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0376本当にあった怖い名無し2022/04/25(月) 22:58:08.37ID:1EMC2nlh0
日常生活の中のちょっとした出来事。それにほんの少しだけ深入りしたせいで、怖い目に遭ってしまう。
これはそういうお話である。
Gさんが仕事の都合で引っ越し、マンション暮らしをはじめて1年経った頃のことだ。
「彼女もいない一人暮らしでしたけど、その分かなり気楽ではありましたね」
平和だし、騒音もなく、迷惑な近隣住民もいない。いい環境だな、と感じていた。
街での生活にも慣れてきたなと思った1年目のあるとき、妙なことが起きた。
「オルゴールがね、聞こえてきたんですよ。どこからか…………」
最初に聞いたのは──いや、実はもっと前から流れていたのかもしれないので、正確には「気づいた」だが──Gさんが夜、寝ようとしていた時だったそうだ。
エアコンが苦手なので窓を開けて、ベッドに横たわっていた。
風に乗ってかすかに、かすかにそれは聞こえてきたという。
テテ テンテンテン…… という柔らかな響きで、すぐにオルゴールだとわかった。
マンションの隣室や上下の階ではない。外のどこかからである。
彼は高層階ではなく低い階に住んでいた。なんとなく、この部屋から少し距離がある場所のように感じる。
あぁ、誰かオルゴールを鳴らしてる。夜だけど、誰かヒーリング目的で聞いてるのだろうか。はてこれは、何の曲かな…………
曲は、数秒聞いていてすぐわかった。ディズニーの「It's a small world」、「小さな世界」というやつだ。
世界中どこだって 笑いあり涙あり みんなそれぞれ助け合う 小さな世界……
(訳:若谷和子)
うろおぼえだけど、確かこんな感じの歌詞だったっけ。
そんなことを考えているうちに1番の終わり、「世界はまるい ただひとつ……」まで曲が進み、オルゴールの音色は止んだ。
……ネジを回すやつでもフタを開けるやつでも、普通はネジが終わるまで鳴ってるもんだけどなぁ。
1回だけ聞いて満足して、フタを閉めたのかな。でもオルゴールを1回こっきり聞いて満足、って、あんまりイメージできないけど……
しっくりこない気もしたが、単なる日常生活のひとコマでしかない。
特に気にも止めず眠りについて、記憶の底に埋もれてしまったという。
0377本当にあった怖い名無し2022/04/25(月) 22:58:59.63ID:1EMC2nlh0
それから1週間も経たないうちだった。
夜中に目が覚めた。
部屋の中も、例によって少し開けてある窓の外も真っ暗だ。深夜の2時か3時かと思われた。
どうしてこんな時間に、理由もなく目が覚めたのかな。
そう思う間もなく、外からまた テテ テンテンテン…… と、「小さな世界」の音色が耳に届いた。
あぁ、また誰かがオルゴールを鳴らしてる。Gさんはベッドの上で考えた。
こないだは気づかなかったけど、これ、生音だなぁ。スマホとかスピーカーじゃなくて、オルゴール本体からしてるやつだぞ。
俺が目覚めたのを見計らったように鳴るなんて、おかしなこともあるもんだなぁ……
寝起きの夢見心地のままトロトロと考えているうちに、ふとわけもなく、こう思ったという。
…………これって、どこから聞こえてくるんだろう?
マンションの敷地内、じゃないなぁ。目の前の道路……でもなさそうだ。もうちょっと遠いな。
でもそんなには離れてないぞ。そうだなぁ、道路を渡って、公園があって。
そうそう、ちょうど公園の、真ん中あたりから聞こえてくる、って距離感だな。
うん、これは公園の中で鳴らしてるんだ…… でもこんな夜中に、公園の中でオルゴール…………
こんな考えを巡らせているうちに、オルゴールはまた「世界はまるい ただひとつ……」まで鳴り終わって、ぱったりと静かになった。
突然だった。
Gさんの部屋のクローゼットの中から テテ テンテンテン…… とオルゴールが鳴りはじめた。
「それがね、上から布をかぶせたような、にぶくて、くぐもった音で……」
もちろん彼の部屋にはオルゴールなどない。そういう音源もない。そもそもクローゼットの中に音楽を流すようなものは何も入れていない。
びくっ、として掛け布団をつかんだが、冷静に耳をすませた。これは、隣の部屋から聞こえてきてるんじゃないか?
