ろに目をやると、同僚が自分の机でパソコンに向かっているが、その手が動いていない。
聞く耳を立てているようだ。
当たり前か。
会社の同僚が取材を受けているのだ。
気にならない筈がない。
しかも話題が話題だしな。
「ちょっと、見てもらいたいものがあるんです」
応接セットから立ち上がり、篠宮さんに俺の机の前に来てもらう。
DVDには収録しなかったシーンも含めて説明しながら見せる。
篠宮さんは「おー、うわー」と言いながら映像に見入っている。
いつのまにか同僚が篠宮さんの後ろから一緒になってモニターを覗き込んでいる。
そして問題のシーン、木崎美佳が頭をグルリとまわしてカメラを見る瞬間に映像をストップさせて拡大する。
「怖わっ!なにこれ!」
同僚が声を上げる一方で篠宮さんは息を飲んでいる。
そして「ここ、ヤバイですねー」と言ってニヤリと笑った。
その後に起きたことを応接セットに戻って細かく説明した。
2時間以上かけて始めから終わりまでつぶさに話す。
もう何度も繰り返した説明の後に、どうやって解決したのかまでを話す。
嘉納康明にふっかけられた後のことを詳しく話すのは笠根さん以外には初めてだった。
質疑応答の後、篠宮さんはフーっとため息をついた。
「前田さん、凄いことになってたんですねー」
メモを取りながらそう言った。
「先輩、今の話マジ?」
「マジだよ。君も御守りが消えた時ここにいたでしょ」
「ええー?…………マジ…………?」
絶句する同僚から篠宮さんに向き直る。
篠宮さんはまだしきりにメモを取っていた。
「少し休憩しますか」
そう言ってお茶を入れ直して目の前に置いた。
「あ、どもー」
篠宮さんのメモが終わるまで数分、ほえーとかはえーとか言う同僚と適当に話をしていた。
「いやあ凄い……これ、ドえらいネタですよ前田さん!」
メモを取り終えた篠宮さんが声を上げる。
「ベテランの霊媒師でさえ叶わない悪霊に取り憑かれた編集者!生き残るためにイチかバチかの賭けに出て過去のトラウマと再会を果たす!いや~DVDよりこっちの方が全然話題になりますって!」
「いや、それだと今回の広告とは関係ない感じになっちゃいません?」
「たしかに!それはそれでチャチャっとまとめますんで、それとは別に集中連載ということで是非!ウチの雑誌で前田さんの特集を組ませてください!」
おお!と同僚が声を上げる。
なにやら変な展開になったと思いつつ返事をする。
「まあ、社長とかディレクターに了解取れれば。あとは関係者ですよね。実際に人が何人も亡くなってるんで」
「もちろんそこは完全にケアします。それに伊賀野庵の和美さんとも面識あるんですよ私。伊賀野トク子さんが亡くなった時に取材してるんで」
なんと、伊賀野さんとも繋がってたのか。
「そういうことなら、まあ、お任せしますよ。くれぐれも関係者に嫌な思いをさせないように注意してもらえれば」
「ですね!何をどこまで出していいのか、きっちり全部確認しますんで。前田さんにも逐一報告させていただきます。特に例の神様については前田さんも知りたいでしょう?」
「たしかに」
それは知りたい。
めちゃめちゃ知りたい。
「とにかくこれから会社に戻って準備します!前田さんの地元にも行かないといけないですし。楽しくなりそうだ」
篠宮さんが立ち上がって伸びをする。
んんーと声がしたので振り向くと同僚が篠宮さんと同じように伸びをしていた。
「何で君が興奮してんの」
「いやー!凄い展開!マジウケる!」
「ウケるのかよ。こっちは死ぬ寸前だったんだよ?」
「生きてんだからいいじゃん。それに雑誌で連載でしょ?先輩有名人じゃん!」
え?
