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まだ夕方にもなっていないため午後は聞き込みをしようと決める。
篠宮神社からくじら飯店方面に向かいつつ、目についた商店や話しかけやすそうな立ち話に声をかける。
「こんにちは。この町すごく雰囲気が良いですね」
旅行者という立場を全面に出して声をかける。
ヘンな奴だと警戒されたら大人しく引き、うまく世間話に繋げられた場合はタイミングを見て本題を切り出してみる。
「この辺で伝わっている昔話を教えてくれませんか?」
これまでのフィールドワークと同じパターンで聞く。
「昔話ねえ」
と乗ってきてくれれば宗教の多様さや親密さを素直に褒めてから、
「この前ちょっと聞いたんですけど『良い子にしないと首くくりのオバケが来るよ』ってすごい言い回しですよね」
と繋げる。
「ああ、それね。そんなに変?」
大抵の人はその言い回し自体に違和感など感じないようでキョトンとする。
「やっぱり皆さん言われて育ったんですか?」
「そうだねえ。子供の頃はやたらと言われてたね」
「例えばもったいないオバケとかはテレビで流れてたからみんな知るようになったんですけど、首くくりのオバケに関してはこの辺の昔話とか絵本とか、そういうのがあるんですか?」
「……んー……ちょっとわかんないねえ」
目を逸らされた。
視線を下に落として顔をやや背ける。
明らかに「言いたくない」反応だ。
「そうですか。いや別に良いんです。そういう資料があるのかなと思っただけなんで。それはそうと、さっき篠宮神社さんに行ってきたんですけど、この町が見渡せる感じですごく良いですね」
食い下がっても仕方ないのであっさり話題を変える。
「ああ篠宮さん。そうだねえ、この町の象徴みたいなもんだからね」
そうするとあからさまに反応が普通に戻る。
「初詣はやっぱり篠宮神社に?」
「そりゃあそうだよ。他所からも結構くるよ。初詣と盆踊りはこのあたりの宿も駐車場もいっぱいになっちゃうんだから」
「へえ。それはすごい」
聞き込みは大体こんな感じで誰に聞いても知りたいことは出てこない。
午後をまるまる使っても『ククリ様』や『首くくりのオバケ』に関しては『みんな知ってるけど詳しいことはわからない(話したくない)』ということだけがわかった。
「そんなことを調べても何の得もないよ」
ユタ達にはもっと直接的に怒られてしまった。
「大人になった子供たちが、自分の子供にも同じ話がしやすい様に考えた作り話なわけ。よくある話さ」
「よその人があんまり聞いて回ることじゃないよ。若い人達は何も知らないし、年寄りはそんなこと聞かれても良い顔しないよ」
怒っているというより諌めている感じだが、はっきりと「これ以上はやめろ」という意思を示されてしまった。
「いやー。お寺とか神社とか観光は充分出来たんですけど、情報収集がイマイチうまく進まなくて」
夕方になって休憩がてらくじら飯店に立ち寄り、食事をしつつおばちゃんに愚痴る。
まだ酔客の少ない時間帯で、店内は新聞を読みながらビールを啜る人や、何時間前からいるんだろうという昼飲みの客がポツポツといるだけだ。
「そんなに歩き回ったの?」
おばちゃんが苦笑いで瓶ビールを出してくれる。
「昼に神社行ってそれから歩きっぱなし。いやあ疲れました」
ビールを注ぎつつ答える。
『ククリ様』に『首くくりのオバケ』。
篠宮宮司が言っていた『あまり思い出したくないけど忘れられない出来事』。
飛び込みの聞き取りでは何ひとつ成果はなかった。
「何を聞きたいって?」
そう声をかけられ振り向くと新聞から顔をあげた老人が俺を見ていた。
「ああ、ええとですね。僕はこういう旅先の文化とか歴史を調べるのが好きでして、色々聞いてたら『首くくりのオバケ』っていうのが出てきたんですよ。それで面白いなと思って成り立ちとか知りませんかって聞いてたんです」
居酒屋で情報を拾える場合は多いので、そういうパターンを想定して一息に要点を伝える。
「それを調べてどうするんだ?」
老人は真顔で、快も不快も表情からは読み取れない。
「いや、ただの趣味なんですけど」
「ただの趣味でこんなこと聞き回ったりしないだろ?どこにでもある昔話なんだから」
やばい、これは不快に思っているパターンだ、と思ったら老人が新聞を置いて立ち上がった。
「お兄さんテレビの人?新聞の人?」
言いつつ近寄ってくる。
俺は座ったまま老人に向き直る。
「前にもテレビでさ、この町のこと取り上げてもらって、迷惑な奴らもいっぱい来たんだよ」
老人が俺の前に立った。
「いや僕は趣味ですよ。取材とかではないですね」
「それを調べてどうするってんだよ」
老人は明らかに不機嫌な様子で圧をかけてくる。
その横にまた別の人影が立った。
「やめてって言ったらやめてくれるのかい」
年配の女性だった。
「その話はこの辺じゃ有名だけど、聞かれて気持ちの良い話じゃないんでねえ」
老女からは圧こそ感じないが咎めるような視線が痛い。
「昔話は昔話でいいんだよ」
また別の男性が目の前に立った。
「放って置いてくれんかねえ」
「ネットで書くのもやめてよね」
「ここで何するつもりなんだ?」
気がつけば数名の老人達に囲まれていた。
カウンター席に座る俺を老人達が囲んで口々に文句を言ってくる。
体力的に脱出は可能だろうが人の圧というのはなかなか迫力を感じる。
「ちょっと」