十秒ほど息を詰めて確かめた。だがやはり、「小さな世界」は自分の部屋のクローゼットから聞こえてくる。間違いなく。
電気をつければよかったものの、判断力が鈍っていた。それに窓から月明かりが入ってきていた。
0378本当にあった怖い名無し2022/04/25(月) 22:59:22.80ID:1EMC2nlh0
ゆっくりと、寝床から降りて、クローゼットに近づいていく。
この中に、何が入っているのか……いや、何も入っていないことを確認しなければ、怖くて寝つけない。
放っておいてまた鳴り出したら怖い。
今度は聞こえ方が違っていたりしたら、と想像するともっと怖い。
足音を殺しながら移動しているうちに、オルゴールはまたもや「ただひとつ……」までを鳴らし終えた。
部屋の中が死んだように静かになった。
Gさんはクローゼットの、観音開きの扉の取っ手を両手で掴んだ。
それから一気にグイッ、と開けた。
女が立っていた。
掛けてある洋服をかき分けるようにして、女の後ろ姿があった。
「えっ」
Gさんが言葉を失っていると、女はくるり、とこちらを向いた。
女はひどくのっぺりとした、無個性な顔立ちだった。街ですれ違ってもすぐ忘れてしまうようなタイプだった。
なんの表情も浮かんでいない顔だった。死んだ魚のような目がGさんを見つめている。
女と目が合ったような気がした。
すると、特徴のない目と鼻の下にあった口が、いきなりパカッと大きく開いた。
「せかぁいーじゅーうぅー どこだぁーあってー
わらいぃーあーりぃー なみぃだーあーりぃー」
女は、「小さな世界」を大声で歌いはじめた。
腰を抜かしそうになってよろめいたGさんを尻目に、女は無表情のまま口を大きく開けて歌い続ける。
「みぃんなーそぉれぞーれ たぁすぅーけあうー
ちいさぁなぁー せぇーかぁーいぃーーーー」
Gさんは扉を閉める余裕もなく、クローゼットの前から逃げた。
なんなんだ。誰なんだこの女は。
どうして俺の部屋にいるんだ。
混乱する彼のすぐそば、クローゼットの奥から女の歌声は続いている。
0379本当にあった怖い名無し2022/04/25(月) 22:59:53.25ID:1EMC2nlh0
「せぇーーかいーーはーーー せーーーーまいーーーー
せぇーーかいーーはーーー おぉーーーなじぃーーーー」
Gさんは寝巻きのまま玄関に走った。スマホも財布も持たなかった。家の鍵だけを握って部屋を飛び出た。
「せぇーーかいーーーはーーー まぁーーるいーーーー…………」
廊下を走り外階段を駆け下りて1階まで行き外に出て、道を走った。
自動販売機がいくつも並ぶ道端で、Gさんはようやく立ち止まった。目がちらつくような強い明かりが、今はありがたかった。
「…………はぁ……っ? …………ええっ…………? なんで…………? ……なにあれ……? ちょっと…………マジで…………」
飲み物の見本が並ぶあたりに手を置いて息を切らせながら、彼はかすれた声で途切れ途切れに言い続けた。混乱しきっていた。
自分の住んでいた部屋が事故物件だなんて聞いていないし、不審な出来事だってなかった。近所で事件や事故も起きてない。
祟られるようなことをした記憶もゼロだ。いつもの日常だ。あのオルゴールの音色以外は…………
越してきてまだ1年である。職場に友人知人はいたが、深夜に転がりこめるような間柄ではまだない。
財布もスマホも置いてきてしまったので彼は仕方なく、自動販売機周辺の明るい道端で、夜が白むのを待った。
オルゴールや歌声が聞こえてきたり、女の姿が現れるのではないかとビクビクして過ごした。
人生でいちばん長い夜だったかもしれない、という。
「明け方、もう大丈夫だろうと思って部屋に戻りました。もしかしたらほら、夢だったかもしれませんし……」
部屋は、逃げ出してきた時から変化していなかった。クローゼットも開いたままだった。
少なくとも自分がここを開けたことは、動かしようのない事実であった。
夜明けの朝日が窓から射し込む中、彼はそっと、クローゼットを覗いた。
そこには誰もいなかった。
服も荷物も、一切乱れていなかった。
Gさんは寝不足と精神的疲労を抱えたまま、その日は仕事に行ったのだという。