「あの……実名は…出ませんよね?」
篠宮さんに聞く。
「あー……ダメ……ですよねやっぱり……」
篠宮さんが苦笑いしながら答える。
出す気だったのかよ。
「ダメに決まってるじゃないですか。他の人にも絶対迷惑かけないでくださいよ」
「わかってます。そこはもうバッチリ!」
人が良さそうにニカッと笑って胸を張る。
「………信用、しますからね」
そういうわけで、事の真相を巡る篠宮さんの取材の旅が始まった。
———のだが、それはここでは関係ないので割愛する。
結果が出たのは篠宮さんが初めて来社してから一週間ほど経ってからだった。
この一週間でほとんどわかったというのだからライターというのは大したものだ。
最初にわかったのはアレの正体だった。
「まずはアレの正体ですね。アレは一般的にオバケと呼ばれるモノではありませんでした。アレはいわゆる鬼。オニです。人が死んで化けて出たのではなく、最初から鬼として生まれた、主に山などに住む妖怪ですね」
鬼。オニ。オバケではない。
だからあんなに生々しい食われ方だったのか。
「鬼については古今東西、強いのも弱いのも良いのも悪いのもいます。古い記録は平安時代以前まで遡れます。安倍晴明とか有名ですよね。鬼とは元々大陸の方から渡ってきた概念で、向こうではオバケ全般を鬼と呼んだりしてます」
篠宮さんは淀みなく続ける。
「日本では仏教や陰陽道などの独自の発展と共に大陸の概念とは違う進化を遂げます。昔から存在していた化け物や怪異なんかを鬼と呼ぶようになるんですね」
メモを開いてはいるが読んでいない。
鬼については常識だと言わんばかりにそらんじている。
子供に教えるような雰囲気だ。
「どうして鬼だとわかったかというと、私自身が何度も見ているからです。笠根さんに取材して映像を見せてもらった時に一発でわかりましたし、念のためにあの映像を母のスマホに送って確認してもらいました。間違いなく鬼です」
「え?…いや…篠宮さんは…アレを見たこと、あるんですか?」
「ええ、ありますよ。ウチの実家は神社なんで、あの手の物の怪に憑かれた人がよく来ますから」
「いやいやいや、伊賀野さんも嘉納康明も知らない風でしたよ?」
「伊賀野和美さんは力はそれなりですが、ぶっちゃけ経験不足は否めないですからね。嘉納康明は多分気づいてたと思いますけど、クライアントでもないのに詳しく説明する気は無かったんじゃないでしょうか。ちなみに嘉納康明の本名は佐々木祐一といいます。インチキではないんですがお金に対する執着が凄いので、いつかトチって死ぬんじゃないかと思ってます」
あれ?……んんー?……
「ちょっと待って…そしたら…俺は…とっとと篠宮さんにお願いしてれば、あんなことにならなかったってことですか?」
「いやーそれも難しいと思いますよ。私らはそういう商売してないですし、伊賀野和美さんや嘉納康明もちゃんとした霊媒師なのは間違いないですから。ウチの実家も田舎のマイナー神社なんで知る人ぞ知るって感じですから。東京で鬼に憑かれたんで九州の篠宮に頼むか、とはならないと思います」
それに、と続ける。
実によく喋る。
「前田さんに憑いた鬼は結構ヤバめな奴だったと思いますよ。いくらなんでも伊賀野トク子から正体を隠し通すなんて頭が回りすぎますね。多分過去にも何人か霊媒師や陰陽師と戦ってるんじゃないでしょうか。事前情報がなかったら私でもヤバかったかも」
そう言って頷く。
伊賀野トク子の顔を立てたのだろうか。
それとも本心だろうか。
「和美さんに取材に行った時にそのことも話し合いました。ちなみに和美さんは面会できるようになってましたよ。すごい回復力だそうです。それで、さすがに鬼が正体を見せた時には伊賀野トク子も気づいていた筈ですが、時すでに遅しって感じでやられちゃったんでしょうね。鬼と霊とではやり方が違いますから」
「やり方?」
「鬼はあやふやながらもちゃんと生きてますからね。強制的に成仏させるなんてできるはずがない。せいぜい仏の功徳で追っ払うくらいですか。伊賀野トク子に霊だと誤認させた時点で鬼の優勢は決まってた訳です」
「和美さんはそれを?」
「知らなかったみたいですね。前田さんの除霊をした時もまるっきり霊だと思ってたわけですから」
まったく、とため息をついて続ける。
