土曜日の深夜0時。
三ツ葉の部屋で私達はラジオのスイッチを入れた。
部長のタブレット、私の家から持ってきた古いラジカセ、三ツ葉がご近所さんから借りてきたという年代物の携帯ラジオ、三ツ葉のお姉ちゃんのノートパソコン。
各人ひとつずつラジオを担当して、朝方までラジオに話しかける実験を行う。
私と三ツ葉は私服というかちょっと重めの部屋着で部長は何故か学校のジャージを着ている。
問題は三ツ葉のお姉ちゃんで、大学生らしいというかなんというか惜しげもなく胸元が開いたキャミソールとショーパンである。
部長がキョドっているのが面白かったが、三ツ葉のお姉ちゃんのノリがいまいちわかっていないので静観している。
下手に薮を突っついて「あらあらウフフ」的な蛇が出たらたまったものではない。
お姉ちゃんも部長の視線には気づいているわけで、若干ウフフ的な笑顔を浮かべているのが恐ろしい。
さすが大学生。
闇島ドクロの視線を完璧にコントロールしている。
「では撮影を始める」
部長がそう言って部屋の隅に配置したビデオカメラのスイッチを操作する。
最小にしていたラジオのボリュームを上げていき、それぞれが聞き取れるくらいの音量でストップする。
『明日の関東正午のお天気は曇りのち雨。ところにより』
『♪〜I wanna know, have you ever seen the rain〜♪』
『はい。今夜も始まりました。毎週金曜の夜にお届けする怪奇な番組『怪談ナイト』のお時間です』
『過払金の相談は弁護士事務所○○○。今すぐお電話ください』
それぞれのラジオから音楽やタレントの声やCMが流れてくる。
どうしたものかと考えていると、まずは部長が声をあげた。
「明日の夕方の天気はどうなってるんだ?」
そうラジオに話しかけ、私達を見てウンと大きく頷く。
同じようにやれということだろう。
「フン〜フフン〜♪」
三ツ葉のお姉ちゃんがラジオから流れる曲に鼻歌で合わせる。
「怪談ナイト毎週聞いてます!ジローさんよりも小林アナが好きです!」
三ツ葉はラジオのファン投稿みたいなコメントを言っている。
「過払金ないんですが相談に乗っていただけますでしょうか」
私のラジオからはCMが流れているのでどうしようかと思ったが思いついたことを言ってみる。
それぞれが手探りの状態でラジオに話しかけていると、やがてなんとなくスタンスがわかってきて、ラジオのMCやタレントの発言に相槌を打ったりツッコミを入れたりするようになった。
「飽きたっす」
一番最初に根を上げたのは三ツ葉だった。
開始してニ時間も経っていないが、贔屓の番組が終わった途端にやる気をなくしたようだ。
「私は結構楽しいよ?」
三ツ葉のお姉ちゃんが答える。
生足であぐらをかいてネットショッピングにノリノリで答えている。
スマホをいじりながら完全に返答botと化しているあたり相当器用な人なのだろう。
部長はお姉ちゃんにチラチラ視線を投げつつも真面目にラジオに答えている。
録画しているカメラを時折操作しつつなので私達の中では一番働いている。
私はやや飽きてはいるものの、ラジオに返答しながらSNSをやるのができなくてラジオに集中していた。
「…………」
朝までやると言ってたのでこのままあと4時間は続けるのだろう。
もはや降霊実験などどうでも良くなりつつあるテンションでひたすらラジオに語りかける。
そうしてさらに30分が経った時に、それが起こった。
「みつば」
何かが聞こえた気がした。
私のラジオからではない。
3人を確認するも、それぞれラジオに話しかけていて私に視線も向けない。
空耳かとラジオに向き直る。
「きょうか」
「…………!」
目の前のラジカセから名前を呼ばれた。
確実に呼ばれた。
ラジオMCの声とは全然違う。
無機質な、機械音声のような声。
気づかせるな。
瞬時にそう思った。
何事もないかのようにこれまで通りラジオMCの言葉にツッコミを入れる。
「ろくろう」
今度は部長の目の前のタブレットから部長の名前を呼ぶ声がした。
気づかせるな気づかせるな気づかせるな気づかせるな。
何事もないように装いつつ再び部屋の中を見回すふりをして部長の様子を確認する。
部長は名前を呼ばれたことに気づいた様子はない。
「…………」
これは予想外だった。
私にしか聞こえないとは。
ふとカメラを見る。
撮れているのだろうか。
どうする。
ここで私が『聞こえた』と言ってビデオを確認すれば降霊実験は終了となるだろう。
撮れていれば大成功だ。
