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翌日、食堂にて朝食をいただいているといつもフロントにいるおっちゃんが声をかけてきた。
「お出かけの前にこの宿の昔の写真でも見て行きませんか」
そう言って古いアルバムを掲げてみせた。
「…………」
なんだこの展開は。
おそらく昨日の平井老人達とのやりとりを見ていたのだろうが。
「ありがとうございます。助かります」
是非もなくありがたく見させてもらうことにする。
「この写真わかりますか。この部屋ですよ」
そう言っておっちゃんは一枚の写真を指差した。
その写真と食堂の様子を見比べると確かに窓などの配置が一致している。
白黒の写真には、畳敷のこの部屋に集まり膝を抱えて怯えた顔をする人達が写っている。
「町中で変死体が見つかったり怪奇現象が続いていた時、山から動物が降りてきて散々悪さをしていったんですよ。あっちこっちでうなり声やら鳴き声やらガサガサいうのやら聞こえてましてね、みんなとにかく怖がってた」
他の写真もなぞるように示して説明する店主。
どれも白黒の中に怯えや絶望の顔が色濃く見える。
「不気味で、不安で、次は自分かもしれないって、一人になりたくないって、そうやって心を病んだ人達がウチに集まりましてね。大勢で生活して少しでも安心できるならって私の親父が迎え入れたんですよ」
目の下に大きなクマをこしらえた女性がカメラに向かって力無く笑う写真。
何人かの人達が正座して壁に向かって手を合わせている写真。
子供達が輪になって画用紙に絵を描いている写真。
色々な写真が思い出と共に語られていく。
「壁に向かって拝んでるでしょ。これ篠宮さんの方を向いて拝んでるんですよ」
食堂の壁を見ると、確かにその方角には篠宮神社がある。
「これちょうど皐月ちゃんが目を覚ました日でね、みんなボロボロボロボロ泣いて、泣き疲れて気を失うんですよ。そんで起きたら元どおり、泣きなが拝んでたなんで恥ずかしいことは覚えちゃいない。写真を撮った私の親父だけが覚えていたんです」
ページを捲ると一転して笑顔が咲き乱れるページだった。
「これいい顔してるでしょ。私のお袋なんですけどね」
そう言ってページを戻す。
「この写真と同じ場所で撮ってるんですよ」
目の下に大きなクマがある女性と、同じ場所で目の覚めるような笑顔の女性。
「同じ人物だってわからないでしょ?この笑ってる方が後に撮った写真なんですよ。怖いってんでウチに泊まりに来てそのまま親父と結婚して居付いちまった笑」
立派な母でしたよ、としんみり言うので暗い雰囲気になったが、「私まだ生きてるんだけどねえ」と言って食堂でテレビを見ていたお婆さんが振り返った。
くっくっくとおっちゃんが笑う。
「まったく」と言いながらお婆さんが立ち上がりこちらへやってきた。
どうやらおっちゃんはこういう性格らしい。
「あの時のこと話してんのか。そうかいそうかい」
お婆さんは俺のことを見てフムと一息ついてから俺の前に座った。
「あの時はもうダメだと思ったねえ」
そして話し始めた。
「考えてみぃ。山に入ったベテランが一人残らず首吊っちまって、小学校では死体が暴れてよ、あっちゃこっちゃで首吊ったのなんだのってもう大騒ぎだよ」
ほらそこの、と指を刺した先には窓の向こうに街灯が見える。
「あの街灯でも親子が首を吊ってたことがある。可哀想に親父が息子を吊るして、それから自分も首括ってよ。私が見つけた時にはもう動いてなかったねえ」
ここに集まった人達は寄り添って生活していたが、次第に精神を病んでしまう人が出始めた。
支え合う中でも日に日に人は少なくなり、とうとうお婆さんも夜に悪夢で首を吊る夢を見るようになってしまった。
「もう楽になっちまおうかって思ってよ。首吊ろうとした時に必死で止めてくれたのが亡くなったお父ちゃんよ」
お婆さんはそう言うとフームとため息をついて話を終えた。
そして「このバカたれ」と言って唐突におっちゃんの頭を叩いた。
教会に行くと平井さんほか数名が待っていて当時の話を聞かせてくれた。
今村温泉の親子のように当時の記憶は鮮明に残っており、ポツリポツリと当時の状況を話してくれた。
その後ユタ達に会いにいくとキヨさんが「話は聞いてるよ」と言ってレジ横の椅子を指し示した。
その椅子に座るとキヨさんが話し始めた。
「首吊り死体がたくさん出始めた頃には私らはまだこの町に呼ばれる前だったわけさ。呼ばれたのはちょうどカンヨメサーが一番大変だった頃ね」
その頃は篠宮神社も自分たちのことで精一杯だった。