「伊賀野トク子が死んでからの和美さんは修行のために色々な霊媒師の助言をもらって回った訳ですが、だーれも鬼についての可能性を教えてあげなかったんですから酷いもんですよね。いくら和美さんの霊力が強くても不利な状況じゃあの鬼は厳しかった。霊媒師なんて所詮は商売敵の足を引っ張るどうしようもないヤツらだってことですよ」
顔をしかめて首を左右に振りながら吐き捨てるように言う。
聞いていて俺も腹が立ってきた。
息も絶え絶えの伊賀野さんの姿が目に浮かぶ。
伊賀野さんがああなることを承知で、実際に何人も死んでいる訳でそうなることも承知で、鬼かもしれないという情報を黙ってたってのか。
嘉納康明の顔が眼に浮かぶ。
クズ野郎だ。
他の霊媒師もあんな奴ばかりなのか。
不当だ。
霊に苦しめられている人間をクライアントとしか認識してないってのか。
金を払えずに死んでいくのも市場の原理だってか。
そんな奴らこそ死ねばいいのに。
「ムカつきますね」
どうにかそれだけ口に出た。
自分のデスクで聞き耳を立てている同僚が頷いたのが見えた。
「まあ鬼についてはそんな感じです。かなり強力な鬼がいて、それが前田さんに取り憑いた。問題はなぜ前田さんに取り憑いたのか、ですよね」
篠宮さんが話題をシフトする。
「そうです。そこが一番の問題です」
同意して先を促す。
篠宮さんは「えーと…」と言いながらメモをめくっていく。
「前田さんに憑いた鬼が山の神様に食べられちゃったその日、なんですが」
メモを指で追いながら話す。
「前田さんの故郷の町、○○町ですね。そこで昔、前田さんと一緒に山に入って帰ってこなかったA君とB君…のご両親が亡くなってました」
んん?
「私が行った時はちょうど葬儀の日だったんですが、参列した方に話を聞いたところ、どうもA君とB君のご両親は同じ時刻に亡くなってるんです。それぞれの自宅で……。ということはですよ?私が思うにどうもその人達、前田さんに呪いをかけていたんじゃないかと」
呪い…AとBのおじさんおばさんが?
俺のことを恨んでいる、とは聞いていたが。
「そんな昔のことを……今になって……?」
「いや、おそらく前田さんが町を出てからずっと呪ってたんじゃないですかね。悪いモノを呼び寄せて祟る感じのやつだと思います。でも前田さんが山にも入らず心霊関係にも近寄らないで自衛してたんで、呪いは発動することなく停止してた」
ずっと……。
その言葉にぞわっと鳥肌がたった。
「そんな状況が何年も続いて、それであのビデオですよ。前田さんがあの映像で木崎美佳さんと目があった気がして、それで前田さんにかけられた呪いが発動しちゃった。前田さんが鬼に見つかった訳ではなく、前田さんにかけられた呪いが鬼を引き寄せたんですね」
必死に理解しようとするが、いまいち上手く飲み込めないでいる俺を尻目に篠宮さんが話を続ける。
「それで前田さんの呪いが失敗しちゃったんで、自分達でかけた呪いが自分達に当たって死んじゃったと。状況証拠しかないですが、まあこれが一番筋が通るかなーと思いますよ」
「俺が見つけた…」
「前田さんにかけられた呪いが、ですよ」
「それがアレを……」
「呼び寄せた。前田さんのせいではありません。むしろまんま被害者です。それは変わりませんよ」
「それで…アレが死んだから……」
「A君とB君のご両親が亡くなった。自らかけた呪いの呪い返しでね」
「…………」
ため息しか出ない。
ようやく理解した。
つまりアレはAとBのおじさんおばさんが呼び寄せたんだ。
俺に取り憑くように。
「…………」
そこまで恨んでたのか。
理解はできる。
自分達の息子が帰ってこないで年長の俺だけが戻ったのだから。
恨みたい気持ちもあるだろう。
「…………」
だが納得はできない。
死ぬのが、あるいはあんな思いをしたのが当然だったなどと言わせはしない。
自業自得だ。
おじさんおばさんのことは覚えているけれど、俺を呪ってアレをけしかけてきたというのが本当ならば俺は許せない。
「…………」
だが彼らは死んだのだ。
俺を呪ったりしたから。
自分達に呪いが帰ってきた。
まさに自業自得だ。
「…………」
言葉が出てこない。
なんと言えば良いのかわからない。
「あああーーもーー!!!」
黙っていると同僚が突然叫んだ。
頭をガシガシと掻いている。
