おさがり

彼の母親が生まれたのは日本全体が貧しい時代だった。
誰もが満足に食べることができず、大人になる前に亡くなる子供も多かったという。
彼の父親も母親も数字のついた名前だったのは、亡くなる率が高いだけに子沢山という時代だったからだろうか。

彼の母親である千代さんは兄弟姉妹の末っ子で、新品の服など着たことはなかった。
全て姉達からのお下がりを母が手直ししたものだったが、千代さんはそんなお下がりを貰うたびに大喜びで兄姉やご近所に見せて回った。

千代さんがご近所の子供達と山遊びで服をボロボロにして帰ってきた時、母は「まぁたこの子は!」と叱りながらも末娘の元気な様子が嬉しいのか笑っていたという。
大急ぎで母が姉達のお下がりから仕立て直した服を着た千代さんは、それからよく1人で遊ぶようになったという。
軒先にしゃがみ込んで地面にお絵描きをしたり、お手玉やおはじきをしていたり、ご近所の友達連中が誘いに来ても「行かなーい」と言って1人で遊んでいた。

そんな様子に年の離れた長女は心配になって目をかけるようにしていた。
やがて千代さんが遊びながらブツブツと言っているのを見つけて、注意深く観察するようになった。
心の病など知りもしない長女は全く別の可能性、すなわち千代さんが何かに憑かれたか、はたまたお稲荷さんの祟りでも受けたかと真剣に心配をして、物陰に隠れて千代さんの1人遊びを観察していた。

「ちょっと邪魔しないで」
「今日ね、お母さんがお芋の甘いやつ作ってくれるって」
「私がお母さん役だから、お姉ちゃんはお父さんやって」

誰もいない状況で誰かに話しかけている千代さんが発した『お姉ちゃん』という言葉に長女は背筋が寒くなった。
彼女達姉妹にはかつて亡くなった『本当の長女』がいたことを彼女は知っていたが、千代さんは知らないはずだった。
大きくなった母のお腹に向かって喋りかけ、やがて生まれてくる妹か弟を心待ちにしていた彼女達兄弟姉妹の最年長。
長女ですらギリギリ記憶しているその姉のことは、両親の悲しみが癒えていないのか話題に上ることはなかったが、時折両親が揃って手を合わせているのを長女は知っていた。

「1人で何をしているの?」

恐る恐る長女は千代さんに問いかけた。
千代さんは答えない。
手にしていたお手玉を放り出して地面に何事かを描き始めた。
見ているとそれはどうやら彼女達家族のようだった。
ちゃぶ台と思しき○が描かれており、その周りに女と男の描きわけがされただけのシンプルな人間が描かれていく。

父親がいて、母親がいて、長男、次男、長女、三男と続いていくはずのその絵には、なぜか母親の次に女の絵が描かれている。
そして現在の家族には1人多い一家団欒の絵が完成し、千代さんは長女を見上げてにっこりと笑った。

間違いない。
千代さんは亡くなった『本当の長女』の霊と遊んでいるのだ。
長女はすぐさま家へ駆け入り母親に事情を説明した。
母親は軒先で1人遊びをする千代さんの様子を眺めてからその場でへたり込んで泣き始めた。

「あれはセイちゃんの服だからねえ」

そう言ってしばらく泣いた母親は、1人遊びする千代さんのそばにしゃがみ込んで千代さんとその周辺を眺めていた。
それから母親は毎日千代さんと軒先で遊ぶようになり、やがて意を決したのか、千代さんのために新しい服を仕立ててやってから『本当の長女』の服で仕立てたものをお寺へと納めてきたという。
それからは以前のようにご近所の子供達と遊ぶようになった千代さんは、軒先で遊んでくれた年上の誰かとの記憶を今でも大切にしており、息子にも何度となく話して聞かせてくれたという。

「あんたの母ちゃんはあと一歩のところであの世に連れて行かれてたかもしれないねえ」

叔母である長女や祖母はそう言って笑ったということだ。

投稿日:2024年10月23日 更新日:

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