「Tさんという男性の話だ。20年以上昔の話だというから俺達が生まれる前だろうな」
闇島ドクロが怪談を語り始めた。
「Tさんは友人達ととある避暑地に旅行に行った。そこはTさんの父親が勤める会社の保養施設で、関係者なら格安で借りられるということで友人を誘って計画したそうだ」
窓からの光が部長の顔の半分を照らし、逆側を黒く塗りつぶしている。
「その施設はTさん達4人組の他にも何組かの家族や友人グループが利用しており、その中に5人組の女性グループが滞在していた。年齢も近く、図らずも合コンのようなシチュエーションにTさん達も女性グループもテンションが上がった」
「恋愛リアリティだ」
三ツ葉のテンションも上がったのか興奮している。
「当時はリゾラバというのが流行っていたらしい。リゾートラバー。要するに旅先で出会った男女は積極的にお近づきになりましょうという空気だった」
「なにそれ」
思わず鼻で笑ってしまった。
なぜ旅先でまで恋愛しなきゃいけないのか。
学校での恋愛あれこれを若干冷めた目で見てしまう身としては旅先にまで恋愛を持ち込むテンションが理解できない。
だが、
「燃えるね!そのシチュエーション!」
三ツ葉は違うようだ。
フンフンと鼻息を強くして部長を見ている。
「Tさん達も女性グループもノリノリで計画をすり合わせた。近くの川に遊びに行ったり夕食の調理を一緒にしたりと楽しくやっていたそうだ」
部長は淡々と続ける。
「なんやかんやあってTさんも1人の女性と親密になっていった。わかりやすいようにその女性をまどかさんというふうに呼ぼうか。Tさんはまどかさんと早々に連絡先を交換して、夜に2人で散歩したりして良い雰囲気になっていった」
「陽キャだね」
「だね。私には無理」
そもそもそんなシチュエーションにならない。
陰キャには自信がある。
「最終日にはみんなでキャンプファイヤーをすることになった。Tさんはそのタイミングで告白しようと決めていたそうだ」
「おっといきなり最終日。飛ばすね」
「まあ怪談ですし」
いつのまにか三ツ葉のツッコミに私が返すリズムができている。
こういうのは楽しい。
「昼間。みんなが買い出しに行っている時にTさんは1人で部屋にいた。昼寝をしていたら置いていかれたそうだ」
単独行動。
これは何かありそうだ。
「買い出ししてくるからキャンプファイヤーの準備よろしく、という書き置きがあったからTさんは施設のバーベキュー場へ行くことにした」
心なしか部長が声のトーンを落とした気がする。
「部屋を出ると施設のどこからかラジオの音が漏れているのに気がついた。誰かが大きな音でラジオを聴いているらしい。スマホのない時代だから携帯ラジオというのがあって、Tさんも腰から下げるタイプの携帯ラジオを持っていた」
ラジオというのがなんなのかはわかるけど聴いたことはない。
「施設の裏手にあるバーベキュー場にキャンプファイヤーのための薪を運んだり、バーベキュー用の鉄板を運んだり、そういう準備をしながらTさんも腰に下げた携帯ラジオを聴いていた」
三ツ葉も黙って話を聞いている。
「地元のローカル放送が流れていた。Tさんはそれを聴きながらキャンプファイヤーの準備をしていた。何度かバーベキュー場と部屋を往復するのだが、部屋に戻る度に誰かが流しているラジオとTさんの腰に下げたラジオが混線したようにノイズが入ったそうだ」
「混線?」
「電波が干渉してザザッて音がしたりするらしい。たまに違うチャンネルの音声が混じることもあるとか」
三ツ葉の疑問に部長が端的に答えて続ける。
こういうのも我が部ならではで楽しい。
「キャンプファイヤーの準備が終わって、仲間達はまだ帰ってこない。Tさんは保養施設の周辺をブラブラ歩くことにした。翌日には帰る予定だったから、最後に景色を見ておこうと思ったそうだ」
「農作業だか山作業だかの軽トラが止まっている。その横を通り過ぎる時、軽トラから聞こえているラジオにザザッとノイズが入った。そして次の瞬間『みちやす』と名前を呼ばれた」
んん?
