「ウチの母に事の顛末を説明して、それで例の神様についてどう思うかを聞いてみたんです。なので私の考察というよりは母の考察ですね。私を通してウチの神様もある程度は事情をわかってくれてるはずですから、その神様と母の言うことが今のところ最も信憑性があると思っています。母が直接前田さんとお話ししたいと言うので、今から電話しますね」
篠宮さんがスマホを取り出し電話をかける。
ここにきて新たな人物か。
しかも母とは。
実家が神社と言っていたな。
女性が神主なのだろうか。
「もしもし?お母さん?今から大丈夫?うん、うん、代わる?わかった」
そう言ってスマホを机の上に置き、スピーカーモードに切り替える。
「スピーカーにしたよ。みんなに聞こえるように」
続けてそう言うと、スマホのスピーカーから女性の声が流れ出た。
「あの……みーちゃん?……もう話してもいいの?」
「いいよー」
「えーと……もしもし、はじめまして。水無月の母の篠宮皐月と申します」
篠宮さんが目配せをしてくる。
電話の相手は俺に話しかけているようだ。
「も…もしもし、はじめましてお世話になります。前田と申します」
「前田さん、ですね。この度はとても辛い体験をなさったそうで、お見舞い申し上げます」
「ああ、これはご丁寧に、ありがとうございます」
「それでみーちゃ……水無月から聞いた限りで私にわかることを前田さんにご説明できればと思って、お電話で直接お話しさせていただくたことにしました。突然で失礼いたします」
「いえ、とんでもない。それで…ええと…お母様は何か、お分かりになったのでしょうか」
「はい。最初からご説明しますね。まず、前田さんの故郷の山にいらっしゃるのは、天垂血比売(アメノタラチヒメ)様という神様です。元はとある稲荷神社の比売神(ヒメガミ)で、五穀豊穣や山の実りをもたらして下さるありがたい神様です」
「はあ」
「それと同時に子供を神隠しにしてしまう神様でもあります。アメノタラチヒメ様を祀る地域では神隠しが起こりやすくなると聞いています。そういう神様です」
「はあ、なんだか、ありがたいんだか恐ろしいんだかわからない神様なんですね」
ふふ、と電話の向こうでかすかに微笑む声が聞こえた。
「神様というのはそういう御方が多いかもしれませんね。私達の生活を支えてくださると同時に一癖も二癖もある方がほとんどだと思います」
「子供を食うなんて悪い妖怪のような気もするんですが、本当に神様なんでしょうか」
「そうですね。アメノタラチヒメ様で間違いないと思います。子供を食べる悪い神様というのではなくて、神様のあり方として子供をお供えする必要がある、私達にとってはちょっと困った御方なのだと思います」
「ちょっとって……」
俺は食われかけたんだぞ。
「そんなこと言われても困っちゃいますよね。でも、神様は自然も人間も等しく扱われます。自然に身を寄せて人間を敵視する神様もいらっしゃいます。それでも神様は神様ですから、私達が神様のなさることをどうこう言うのは、あまり正しいことではないのです」
ふいに宮崎駿の映画が頭に浮かんだ。
「御社が消失して、新しい御社にタラチヒメ様が宿られなかったのは、私達の今の価値観に合わせてくださったのでしょう」
「どういうことでしょうか?」
「おそらくですが、前田さんの故郷ではかつて、タラチヒメ様に子供をお供えしていたのではないでしょうか。年に一度か十年に一度か、あるいはもっと頻繁に、定期的に子供をお供えしていたと思います。タラチヒメ様はそういう御方ですから」
そんな話は聞いたことがない。
「ですが時代の移り変わりとともに信仰心は科学と混ざり合って、それまでの儀式や習慣が迷信あるいはシャーマニズムという蔑称で呼ばれるようになっていって、神様に子供をお供えするのを避けるようになっていったのだと思います。これは他の地域の他の神様の場合でも同じことが起きていますから、間違いないと思います」
本当なのだろうか。
電話の相手は淡々と続ける。
「ですからタラチヒメ様は御社を捨てて、山をうろつく怖い神様としてご自分と人間との関わりを再構築した。お供えとして子供をいただくのではなく、山に入った子供を神隠しにしていただくことにしたのだと思います。御社を放棄したにもかかわらず山や川が荒れないのも、地滑りなどの自然災害が起きないのも、悪い霊が人里に降りてきて悪さをしないのも、タラチヒメ様がちゃんと神様としての役割を全うされているからですよ」
「子供を食わなければいいじゃないですか」
「神様にとっては野ウサギも人の子供も変わりませんから。子供が好きなんだと思います」
子供好き。
この場合は恐ろしい言葉だな。
「じゃあ、どうして俺を、助けてくれたんでしょうか」
「それは単に気まぐれというか、前田さんがタラチヒメ様の目に特別に見える何かがあったのかもしれませんね。穿った見方をすれば、神隠しの生き証人がいた方がいいと思っていらっしゃったのかもしれませんが」
「二度目は?先日も助けてもらったんですが」
「一度助けた子供がすぐ戻ってきたら、じゃあ食べようかとはならなかったんじゃないでしょうか。神様にとって10年20年なんてあっという間ですから」
前田さんは、と篠宮皐月さんが話題を振ってくる。
