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午前中に神社に行くのは仕事の邪魔になるかもしれないので、比較的暇なはずの午後に篠宮神社へ伺うこととして午前中は資料整理、昼食は相変わらずのくじら飯店で済ませることとした。
くじら飯店でおばちゃんに「神社で働いている小林さんに会いに行く」と言ったら首を傾げられた。
「そんな人いたっけねえ?」
おばちゃんの様子に小林さんはそれほど重要な役職ではないとわかり、気楽な観光になるかもしれないと安堵半分肩透かし半分の気持ちになった。
三日連続のランチ利用ということで半熟味玉をサービスしてもらえた。
くじら飯店を出て中央通りに立って山の方へ顔を向ける。
一直線に伸びる道路の先には大きな鳥居が立っていて、その奥に社殿が鎮座し裏側には山が聳えている。
山と町の境界に位置する神社。
この町で最も古く、町の成り立ちの根幹になっていると思われる神社。
バスターミナルから伸びる中央通りが真っ直ぐ篠宮神社へ向かっていることからもそれが伺える。
篠宮神社へ近づくにつれて街並みは古くなっていき、宗教施設や主要商店も中央通り沿いに多くが建てられている。
どこか遠慮しているというか、どの建物も神社を遠望する景観を損なわないように配置されている。
町ぐるみでの敬意が感じられるその光景は地元の川崎大師にも似たところがあるのでよくわかる。
時間をかけて中央通りから見える神社の景観を楽しみつつ篠宮神社へ。
鳥居をくぐったところで感じる「整っている」という感覚。
境内にある全てが「あるべくしてある」感じ。
どこの神社でも感じる感覚だが、この神社は後ろの山並みの迫力も手伝ってかその気配が強い。
神域。
そこに立ち入るという畏れの心が背筋を伸ばさせる。
まずはお参りしようと真っ直ぐ拝殿へ向かう。
手を合わせて心の中で自己紹介と産土様のお名前を伝える。
宮崎の山の神様、そして天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 (あめにきしくににきしあまつひたかひこほのににぎのみこと)様の氏子でございます。
本日はこの町の噂を聞き、興味が沸いたため足を運ばせて頂いております。
数日滞在しただけで氏神様の慈悲深さ、素晴らしさを感じております。
失礼な事は致しませんので、どうぞ残り数日もこの町の良さを享受させて頂きたく存じます。
お世話になっている拝み屋の先生に「どこの神社に行っても必ずやること」と言われている挨拶を述べて参拝を終える。
社務所へ移動して御守りを見てみる。
ネットで見つけたのと同じ御守りを発見してそれを購入する。
社務所のお姉さんに「あのう小林さんは…」と声をかけたところで肩をポンと叩かれた。
振り返ると神職の装束を着た小林さんが立っていた。
「あ、どうも」
まるで昨日とは違う凛とした小林さんの様子に面食らう。
「やあ、ようこそ神谷さん」
ニコニコしながらそう言った小林さんは、少しだけしてやったりという顔をしていた。
「はいこれ名刺」
そう言って差し出してきた名刺を受け取る。
「篠宮神社 宮司 篠宮慶宗」と書かれていた。
神主じゃん、とツッコミを入れそうになったが社務所のお姉さんが営業スマイルで俺達を見ているのでため息をつくだけにしておいた。
「こっち行きましょう」
そう言って小林さん改め篠宮宮司が歩き出したのでお姉さんに会釈して後を追う。
社務所の裏手から神社の奥へと歩いていく。
拝殿の裏の方まで行くと一人の女性が箒を手に立っているのが見えた。
「おーい」
篠宮宮司が声をかけると女性はこちらへ振り返り「はて?」と首を傾げた。
表情がわかるほどに近づくと女性は俺を見てペコリと頭を下げた。
女性が頭を上げたので俺も歩きながら頭を下げる。
「妻です」
そう言いながら奥様を手で指し示す篠宮宮司。
ということはこの人が。
「はじめまして。篠宮の妻の皐月と申します。ようこそおいでくださいました」
「あ、はじめまして。神谷と申します」
挨拶を返すがやや噛んでしまった。
「神谷さんですね、邇邇芸命(ににぎのみこと)さまの所からいらっしゃった」
「へ?」
思わず変な声が出た。
「ははあなるほどなるほど」
篠宮宮司が何やらニヤニヤしている。
「さっきお参りしてたでしょ?しっかり自己紹介してくださったんですね。感心感心」
そう言ってウンウンと頷く宮司。
「良い先生をお持ちですね」
続けて皐月さんに言われた瞬間、拝み屋の先生の顔が脳裏をよぎった。
「はあ…ええと」
訳のわからない展開に言葉が出ない俺の様子がおかしかったのか、篠宮宮司が吹き出した。
「びっくりしてる笑。妻はこういうのわかっちゃう系の人なんですよ」
「それはいいんですけど、なんで笑うんですか」
爆笑っぷりにちょっとイラッとして冷静になる。
「いやあ昨日のキリッとしたのと今のすっとぼけた顔のギャップが面白くてですね」
「いやいや、小林さんだっていきなりやられたら絶対こうなりますって」
「…小林さん?」
皐月さんがそう言って篠宮宮司を見た。
篠宮宮司はあちゃーという顔で皐月さんを見た後、恨めしそうな顔で俺を見た。
ああそうか、小林ってのは偽名か何かだ。
皐月さんに黙って飲み会に出たんだろう。
知らんがな、自業自得だ。
笑われてちょっとイラッとしたので良い気味だと思った。
「ゆっくりしていってくださいね」
皐月さんがそう言って俺に会釈し、篠宮宮司を引っ張って連れて行ってしまった。
篠宮宮司は肩を小さくしてペコペコしている。
皐月さんは本気で怒っているというよりプンプンしているといった様子で、実に仲の良い夫婦であるのが遠目からでも見て取れる。
「…………」
思いがけず一人にされてしまった。
あれが神嫁。
篠宮神社の奥さん。
あまりにも自然にポンポン言い当てられて面食らった。
俺をびびらせてやろうとか能力をひけらかそうというのではなく自然に口から出てくる感じだった。
自然体のまま俺の産土様や先生のことを見ていたんだろう。
言っても大丈夫だから言ってくれただけなのだ。
恐ろしいとも違う不思議な感覚を胸に抱きながら鳥居をくぐって境内を出る。
そこから見える町並みを見てこの神社がどういう存在なのかがわかった。
「…………」
鳥居の前の交差点を起点に全ての通りが放射状に広がっている。
そしてその通りから枝が伸びるように道が広がり、葉のように各施設や家々が存在している。
この神社を中心に据えて町が出来ていったのだろう。
パッと見ただけでそれがわかる。
階段の上からでないと見渡せなかったが、この神社から見る今村町はこうなっていたのか。
改めて振り返り社殿を眺める。
この景色を独り占めしているご祭神に改めて畏敬の念を覚える。
俺たちはそのおこぼれに預かっているに過ぎない。
「良い眺めですね」
思わず呟いて、しまった不敬だと思って深く頭を下げる。
不敬な発言申し訳ありません。
境内を散策させて頂いてありがとうございました。
失礼いたします。
心の中で辞去の挨拶を述べて頭を上げる。
鳥居をくぐるにしてはヤケに深く長いお辞儀だったが周りの人達に気にする様子はない。
改めて振り返り町の景色を眺めつつ階段を降りる。
山から吹いてきた風が全身を撫でて町へと吹き渡っていった。