「みちやす?」
私と三ツ葉の顔に浮かんだハテナを見て部長が続ける。
「ここで言うのもなんだがTさんの名前は『みちやす』という。当然ながら仮名だが、要するに本名を呼ばれたということを伝えるためにあえて『ひろせみちやす』という名前を使う」
「混線したノイズの後に『みちやす』と名前を呼ばれた。当然Tさんは驚いたわけだが、気のせいかと思ってそのままスルーして軽トラの脇を通り過ぎた」
ラジオから自分の名前。
ということは仲間達がイタズラしたかもしれない。
「その後も時おり腰に下げたラジオと周囲のラジオで混線したようにノイズが入って、たまに自分の名前を呼んでいるように聞こえる」
「すれ違う車のカーラジオから、地元の民家の開け放たれた窓から聞こえる誰かのラジオから、そしてTさん自身の腰に下げた携帯ラジオから、ノイズと共に『みちやす』『みちやす』『ひろせ』『みちやす』と彼の名を呼ぶ声が聞こえる」
「怪談ぽくなってきたね」
「Tさんは仲間のイタズラだと思った。誰かがトランシーバーなどを使ってTさん周辺のラジオに干渉しているのだと」
当然そう思うだろうな。
「自分をビビらせようとしている仲間を想像して、Tさんは『ビビってやるわけにはいかない』と気にしていないアピールをしながら歩いた」
「わかるわかる」
三ツ葉が合いの手を入れる。
「コンビニが見えてきたのでそこに入ることにした。駐車場に停まっている車からもラジオが聞こえていて、当然のように混線して『みちやす』と名前を呼ばれた。Tさんは周囲を見渡して仲間の姿を探した。どこかで自分を見ているはずだと」
これは怪談だ。
ということはつまり。
「見晴らしの良い場所のはずなのに仲間の姿はどこにもなかった。それどころかTさんの携帯に着信が入り、電話に出ると仲間の一人で、もう施設に戻っているからお前も帰ってこいというものだった」
そうなるよね。
「イタズラではない?」
三ツ葉もしっかり理解している。
結構難しい状況説明だが、部長の話し方がうまくて情景がしっかり思い浮かべられる。
「『イタズラしているのはわかってるぞ』と言うTさんに仲間は『なんだそれ』という反応。全員バーベキュー場にいるからイタズラできないということだった」
Tさんや仲間の声真似をしつつ部長は続ける。
「だんだん恐ろしくなってきた。仲間でないとすればあとは施設の関係者くらいしか自分の名前など知るはずがない。それに施設の人間がこんなイタズラをするとも考えにくい。となると誰がーーー」
口調が徐々に早くなっていく。
聞いている私達にもTさんの焦りや恐怖が伝わる。
「『みちやす』通り過ぎる車のラジオから自分を呼ぶ声が聞こえた。『ひろせ』『みちやす』駐車場に停まっている車から、自分の腰に下げた携帯ラジオから、自分の名前を呼ぶ声がする」
三ツ葉が身じろぎをした。
「Tさんは自分の携帯ラジオの電源を切った。そしてコンビニに入るのもやめて早足で施設へ戻り始めた。歩いて10分ほどの距離だ。早足なら5分で戻れる。その途中にもすれ違う車から、犬の散歩をしている地元民が持っている携帯ラジオから、どこかの民家の窓から、自分の名を呼ぶ声は聞こえてくる。それぞれが全く別々のチャンネルを聞いているのに、Tさんの名前を呼ぶ声だけは同じだった」
早く早く。
そう焦っているかのように部長の口調も早くなる。
それでも聞き取れるギリギリの速度を保っているのだからさすがだ。
「Tさんは半ばパニックになりながらも道を急いだ。焦ってはいるものの周囲のラジオの音に敏感になっているのか、やけにラジオの音ばかり耳に入ってくる。そしてある時ふとその声が『まどか』というのを聞いた」
んん?