「なんなのそれ!逆恨みもいいとこじゃん!」
「まあ、そうですねー。完全に逆恨みです」
篠宮さんは逆に冷めた様子だ。
「死んで当然だよ!先輩のこと殺そうとしたんでしょ!?」
同僚は手をバタバタ振りながら続ける。
相当憤慨しているようだ。
「あー、まあ、なんだ、落ち着け」
「なによ!先輩は頭に来ないわけ?」
「いやいやめっちゃ腹立つよ。ありがとうそんなに怒ってくれて」
右手を軽く挙げて同僚に同意の意を示す。
なんと言っていいのかわからなかったから、同僚が代わりに怒りをぶちまけてくれて助かった。
言いたいことを言ってくれた。
それは素直に嬉しかった。
「腹立つのは間違いないけど、なんか実感がわかないんだよ。マジかーって感じで」
「本当ですよ?あの人達が前田さんを呪っていたのはほぼ確定です」
篠宮さんが合いの手を入れる。
「だから君がそんなに怒ってくれて助かった。言いたいこと言ってくれてありがとう」
「いや、なに……そんなに素直に言われると…なんだかなー……」
同僚は照れたのか、勢いを失って椅子に座った。
「まあそれでいいですよ。アレをけしかけてきたのはAとBの親で、失敗したから自分達が死んだ。もう誰も責められない。それでいい」
「前田さんがいいならこの問題は終わりです。あとは例の神様に関してですかね」
「ですね。そこもめっちゃ重要」
篠宮さんがメモをめくる。
「前田さんの地元に行った時に、山に入ろうとしたんですが、例の狐さんが待ち構えてました」
笠根さんが見ていた狐か。
「国道?県道?みたいな道路で山に向かって、ちょうど止めやすいところでタクシーに止まってもらって、山に入るかなーって考えてたんですけど、狐さんがこっち見てるのが見えて、あ、バレてるなと」
篠宮さんが淡々と続ける。
「一応対話を試みたんですけど、何を言っても反応なし。それで山にちょっとだけ入ろうとしたら、ウチの神様がやめとけーって言ってる気がして、それ以上は入れませんでした」
笠根さんがビビって病院に入って来れなかった狐。
やはりあの神様の使いなのか。
あるいは神様の仮の姿か。
篠宮さんがどんな力を持っているのかわからないが、それでも危険な狐には違いないようだ。
「だからここからは考察になります。調査報告としては若干弱い気もしますが、まあ聞いてください」
「ウチの母に事の顛末を説明して、それで例の神様についてどう思うかを聞いてみたんです。なので私の考察というよりは母の考察ですね。私を通してウチの神様もある程度は事情をわかってくれてるはずですから、その神様と母の言うことが今のところ最も信憑性があると思っています。母が直接前田さんとお話ししたいと言うので、今から電話しますね」
篠宮さんがスマホを取り出し電話をかける。
ここにきて新たな人物か。
しかも母とは。
実家が神社と言っていたな。
女性が神主なのだろうか。
「もしもし?お母さん?今から大丈夫?うん、うん、代わる?わかった」
そう言ってスマホを机の上に置き、スピーカーモードに切り替える。
「スピーカーにしたよ。みんなに聞こえるように」
続けてそう言うと、スマホのスピーカーから女性の声が流れ出た。
「あの……みーちゃん?……もう話してもいいの?」
「いいよー」
「えーと……もしもし、はじめまして。水無月の母の篠宮皐月と申します」
篠宮さんが目配せをしてくる。
電話の相手は俺に話しかけているようだ。
「も…もしもし、はじめましてお世話になります。前田と申します」
「前田さん、ですね。この度はとても辛い体験をなさったそうで、お見舞い申し上げます」
「ああ、これはご丁寧に、ありがとうございます」
「それでみーちゃ……水無月から聞いた限りで私にわかることを前田さんにご説明できればと思って、お電話で直接お話しさせていただくたことにしました。突然で失礼いたします」
「いえ、とんでもない。それで…ええと…お母様は何か、お分かりになったのでしょうか」
「はい。最初からご説明しますね。まず、前田さんの故郷の山にいらっしゃるのは、天垂血比売(アメノタラチヒメ)様という神様です。元はとある稲荷神社の比売神(ヒメガミ)で、五穀豊穣や山の実りをもたらして下さるありがたい神様です」
「はあ」