「カトリックの人達が慰問で町中を回るようになったんだってよ。それまでは来るもの拒まずでやってたんだけど、怖くて家から出られない人もいっぱいいたわけさ。だから家まで来てくれるっていうのは嬉しかったよってみんな言ってるさ」
「お寺はお寺で死人が止まらないもんだから手一杯さ。私らもこの町にきてすぐの頃はわけもわからず慰問して話を聞いてたよ」
家々を回って相談に乗るのはキヨさんやキヨさんのお母さんの本業でもあったため、その時に沢山の人を助けることができたという。
それが今のこの店につながっていると。
そんな慰問の動きは広まっていき、各地から派遣されてきた僧侶や神職達も家々を回るようになった。
玄関先で祈祷をし、夜には持ち回りで集会を開いて誰もが孤独にならないようにした。
「それが今の集会につながってるわけさ。あの頃の必死の繋がりをみんなが覚えてるんだよ」
そしてこの地に派遣されてきた宗教関係者がいまだにこの町にいる理由だとも。
「不謹慎だけどね」
とキヨさんは前置きした。
「楽しかったと思うよ、宗教やってる人達は。もちろん当時はみんな必死で涙流しながらやってたわけさ。でも今にして思えばそれが宗教の本来の姿なんだって思うよ。誰かのためにさ、必要とされて、なくてはならない場所になっていくんだよ。そんな体験したもんだから、そりゃこの町に残って役に立ちたいと思うわけさ」
柳田神父や大迫住職にも話を聞いた。
宗教の源流に触れた経験だったと話してくれた。
それらの取材メモが収集つかなくなりそうになった頃、この町での滞在期日を迎えた。
最終日には全ての関係者を回ってお礼を伝え、くじら飯店で最後の焼きそばを食べて帰りのバスに乗った。
窓を過ぎ去る今村町の景色を眺めながら激動だったこの町での生活を振り返る。
篠宮神社の鳥居が見えたので最後に一礼して椅子に身を預ける。
この町が見た目ではわからない精神的な部分で災害を乗り越えた裏には、人々の必死の連帯があった。
その潤滑油あるいは接着剤として宗教が本領を発揮していた。
それが今に残っているからこその『信仰の見本市』。
見本市という言い方は良くないのだろう。
この町の歴史は見世物にしてはならない。
『首くくりのオバケ』あるいは『ククリ様』。
この伝承に関しては作り話でも例え話でも比喩表現でもない。
現実にこの町に被害をもたらしたナニかがベースになった町ぐるみの体験談だ。
怪異を情報生命体として捉えるならば、町中で起きる不可解な死の連鎖に、姿形は見えないが現象として人々に知られている状態だったと思われる。
ソレは一部の関係者以外には正体もわからず、傷跡だけを生活に残して今日に至る。
その反面で『首くくりのオバケ』と称されるフワッとした伝承には、『そういうことが確かにあった。そういうモノが存在した』という事実に対する大規模な例え話として実体を持つようになった。
情報生命体が存在する糧として『忘れ去られないことを目的とした』継承される話としてこの形に落ち着いている。
オバケという一個体の怪異に感じられるがそうではない。
町自体の怪異体験談であり、人や歴史そのものなのだろう。
『首くくりのオバケ』というより実際は『首くくりの町』ということになるだろうか。
つらつらとそんなことを考えていたら、バスの揺れが効いたのか眠くなってきた。
横須賀の某喫茶店にて。
マスターに相談して閉店後に場所を使わせてもらう。
手元には今村町でのフィールドワーク資料がまとめてある。
あの町での探索を終え色々と考えた。
どういった形でこの資料を世に出すか。
自分の考えはこうだ。
過去の惨劇が『首くくりのオバケ』として大衆に向けた昔話になったように、『首くくりのオバケ』を世間に向けた別の話として送り出す。
怪異は認識される事で姿形を変える情報生命体である。
都市伝説のように、有名になればなる程元ネタの部分より内容がその話の存在を象っていく。
現実に起きた事に対して興味を持ってもらうのではなく、創作として「こういう事が起きたら悲しい」という部分を作る事で、あの町のことをボカした普遍的なメッセージの怪談にならないだろうか。
そんな思いから、普段からお世話になっている怪談作家さんに声をかけ、マスターが聞き耳を立てる前でこれまでのフィールドワーク人生の全てを投入したプレゼンを行うのだ。
入り口がカランと音を立て作家さんが合流する。
席に着くや否や、目の前に辞書ほどの厚さがあるフィールドワークレポートをドスンと置くと怪談作家さんは表情を引きつらせて苦笑いを浮かべた
対照的に満面の笑みで資料を差し出す自分
その資料の表紙に書いてある題名は
~終わり~