しかし私以外にこの声を聞いていないならカメラに撮れている可能性も低いかもしれない。
「ちさ」
三ツ葉のお姉ちゃんの名前がノートパソコンから聞こえた。
これで全員が名前を呼ばれたことになる。
気がつくと背中にじっとりと汗をかいていた。
「えっ?」
ふいに三ツ葉のお姉ちゃんが声を上げた。
「今なにか聞こえなかった?」
そうだ。
この姉妹には霊感がある。
薄れつつあると言っていたが元々霊を見たり声を聞いたりしてきたのだ。
ここまであからさまな心霊現象が目の前で起きたなら反応してもおかしくはないだろう。
「んー?」
三ツ葉がお姉ちゃんに答えて、部長も顔を向ける。
「闇島くんごめん。もしかしたら気のせいかもしれないんだけど」
お姉ちゃんが部長に話しかける。
「多分だけど今、私の名前がラジオから聞こえた」
「本当ですか?一旦ビデオ止めますか?」
部長がカメラを見てまたお姉ちゃんに向き直る。
「ろくろう」「ちさ」
部長のタブレットとお姉ちゃんのノートパソコンから声が聞こえる。
全く同じ声だ。
無機質な、男か女か判別のつかない声。
「ちさ」「ちさ」「ろくろう」「みつば」
ラジオから聞こえる声はどんどん重なっていく。
「きょうか」
「うぅ…」
目の前から名前を呼ばれて思わず反応してしまった。
「どうしよう。やっぱり聞こえる」
お姉ちゃんが声を震わせた。
「きょうか」「ちさ」「ちさ」「きょうか」「ろくろう」「ちさ」「きょうか」「みつば」
「本当だ…聞こえるよ!」
三ツ葉も気づいたようだ。
お姉ちゃんの元に駆け寄って腕に抱きつく。
「待て。俺には聞こえん。暗井、どうだ?」
部長が私に目を向ける。
どうしよう。
素直に言うべきか。
「……いや、私にも聞こえないかも」
また嘘をついてしまった。
部長に気を使ったとか、バレたくないとか、そういうのを考える前に反射的に誤魔化してしまった。
「そうか。だが神崎とお姉さんが聞こえるって言うならガチなんだろう。ちょっと再生してみようか」
言いつつカバンから自分のノートパソコンを取り出して、カメラに入っていたSDカードを入れる。
「みつば」「ちさ」「みつば」「きょうか」「みつば」「ろくろう」「ちさ」「ちさ」「みつば」
「どうしよう!これ闇島くんの仕込みじゃないならガチだよ!」
お姉ちゃんが楽しそうだ。
「マジで何かした?闇島くん少なくとも私のパソコンは触ってないよね?」
お姉ちゃんが嬉しそうに部長に話しかける。
「はい。ずっとお姉さんの手元にありましたから、俺が何か仕込むのは無理っすね」
「私ずっと部長のこと監視してたけど触ってないよ!」
「お前なあ…」
「じゃあこれマジの心霊現象じゃん!うわー…マジか…」
お姉ちゃんがとても興奮している。
「「「「ちさ」」」」
それぞれのラジオから一斉にお姉ちゃんの名前が呼ばれて全員が飛び上がった。
大きな声だった。
「聞こえた…」
部長が唖然としている。
今の大きな声はとうとう部長にも聞こえたようだ。
「やばい…どうしよう私ちょっと怖いかも」
三ツ葉が不安そうな声を出す。
それが普通の反応だろう。
「「「「きょうか」」」」
「「「「みつば」」」」
「「「「ろくろう」」」」
ラジオから一斉に聞こえる声はいよいよ大きく私達の名前を呼ぶ。
下階で寝ているご両親に聞こえるんじゃないかと思うほどの音量でそれはそれでハラハラする。
「やばいやばいやばい」
三ツ葉がお姉ちゃんの腕に抱きついて泣きそうな顔で部屋の中を見回している。
この場にナニかが現れやしないかと恐れているのだろう。
お姉ちゃんも不安そうな顔でラジオや部屋の中に目をやりながら三ツ葉の腕をさすっている。
「撮れてる…撮れてるぞ!」
部長の叫び声に顔を向けると、ノートパソコンに耳を近づけて部長が映像を確認していた。
撮れてるとはラジオから聞こえる声のことだろう。
初めて見る部長の切羽詰まった表情に不安が増していくのを感じる。
ラジオは私達の名前を呼び続けている。
四局のラジオ番組と三ツ葉の不安な声と私達の名前を呼ぶ怪異の声で部屋の中は騒然としていた。
「えー!只今…ラジオから俺達の名前を呼ぶ声が聞こえています!」
部長がカメラを手で持って録画しながらレポートを始める。
カメラを向けられた三ツ葉とお姉ちゃんが「え?撮るの?」みたいな顔をしたが、お姉ちゃんが心得たとばかりにノートパソコンを持ち上げてカメラの前に差し出す。
ちょうどそのタイミングで「熱っ!」と部長が叫んでカメラをベッドの上に放り投げた。
次いでお姉ちゃんも「え?なにこれ!?」と叫んでノートパソコンをベッドの上に放り投げた。