「それと同時に子供を神隠しにしてしまう神様でもあります。アメノタラチヒメ様を祀る地域では神隠しが起こりやすくなると聞いています。そういう神様です」
「はあ、なんだか、ありがたいんだか恐ろしいんだかわからない神様なんですね」
ふふ、と電話の向こうでかすかに微笑む声が聞こえた。
「神様というのはそういう御方が多いかもしれませんね。私達の生活を支えてくださると同時に一癖も二癖もある方がほとんどだと思います」
「子供を食うなんて悪い妖怪のような気もするんですが、本当に神様なんでしょうか」
「そうですね。アメノタラチヒメ様で間違いないと思います。子供を食べる悪い神様というのではなくて、神様のあり方として子供をお供えする必要がある、私達にとってはちょっと困った御方なのだと思います」
「ちょっとって……」
俺は食われかけたんだぞ。
「そんなこと言われても困っちゃいますよね。でも、神様は自然も人間も等しく扱われます。自然に身を寄せて人間を敵視する神様もいらっしゃいます。それでも神様は神様ですから、私達が神様のなさることをどうこう言うのは、あまり正しいことではないのです」
ふいに宮崎駿の映画が頭に浮かんだ。
「御社が消失して、新しい御社にタラチヒメ様が宿られなかったのは、私達の今の価値観に合わせてくださったのでしょう」
「どういうことでしょうか?」
「おそらくですが、前田さんの故郷ではかつて、タラチヒメ様に子供をお供えしていたのではないでしょうか。年に一度か十年に一度か、あるいはもっと頻繁に、定期的に子供をお供えしていたと思います。タラチヒメ様はそういう御方ですから」
そんな話は聞いたことがない。
「ですが時代の移り変わりとともに信仰心は科学と混ざり合って、それまでの儀式や習慣が迷信あるいはシャーマニズムという蔑称で呼ばれるようになっていって、神様に子供をお供えするのを避けるようになっていったのだと思います。これは他の地域の他の神様の場合でも同じことが起きていますから、間違いないと思います」
本当なのだろうか。
電話の相手は淡々と続ける。
「ですからタラチヒメ様は御社を捨てて、山をうろつく怖い神様としてご自分と人間との関わりを再構築した。お供えとして子供をいただくのではなく、山に入った子供を神隠しにしていただくことにしたのだと思います。御社を放棄したにもかかわらず山や川が荒れないのも、地滑りなどの自然災害が起きないのも、悪い霊が人里に降りてきて悪さをしないのも、タラチヒメ様がちゃんと神様としての役割を全うされているからですよ」
「子供を食わなければいいじゃないですか」
「神様にとっては野ウサギも人の子供も変わりませんから。子供が好きなんだと思います」
子供好き。
この場合は恐ろしい言葉だな。
「じゃあ、どうして俺を、助けてくれたんでしょうか」
「それは単に気まぐれというか、前田さんがタラチヒメ様の目に特別に見える何かがあったのかもしれませんね。穿った見方をすれば、神隠しの生き証人がいた方がいいと思っていらっしゃったのかもしれませんが」
「二度目は?先日も助けてもらったんですが」
「一度助けた子供がすぐ戻ってきたら、じゃあ食べようかとはならなかったんじゃないでしょうか。神様にとって10年20年なんてあっという間ですから」
前田さんは、と篠宮皐月さんが話題を振ってくる。
「ご自分の家の軒先で子供が泣いていたらどうしますか?」
「それは、どこかに連れて行きますね。親のいるところか、わからなければ警察に」
「そうですね。では、その子が翌日また前田さんの家の軒先で泣いていたら、今度は見捨てますか?」
「いや、前日と同じことをするでしょうね」
「そうですよね。一度助けたなら、すぐ同じことが起きたら同じようにしますよね。困った子だなと思うかもしれませんが、それでも一度目よりも積極的に助けますよね。タラチヒメ様も同じようになさったのだと思います」
それは理解できるな。
「もっと言えば、前田さんのお友達のご両親、亡くなった方達ですけど、その方達は前田さんを呪っていた。タラチヒメ様からしたら、せっかく助けた人間の子供を同じ人間が呪っているのですから、不可解だったでしょうし、不愉快だったと思います。子供達を神隠しにしたのはタラチヒメ様なのに、生きて返した子供を人間が殺そうとしてるなんて、タラチヒメ様に対する不敬ではないでしょうか」