「んー?」
私と三ツ葉が揃って首を傾げた。
「『まどか』『みちやす』『ひろせみちやす』『まどかみちやす』『みちやす』Tさんを取り巻く謎の声はもはやラジオだけでなく周囲の音響機器からも聞こえ始めた。夕方の町内放送をするスピーカーなどだな。それら音を発する機材のあちこちから謎の声がTさんとまどかさんの名前を呼んでいる」
「感染したんだ」
「妄想じゃなかったらやばいね」
驚いた三ツ葉が声を上げたので私もそれに返す。
「施設に戻るとその声は聞こえなくなった。仲間達と女性グループが楽しそうにバーベキューの準備をしている。Tさんはまどかさんを見つけて声をかけようとした。まどかさんはTさんと目が合った瞬間、顔を背けてしまった」
「え?なんで?」
「まるでTさんに気づかなかったように友達と会話を始めたまどかさんの様子を見て、Tさんはまどかさんにもあの声が聞こえていたのではと思ったそうだ」
「まじか」
「まじか」
私と三ツ葉の声が綺麗にハモった。
こういうのも楽しい。
「結局告白なんてできる雰囲気ではなくなってしまった。Tさんはそれきりまどかさんに連絡をとることもできず、ひと夏の思い出として現在に至っている。以上だ」
そう言って部長は前のめりになっていた体勢を戻した。
「え?」
「終わり?」
「残念だがこの話はここでおしまいだ。俺もTさんに確認したが、まどかさんがその後どうなったのかもわからないそうだ」
「何だよそれー」
三ツ葉が不満を口にする。
その気持ちはわかる。
私だって同じ気持ちだ。
「まあねー。実話だとそんなもんよね」
これが創作だったらしっかり原因を探ったりしてオチまでつけてくれるのだが。
「ヘタレすぎるでしょ」
なおもぶーたれる三ツ葉に部長が顔を向ける。
「まあそう言うな。お前だってそんな状況だったら恋愛する気にならないだろ?」
「そうだけどさー。せめてまどかさんがどんな状況だったのかとかさー。確認しようよー」
「一応ダメもとで昔の仲間に連絡を取ってもらうようお願いはしておいた。何人かは旅行の後も付き合ったりしていたらしいから、もしかしたら結婚までいったカップルもいるかもしれないからな」
「おっナイスー」
「さすっちょ!やるじゃん!」
私の言葉に三ツ葉が機嫌を直して親指を立てる。
「電話番号が変わってなかったらまどかさんにSMSが届くかもしれないしな。Tさんがまどかさん本人に連絡をしてくれるかどうかは不明だが、まどかさん側に何が起きたのか、わかったら面白いことになりそうだ」
「うおおー。Tさんお願い!お願いします!」
三ツ葉が窓の外に向かって手を合わせている。
手を合わせるまではしないものの私も同じ気持ちだ。
Tさんにはぜひともまどかさんと連絡を取ってもらいたい。
例え何もなかったとしても、まどかさん側の当時の気持ちとか、なんで最後によそよそしかったのかとか、そういうのは聞いてみたい。
実話怪談ならではの消化不良を感じつつ帰り支度をする。
改めて電気をつけた部室内はいつもより眩しい。
予算を使い切ったことで凹んでいた部長も、怪談がウケた達成感で機嫌は回復している。
明日からの文化祭準備に改めて気合いを入れて、その日は解散となった。
数日後、私と三ツ葉が部室で文化祭の作業をしていたら部室のドアが勢いよく開いた。
「朗報だ。まどかさんと連絡がついたぞ」
「んー?」
第08話 完
この話は実在の怪談作家が取材した内容に基づいてストーリーを付加したものです。
地名・年代等に関してはフィクションですが、実際に体験した人がいる怪異体験であることを明記しておきます。
実話怪談提供 夜行列車『渡る声』より