「いきなりめっちゃ熱くなったんだけど」
言いながら両手を見つめてベッドの上のノートパソコンとカメラに目を向ける。
「……燃えてないよね?」
ベッドに近寄りパソコンをどかしたりカメラをどかしたりして布団が焦げていないか確認している。
ラジオは一斉に沈黙してなんの音も発しない。
「どうしたの?」
三ツ葉がお姉ちゃんと部長に声をかける。
「いきなりカメラが熱くなった」
「私のパソコンもいきなり。なんでだろう」
部長とお姉ちゃんがそれぞれ答える。
私の目の前のラジカセに目を向けると何故か電源が落ちていた。
「電源…落ちたんだけど…」
電源スイッチを押すも反応しない。
もしかして壊れたのだろうか。
「私のラジオもつかないよ」
三ツ葉が使っていた古い携帯ラジオも沈黙しているようだ。
ベッドの上のノートパソコンも部長のタブレットも電源が落ちたようで、それぞれから聞こえていたあの声も全くしなくなっていた。
「…………」
先程までの狂乱が嘘のように静まり、部屋の中で誰も言葉を発しない。
はあ、はあ、という各人の息づかいが聞こえる。
「俺が撮ろうとしたから怒ったのかもしれない」
部長が沈黙を破った。
「んー…まあね。そういうの嫌がるっていうのもあるのかも」
お姉ちゃんが頷く。
「でも良かったんじゃない?あのままエスカレートしてたらどうなってたかわからないんだし」
「そう…ですね…確かに」
部長は残念そうだがお姉ちゃんはあっけらかんとしている。
「治った!ラジオついたよ!」
三ツ葉がいじっていた携帯ラジオから再び番組MCの声が聞こえ始めた。
ラジカセのスイッチを入れると普通に電源が入った。
お姉ちゃんのノートパソコンも、部長のタブレットも壊れてはいなかったようで電源を入れたら普通に起動した。
名前を呼んできたあの声は聞こえない。
「今日はもう止めましょう」
部長が言ってタブレットの電源を落とす。
私達も黙ってそれぞれの端末の電源を落とした。
「いやー怖かった!マジで成功するなんて思ってなかったよ」
改めて車座に座り、先程の状況を整理しようとなったところで三ツ葉が声を上げた。
「ほんとにね。初回でうまくいくなんて闇島くん”持ってる”ね」
お姉ちゃんが部長を褒める。
「いや、俺は最初何も聞こえませんでしたし、むしろ神埼とお姉さんが”持ってる”んじゃないかと」
「やー、それほどでも」
にししと笑う三ツ葉にお姉ちゃんがクスリと笑う。
「でも撮れてたんでしょう?文化祭で出したらウケるんじゃない?」
お姉ちゃんの言葉に部長が大きく頷いた。
「ほんとそれです。かなりはっきり音声撮れてましたんで、文化祭どころかYoutubeでも話題になるレベルだと思います」
「ちゃんと顔隠してくれるならYoutube載せてもいいよ。三ツ葉とキョウちゃんは?」
お姉ちゃんと部長が私達を見る。
「私は…まあ大丈夫です」
顔隠してくれるなら別に構わない。
「そこはまあギャラ次第になっちゃいますけど私も大丈夫です」
三ツ葉が右手でOKマークを作ってお金をアピールする。
あははと笑って場が和やかになった。
まだそれぞれ少し顔が引き攣ってはいるが、あれきり変な声も聞こえないし些細な現象も起きないので、霊はどうやら引いてくれたようだと胸をなでおろした。
「映像…見ますか?」
部長が確認する。
「いやー今日はもういいかな。また何かあったら怖いから、闇島くんが持ち帰って確認して大丈夫だったら見せて」
あっけらかんとお姉ちゃんが撤退を宣言する。
私も同じ気持ちだ。
三ツ葉も頷いている。
「押忍」
部長が頷いてパソコンをカバンにしまう。
オカルトを求める欲求はさっきの狂乱で充分補充した。
これ以上なにかが起きては最悪の場合また真夜さんに頼るハメになってしまう。
あんまりホイホイ取り憑かれていては「やっぱりやめろ」と言われかねない。
引き際は大切だろう。
先ほどの現象については部長が映像を見て安全を確認してから深堀りしようということで、その後は少しだけ話してから就寝となった。
お姉ちゃんが自分の部屋に引き上げ、私と部長は床に敷いてもらった布団でそれぞれ寝ることになった。
あっという間にベッドで寝息を立て始めた三ツ葉の様子を感じながら私も眠気に身を委ねることにする。
部長は寝付けないのかモゾモゾ寝返りを打っているようだったが、この状況で変な気も起こすまいと判断して私は目を閉じた。
第10話 完
このエピソードは実話怪談『渡る声』のアフターエピソードとして創作したフィクションです。