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「かなり古い話をします。私が子供の頃に体験した話です」
そう切り出した篠宮宮司が語ったのはにわかには信じられない話だった。
つい数十年前にこの町で起きたという超弩級の心霊災害。
100人を超える魂がより集まった猛烈な怨霊。
過去に類を見ないほど強烈な祟りで数十人が犠牲になったという。
その犠牲者のほとんどが「首くくり」の状態で見つかったと。
「…………」
口を挟むどころではない。
語られる内容を記憶に書き込むだけで精一杯だ。
頭の中が沸騰しそうなほどの勢いで情報が蓄積し、当時の情景や心情が語られるに従ってこちらの情緒もかき乱される。
ようやく篠宮宮司の話が終わると俺はすっかり疲れ切っていた。
畏れと安堵がぐちゃぐちゃになった精神状態で改めて皐月さんと篠宮宮司を見る。
この二人はなんという人生を生きてきたのか。
目の前で静かに笑い合う彼らがこうして生きているのが信じられない思いだった。
「どうぞこの町で体験した事は、数日間の不思議な体験として神谷さん個人の記憶に留めて下さい」
皐月さんが言った。
「もし誰かにこの話を伝えるのであれば、この町と同じで『おとぎ話』としてお使い下さい。今村町という特定の町の歴史ではなく、もう起きてはならない教訓として、昔こんなことがあったよと」
「はい」
皐月さんの目を見て俺ははっきりと言った。
「決して先人やこの町の人に好奇の目が向くような使い方はしません。そもそも誰に伝えるとかも考えてないですし。伝えるにしても面白おかしく伝えられるような話じゃないのがよくわかりました。心してまとめて、必要なら教訓話として誰かに伝えようと思います」
「はい」
皐月さんはにっこり笑って頷いた。
「でもせっかくこのお話を聞いたのなら、どうか忘れないであげて下さいね」
忘れない。
でも辛い記憶が鮮明すぎて口には出せない。
そのための『首くくりのオバケ』か。
俺はもう一度皐月さんと篠宮宮司の目を見て「はい」と言った。
それから俺は篠宮宮司からお祓いと旅の成功祈願の祈祷を受け、俺のなすべきことがわかるようにと激励された。
今村温泉に戻り風呂に浸かる。
まだうまく整理がつかない頭でこれまでのことを考える。
「…………」
多くの死が数えきれないほどの苦悩をこの町にもたらした。
その中心となった世代が先ほどの老人達だったのだ。
あの世代は親が死んだり子供が死んだり同世代の友人が死んだりと、被害のど真ん中でいつ終わるとも知れぬ恐怖に陥っていた。
それがようやく『ただの昔話』になったのだ。
何十年もかけて、なるべく痛みを感じないで語り継ぐために作り出したのが『首くくりのオバケ』。
それを俺がほじくり返したもんだからあんなに怒ったのだ。
「……怒るのも当然だよなあ」
ようやくたどり着いた真相と、その重さを理解せずに掘り返した気まずさにため息が出るが、それもフィールドワークだ。
人に見せることのないメモだとしても、今はこの情報をきちんと整理することだけを考えよう。
大浴場から出てフロントを通り過ぎる時、ロビーのソファに柳田神父が座っているのが見えた。
「神谷さん、どうも」
そう言って手を挙げる神父に会釈を返す。
近寄ると柳田神父の他にも何人かがソファに座っていた。
くじら飯店で俺を取り囲んだ老人達だった。
「神谷さん、ちょっと座って」
柳田神父に声をかけられ神父の隣に座る。
「平井さん達に事情を説明したら謝りたいっていうから連れてきたんだ」
老人達に目を向けると、平井と呼ばれた老人がいきなり頭を下げた。
「悪かった」
続いて他の老人達も頭を下げる。
「てっきりどこかの新聞か雑誌が面白おかしく記事にするために来たんだと思ってた。お兄さんの言い分も聞かずに取り囲んですまなかった」
平井老人が続ける。
他の老人達も口々に謝罪の言葉を口にする。
「いえ、僕も大変失礼なことをしていまして、申し訳ありません」
どちらかというと悪いのは俺だ。
寝た子を起こしている自覚はある。
「依頼されたとかじゃないんです。ただ調査するのが喜びなだけで」
「まあまあみんな座って」
柳田神父の言葉に改めてソファに腰を下ろした老人達に、俺は自己紹介とフィールドワークの良さを語って聞かせ、「変な趣味だな」と笑ってもらって手打ちとなった。
くじら飯店に移動してお礼とお詫びに酒をご馳走したら、平井さんほか数名が明日にでも当時の様子を語ってあげると約束してくれた。
今村温泉への帰り道を一人、夜風を感じながら歩く。
大通りに出たところで篠宮神社の鳥居を遠くに眺める。
篠宮神社で皐月さんに『釘を刺された』わけだが、その直後とも言えるタイミングで平井さん達がやってきた。
篠宮宮司から柳田神父に連絡が行ったとして、それで柳田神父が動いてくれたにしてもタイミングが良すぎる。
俺が篠宮神社で話を聞いている間に、柳田神父は平井さん達を説得していたのだろう。
皐月さんが俺に話をする前から、老人達との仲を取り持つ動きは起きていた。
あの痛ましい過去を語って釘まで刺したのに、なおも調査を後押しするような皐月さんの意図はなんなのか。
『もしもこの話を誰かに伝えるのであれば』と皐月さんは言った。
そうなるパターンまで視野に入れて、この先を調べることを許されている。
この違和感は嫌なものではない。
この土地にとってプラスになる何かが期待されているなら、全力で向き合いたいと気合を入れた。