「ご自分の家の軒先で子供が泣いていたらどうしますか?」
「それは、どこかに連れて行きますね。親のいるところか、わからなければ警察に」
「そうですね。では、その子が翌日また前田さんの家の軒先で泣いていたら、今度は見捨てますか?」
「いや、前日と同じことをするでしょうね」
「そうですよね。一度助けたなら、すぐ同じことが起きたら同じようにしますよね。困った子だなと思うかもしれませんが、それでも一度目よりも積極的に助けますよね。タラチヒメ様も同じようになさったのだと思います」
それは理解できるな。
「もっと言えば、前田さんのお友達のご両親、亡くなった方達ですけど、その方達は前田さんを呪っていた。タラチヒメ様からしたら、せっかく助けた人間の子供を同じ人間が呪っているのですから、不可解だったでしょうし、不愉快だったと思います。子供達を神隠しにしたのはタラチヒメ様なのに、生きて返した子供を人間が殺そうとしてるなんて、タラチヒメ様に対する不敬ではないでしょうか」
不敬、不敬か。
神様がせっかく見逃した俺を殺そうとするのは、AとBの両親達が神様に喧嘩を売っている形になったのか。
「だから、俺を助けてくれたんでしょうか」
「はい。ずっと見ていらっしゃったんだと思います。御使いの狐さんの目を通して」
「それは…また…なんというか…」
ふふ、と笑う声がスピーカーから聞こえた。
「驚いちゃいましたか?ずっと怖がっていた神様が自分を見守ってくれていたなんて、いきなり言われてもすぐには信じられないですよね」
でも、と続ける。
「神様というのはとても恐ろしい御存在ですが、同時にとてもありがたい御存在でもあります。神様にとっては与えるのも奪うのも同じこと。子供を取って食べるのも、他の動物や自然のために必要なことかもしれません。私達は理解することはできないんです。人間のために神様がいらっしゃるのではなくて、この世界のために神様がいらっしゃるのですから」
なにやら難しくなってきた。
「もちろん私達と共にいることを喜んで、この世の全てに優先して私達に手助けをして下さる神様もいらっしゃいます。私達が御仕えしている神様もそのような御方です。もしよろしければ是非一度こちらにいらっしゃって下さいな。私達の可愛らしい神様をご紹介いたしますよ」
そう言って篠宮皐月さんは話を終えた。
「私からお伝えできるのはこのぐらいでしょうか。後は娘の水無月に任せますので、娘を頼ってくださって構いませんよ」
「いや、充分です。なんとなく全部わかった気がします。ありがとうございます。機会があれば是非お伺いさせて下さい。お礼をしたいので………」
そう言ったところで気がついた。
「あの、タラチヒメ…様にお礼をした方がいいですよね」
うふふっと小気味良い笑い声が聞こえた。
「お気持ちだけで充分だと思いますが、もし何かをしたいなら故郷の町にふるさと納税でもなさったら良いと思いますよ。タラチヒメ様にはお会いしない方がいいでしょう。ご自分の御言葉に従って今度こそ前田さんを食べちゃうかもしれませんから」
「あ…ああ、そうですか」
食われる可能性は消えないってことね。
どうやら今後も山とは無縁の人生が続くようだ。
「では、そのようにします。ふるさと納税ですね。今日は本当にありがとうございました。失礼します」
「はい。失礼いたします」
お互いにそう言って電話を切った。
くはー!と同僚が大きくため息をついた。
「なんなの今の人!凄くない!?なんであんなにわかってるの?」
篠宮さんがニッと笑う。
「母は特別ですからねー。なんか昔色々あって、ウチの神様に貸しがあるらしいんです。神様と仲が良すぎて普通に日常会話してますから」
「なにそれこわい」
「おっ、2ちゃん用語ですか?同僚さんオタク?」
「あれー?篠宮さんわかるクチ?」
「ほどほどにねー」
「…………」
いきなり会話から置いていかれた。
「あのー」
「ああ、すいません。前田さん、どうでしたか?」
「いやー、もう、なんというか、お腹いっぱいです」
ふふ、と篠宮さんが微笑んだ。
「まあそういうわけですから、一応これで取材は完了です。あとはこれをどういう記事にするかですけど、母のことは記事にしちゃいけないって言われてるんで、上手いことまとめないとですねー」
そう言ってメモとスマホをしまう。
ふと思い出した。
一つ気になることが残っていた。
「あのー、笠根さんが狐に脅されて病院とか山に入れなかったのって、なんでかわかりますか?」
立ち上がった篠宮さんに聞く。
篠宮さんはジャケットを羽織りながら応える。
「んー、単純にビビったんじゃないですか?なんとなくでも相手が神様ってわかったら畏れの心も湧いてくるでしょ」
そう言われて思わず吹き出した。
笠根さんらしい。
そう思った。
玄関を出て行く篠宮さんにお礼を言ってドアを閉める。
同僚とくだらないやり取りをしつつ笠根さんに連絡を入れる。
篠宮さんが記事の原稿を持ってくるのは数日後らしい。
それまでは仕事以外やるべきことはない。
全部終わったらすることは決まっている。
笠根さんと一緒に伊賀野さんの見舞いに行く、という口実で斎藤さんに会いに行こう。
晴れ晴れとした気待ちでデートに誘うのだ。
今の俺なら、怯えられることもないだろうから。