突然の事態におばちゃんが老人の輪の外から声をかけてくる。
「揉め事はダメだよ!平井のお爺ちゃん、ほら座って」
最初に俺に声をかけてきた老人の腕を引いて着席を促す。
「黙っといてくれんかねえ」
「あんたもこのお兄さんの肩を持つ立場じゃなかろうよ」
老人達はおばちゃんに顔を向けてそう言って、また俺に顔を戻す。
「あんた!ちょっと来て!」
「なんでえなんでえ」
おばちゃんの呼びかけに金髪の大将が厨房から出てくる。
囲まれる俺を見て「あちゃー」という顔をした。
「あー…爺さん達よお、このお兄さんは大丈夫だから。とりあえず大丈夫だから」
大将が俺の肩を叩いて老人達に頷く。
「何回かしか会ってないけど変な奴じゃないのはわかってるから。一旦落ち着いて話してくんねえかな」
老人達は大将の顔を見ている。
睨み合っているというよりは大将の仲裁で一旦鉾を納めた感じだ。
「こんにちはー」
入り口から声が掛けられ振り向くと篠宮宮司が店に入ってくるところだった。
神職の装束を着てパリッとした雰囲気のまま、にこやかに手を上げて挨拶をする。
「どうもどうも皆さん、お揃いで」
そのまま俺達の前まで歩いてくる。
「この人は大丈夫ですから、心配でしょうけどここは私にお任せいただいて」
大将の反対側に立って俺の肩を叩く。
「そういうことならまあ」
最初に突っかかってきた老人がペコリと頭を下げて退いた。
俺に下げたわけじゃなくて篠宮宮司や大将に気を使ったのだろう。
「神谷さん、ちょっともう一度ウチに来てくれますか」
篠宮宮司がそう言って俺を見る。
「あ、はい。ありがとうございます」
言いつつ立ち上がり、大将とおばちゃんにもお礼を言って会計する。
篠宮宮司に続いてくじら飯店を出ると店の前に車が止まっていた。
「乗ってください」
篠宮宮司が運転席に乗り込んだので、俺も助手席に座らせてもらう。
「嫌な思いさせてすいませんね」
車を発信させた篠宮宮司が言う。
「いえいえ、よくあることですし悪いのは僕の方なので」
余所者がセンシティブなことを聞いて回るのだ。
土地や内容によっては身の危険を感じたことも一度や二度ではない。
「そう言っていただけると助かります。あの人達はモロに被害を受けた世代なので」
そしてフムとため息をついて続ける。
「この町で『首くくりのオバケ』には二つの意味があります」
「一つは純粋に子供向けの脅し文句です。怖いでしょ?首くくり」
「はあ。そうですね」
首くくりという言葉の意味を子供が理解するかどうかはともかく。
「もう一つは自戒としての意味です」
どうやら本当の部分を教えてくれる気になったようだ。
「伝える義務があるから、忘れないために口にするんです」
篠宮神社に到着し、篠宮宮司の後ろに従って歩く。
社務所に通されるのかと思ったら、なんと拝殿に通された。
祈祷とか祭礼の時に使うのだろう、木の折りたたみ椅子が三つ。
祭壇から見て右側に二つ並び、左側に一つ向き合う形で置かれている。
左側のひとつを勧められて座ると小林さんは出て行った。
まもなく皐月さんとともに帰ってきて俺の向かいの椅子に座った。
「こんにちは。先ほどは失礼いたしました」
皐月さんはにこやかに言って頭を下げた。
「あ、いえいえとんでもないです」
俺も頭を下げる。
「怖い目に遭っちゃいましたか?」
皐月さんは笑顔で続ける。
「ええまあ、そうですね……すいません」
一応謝っておく。
「神谷さんが昔からそういう調べ物をしているのは氏神様から聞いています。この町に来たのも知りたいと思ったからで、何か悪さをしようとしている訳ではないのもわかります」
出た、スピリチュアル。
一体俺のことをどこまでわかっているのか。
嫌な気分ではないが恐ろしいような気まずいような気はする。
「隠した方がいいこともありますが、せっかくこうして来てくれたのだし、お話しできることはお話ししようと、主人と話して決めました」
皐月さんはチラと祭壇に目をやって俺に目を戻した。
「ウチの神様もそれでいいと仰っているので、聞いてくださいね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたが、俺の内心は穏やかではない。
神様がそう言ってる。
祭壇の目の前で、神様も了承の上で、その話を聞けという。
「…………」
恐ろしいことだ。
話の内容によっては聞くだけで死んだりする可能性もあるんじゃないのか?
あるいは町から出られなくなるとか。
神様の理屈でどんなペナルティを課せられるかわかったもんじゃない。
それに先ほど、拝殿に案内された時。
篠宮宮司に言われるままに椅子に座った訳だが、二礼とか二拍手とかしてないんだが不敬じゃないのか?
俺は大丈夫なのか?
まさか殺すつもりで呼んだ訳じゃないと信じたいが。
「大丈夫ですよ」
クスクスと笑いながら皐月さんが言った。
「取って食おうという訳ではないので、いつも通りにしていてください」
「あ、ああはい。ありがとうございます」
見透かされている。
「少し長くなるのですが、録音するなら録音なさっていただいて構いませんよ」
アシストまでされている。
俺は礼を言ってスマホを取り出し録音アプリを起動する。
「すいませんもう大丈夫です。よろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げた。
そして俺はこの町で起きた大災害とも言える事件の話を聞いた。