本編
Nさんという女性に起きた異変を紹介する。
昔からさまざまな霊体験に悩まされてきたという彼女は、本人が気づきもしないうちに取り憑かれることもよくあったという。
今回の場合も彼女の母が異変に気づき、知り合いの霊能者に相談したことで認知されることとなった。
ある日Nさんは自宅でテレビを見ている時に髪の毛をいじっていた。
その様子が普段しないような仕草、いわゆる女性らしさを全面に押し出したようなものだったので彼女の母親はそれを訝しんだ。
またある日、食卓についたNさんは椅子に立膝をして座った。母親が行儀が悪いと注意すると彼女は顎を上げて早く飯をよそえと悪態をついたという。
娘の霊媒体質を心配していた母親は、これはまた何かに取り憑かれたか影響を受けたのだろうと考え、かねてから相談していた霊能者を頼ることにした。
霊能者に電話をかけると母親ひとりで来るようにと指示された。Nさんが学校に行っている間に母親ひとりで霊能者の自宅へと伺うと、あらかた霊視は終わっていると言われた。
霊能者によるとNさんには二体の稲荷が憑いているということだった。母親から電話を受けた時点である程度は気づいており、詳しく霊視をして確信を得たという。
憑いているのが稲荷である以上、安易にお祓いするわけにはいかない、お祓いできない以上直接会うのも避けたいと判断して、母親ひとりで来るように要請したとのことだった。
「どうしてお祓いができないのでしょうか」
娘の現状に切羽詰まっていた母親は霊能者を問いただした。
「稲荷は祈祷して祓おうとすると危ない。体を持っていかれるから」
と霊能者は答えた。無理やりに引き剥がそうとすると命を落とすこともあるのだという。
そして霊能者は娘に憑いたという稲荷の特徴と対処法を母親に伝授した。娘に憑いたのはオスとメスの二体で、それぞれの特徴が出ているときは娘の体は操られている状態であり、娘本人には何の自覚もないだろうから気がついて対処するのは難しいと。
霊能者から言われた通り母親は酒と油揚げを大量に購入して自宅へと戻った。
その夜もオスの特徴が出ていたため、霊能者の指示通りに娘の前に酒瓶とグラスを置き、「どうぞお飲みください」と言った。娘は「いらない」と首を振ったが、母親は無視して娘の前の酒をそのままに食事を始めた。
またある時メスの特徴が出た時には、夕食に油揚げの味噌汁と油揚げの巾着煮を作って出した。娘はそれを嫌がって別の料理を出すように言ったが、母親はそれを無視して自分だけ黙々と食事を続けた。
なぜ嫌がるのかは不明だが、そうすることで稲荷の力を抑えられるから根気強く続けるようにという霊能者の言葉を信じてそれを続けた。
オスには酒を飲むよう勧め、メスには油揚げづくしの料理を出す。母親と稲荷の攻防をNさんは全く自覚しておらず、「お母さんがお酒と油揚げにハマっていた」としか思っていなかったという。
やがて二体の稲荷はNさんから離れることになるのだが、その期間中に彼女が学校で撮ったという写真を母親に見せたことがある。学友達とピースをしている彼女の顔は明らかに吊り目になっており、黒目が真っ赤に変色していたという。隣の友人達の目は普通の黒なので彼女も友人達も気味悪がっていたという。
考察&ネタばらしパート ※ふかもっこ視点
以上の体験談を聞いた私は考えた。果たしてNさんに取り憑いたという存在は本当に稲荷だったのか。稲荷とは文字通り稲荷神であり、その眷属である狐のことまで俗称としてお稲荷様と呼ぶのもわからない話ではない。現代と違いかつて隅々まで知識が行き渡っていなかった頃には、狐憑きを称して「お稲荷様の祟り」と呼ぶこともあったのだろう。
件の霊能者がどういうつもりで「稲荷」という表現を用いたのかは不明だが、素人にわかりやすく使用したならそれも間違った行為とは言い切れない。
ではNさんに取り憑いたものとはなんだったのか。
もしも仮に本当に稲荷神あるいはその眷属の狐が取り憑いたのだとしたら、それはもはや神罰とか加護とかいう高次元の話であり、前者ならNさんに起きた現象がヌルすぎるし、後者ならありがたい話でNさんのように異常な行動につながるはずがない。
私は件の霊能者の連絡先をNさんに聞き、思い切ってアポを取ってみることにした。指定された日時に霊能者の自宅へと向かう。待ち構えていたのは50代と思しき主婦だった。
「Nちゃんの場合は狐っぽくはあったけど稲荷とは違うから、放っておけば離れていくと思ったのね。でもそれじゃご家族は安心しないでしょう?だからおまじないとして狐落としの方法を教えたわけ」
ミズノさんはあっけらかんとそう言った。
「…………」
言葉が出なかった。疑問や不満が頭の中に続々と浮かんでくる。ではなぜ稲荷と言ったのか。詐欺ではないのか。いやそもそもお金を取って霊視したとも聞いていないので、詐欺だとしても私が糾弾するのはお門違いな気もする。
「ちゃんと落とせたんだから細かいことまで気にしてもしょうがないよ」
悪びれもせずそう言うミズノさんに何か言ってやりたい気持ちはあったが、なんと言っていいのかわからない。微妙な顔をした私を見て何か思ったのか、ミズノさんは箪笥の引き出しから紙袋を持ってきて私の対面に座った。
「本当に稲荷に祟られたらこうなるのよ」
そう言ってミズノさんは数枚の写真を紙袋から取り出した。それらは墓参りの際に撮影したと思われる墓石のみを正面から写した写真と、自宅と思われる家の前に並んだ家族の集合写真だった。
「一年と経たずに一家は全滅。神様って怒らせるとこうだから」
家族写真と墓石の写真、一家は全滅。その事実に私は背筋が冷えていくのを感じた。
「こういうのを期待したんでしょう?でもNちゃんの場合はそんなに深刻な話じゃないから、心配しなくても大丈夫よ」
肩透かしを食った私を揶揄しつつミズノさんは写真を紙袋にしまった。
結局のところ、Nさんに取り憑いていたのは動物霊の類で間違いないが、狐かどうかも定かではないという。
「稲荷をお祓いすると体が持っていかれるというのは?」
モヤモヤする気持ちを晴らしたくて私はミズノさんの言葉尻を捕らえることにした。なんでわざわざ脅かすようなことまで言って、Nさんに取り憑いたものが稲荷であると思わせたのか。
「それは本当の眷属だった場合の話よ。神様や眷属のやることを邪魔すると本人どころか私までタダじゃ済まないからね」
「…………」
要するにミズノさんはサービス精神の延長で「稲荷が憑いている」と言ったのだろう。「動物霊だから放っておけ」と言ってもNさんの母親は安心できなかっただろうことも想像はできる。
嘘も方便とはいうが、人騒がせにも程があるだろう。
お礼を言ってから用意していたわずかばかりの相談料を払おうとしたら、ミズノさんは「いらないから」と手を振った。何もしていないのだから金はいらないという。
肩透かしを食った気分で駅までの道を歩いていたら、住宅の合間に小さな祠があるのが目に入った。お稲荷様かと思って手を合わせるかどうか考える。その瞬間、墓石と一家の写真が脳裏に浮かんで、私はそのまま祠を素通りしてしまった。
触らぬ神に祟りなし。お稲荷様の祟りじゃなくてガッカリしている気分で手を合わせたりしたら、それこそ私がお稲荷様の不興を買いかねない。お参りするならちゃんとした動機でしようと心に決め、私は振り返らずに足早でその場を立ち去った。