不敬、不敬か。
神様がせっかく見逃した俺を殺そうとするのは、AとBの両親達が神様に喧嘩を売っている形になったのか。
「だから、俺を助けてくれたんでしょうか」
「はい。ずっと見ていらっしゃったんだと思います。御使いの狐さんの目を通して」
「それは…また…なんというか…」
ふふ、と笑う声がスピーカーから聞こえた。
「驚いちゃいましたか?ずっと怖がっていた神様が自分を見守ってくれていたなんて、いきなり言われてもすぐには信じられないですよね」
でも、と続ける。
「神様というのはとても恐ろしい御存在ですが、同時にとてもありがたい御存在でもあります。神様にとっては与えるのも奪うのも同じこと。子供を取って食べるのも、他の動物や自然のために必要なことかもしれません。私達は理解することはできないんです。人間のために神様がいらっしゃるのではなくて、この世界のために神様がいらっしゃるのですから」
なにやら難しくなってきた。
「もちろん私達と共にいることを喜んで、この世の全てに優先して私達に手助けをして下さる神様もいらっしゃいます。私達が御仕えしている神様もそのような御方です。もしよろしければ是非一度こちらにいらっしゃって下さいな。私達の可愛らしい神様をご紹介いたしますよ」
そう言って篠宮皐月さんは話を終えた。
「私からお伝えできるのはこのぐらいでしょうか。後は娘の水無月に任せますので、娘を頼ってくださって構いませんよ」
「いや、充分です。なんとなく全部わかった気がします。ありがとうございます。機会があれば是非お伺いさせて下さい。お礼をしたいので………」
そう言ったところで気がついた。
「あの、タラチヒメ…様にお礼をした方がいいですよね」
うふふっと小気味良い笑い声が聞こえた。
「お気持ちだけで充分だと思いますが、もし何かをしたいなら故郷の町にふるさと納税でもなさったら良いと思いますよ。タラチヒメ様にはお会いしない方がいいでしょう。ご自分の御言葉に従って今度こそ前田さんを食べちゃうかもしれませんから」
「あ…ああ、そうですか」
食われる可能性は消えないってことね。
どうやら今後も山とは無縁の人生が続くようだ。
「では、そのようにします。ふるさと納税ですね。今日は本当にありがとうございました。失礼します」
「はい。失礼いたします」
お互いにそう言って電話を切った。
くはー!と同僚が大きくため息をついた。
「なんなの今の人!凄くない!?なんであんなにわかってるの?」
篠宮さんがニッと笑う。
「母は特別ですからねー。なんか昔色々あって、ウチの神様に貸しがあるらしいんです。神様と仲が良すぎて普通に日常会話してますから」
「なにそれこわい」
「おっ、2ちゃん用語ですか?同僚さんオタク?」
「あれー?篠宮さんわかるクチ?」
「ほどほどにねー」
「…………」
いきなり会話から置いていかれた。
「あのー」
「ああ、すいません。前田さん、どうでしたか?」
「いやー、もう、なんというか、お腹いっぱいです」
ふふ、と篠宮さんが微笑んだ。
「まあそういうわけですから、一応これで取材は完了です。あとはこれをどういう記事にするかですけど、母のことは記事にしちゃいけないって言われてるんで、上手いことまとめないとですねー」
そう言ってメモとスマホをしまう。
ふと思い出した。
一つ気になることが残っていた。
「あのー、笠根さんが狐に脅されて病院とか山に入れなかったのって、なんでかわかりますか?」
立ち上がった篠宮さんに聞く。
篠宮さんはジャケットを羽織りながら応える。
「んー、単純にビビったんじゃないですか?なんとなくでも相手が神様ってわかったら畏れの心も湧いてくるでしょ」
そう言われて思わず吹き出した。
笠根さんらしい。
そう思った。
玄関を出て行く篠宮さんにお礼を言ってドアを閉める。
同僚とくだらないやり取りをしつつ笠根さんに連絡を入れる。
篠宮さんが記事の原稿を持ってくるのは数日後らしい。
それまでは仕事以外やるべきことはない。
全部終わったらすることは決まっている。
笠根さんと一緒に伊賀野さんの見舞いに行く、という口実で斎藤さんに会いに行こう。
晴れ晴れとした気待ちでデートに誘うのだ。
今の俺なら、怯えられることもないだろうから。
~終わり~