ミルキーウェイに向かう車の中でスマホを確認すると前田さんからLINEが来ていた。
『ワシントンジャーナルとかの海外メディアが大々的に取り扱ってくれてますね!めちゃくちゃ拡散してますよこれ』
一瞬、書いてあることが理解できなかったが、三度読み返して海外の有名メディアが大霊障をきっかけに取り上げてくれているのがわかった。
前田さんが送ってきてくれていたリンクをタップする。
ブラウザに切り替わって表示されたサイトには、海外のメディアがどう扱っているかが翻訳付きで紹介されていた。
「よっしゃ!」
突然大声を出した私に隣の和美さんがビクッと体を震わせた。
「ちょっと。やめてよいきなり大声出すの」
「めちゃめちゃビビりましたねえ」
運転席でハンドルを握る笠根さんが笑いながら続ける。
その抗議にスミマセンと謝り、大霊障が海外メディアで取り扱われていることを伝える。
「それはよっしゃですな」
「これで日本のマスコミも取り扱ってくれるかしら」
「さすがに何かしらの報道はするだろうな」
助手席の神宮司さんもスマホを取り出してどこかのサイトを確認している。
「ヤフーには大霊障って書いてますね。ネットメディアやSNSはもう天道宗と大霊障だらけです」
宗方くんは尋常じゃない速さで画面を切り替えて複数の媒体をチェックしている。
さすが大学生はスマホの扱いが上手い。
違う車に乗っているジローさん・連雀さん・平野さん・そして道厳寺に残っている嘉納にも海外メディアとネットの状況を送信して会話に戻る。
「これでようやく日本の大手メディアでも取り扱いが始まる。あとは警察が動いてくれれば私達の勝利です」
「まあ俺達はこれから天道の霊をなんとかせにゃならんが、これで天道宗がぶっ潰れるのは確定したわな」
「オウム以来の国内テロ団体ですからね。人も沢山亡くなってるわけで警察も流石に動くでしょう」
「はっはっは。これで少しは楽できますかねえ」
「おっと、篠宮さん面白いことになってるぞ」
皆できゃいきゃいとはしゃいでいたら、神宮司さんがスマホを渡してきた。
受け取った画面にはTwitterのとあるツイートが表示されている。
『天道宗呪殺祈願』と書かれたそのツイートには何かの配信画面が映っていて、タップしていないので無音だが僧侶のような恰好をした男性がどこかの山中で祈祷している様子がわかる。
ツイートしているアカウントは『祓い屋兼拝み屋・月影堂』という初めて見るアカウントだった。
「俺の相互フォローの奴なんだが、DMでやりとりした限りでは結構ダークな仕事もしてるっぽいマジの拝み屋の一人だ」
「そんな人が。神宮司さんが頼んでくれたんですか?」
「いや、あまり気の合う奴じゃないから最近は連絡してないんだよ。だからソイツが勝手にやってるってわけだ」
マニアックなアカウントだがフォロワー数は結構いるようで、見ている間にも閲覧数が増えていく。
引用リツイートを表示させると、同じような宗教系・オカルト系のアカウントが拡散しているようだ。
『話題の天道宗を呪ってる奴がいて草』とか『野生の呪術師達が合わせたように祈祷してる』などと書いてある。
呪術師達?合わせたように?
気になってそのアカウントを見に行くと、月影堂さん以外にも祈祷をライブ配信しているアカウントがあるようだった。
ざっと見ただけでも5つほど。
「……なにこれ。他にも祈祷してる人がいるんですけど」
言って神宮司さんにスマホを返し、自分のスマホでも月影堂さんを検索してライブ配信のツイートから引用リツイートを辿っていく。
皆も自分のスマホでTwitterを検索して配信やってるアカウントを探している。
「これ篠宮さんのお母さんじゃない。何も聞いてないの?」
和美さんがスマホの画面を私に向ける。
普段はまったく使われることのない篠宮神社の公式アカウントが表示されていて、最新のツイートでは拝殿で祈祷する母の姿が横から撮影されている。
撮影しているのは父だろうか。
画面の奥には弟の暁(あかつき)の姿も見える。
会社を休んだのだろうか。
お勤めをする時の装束を着て太鼓を叩く係をしている。
『天道宗糾弾デモ安全祈願と清祓の御祈祷を行います』と書かれたそのツイート本文から、母が私のために祈ってくれているのがわかって腹の底から熱いものがこみ上げてくる。
「……聞いてない……聞いてないけど……嬉しい」
どうにか泣かないように歯を食いしばって和美さんに答える。
「もしかしたら篠宮さんのお母さんが根回ししてくれたんじゃない?」
「うん。それはありうる」
母の人脈は謎すぎて私も知らないから、もしかしたら月影堂さんみたいな拝み屋さんや呪術師の人とつながっていてもおかしくない。
篠宮神社の祈祷映像をリツイートで拡散してくれているアカウントを見ると、オカルト系アカウントの他に『SHIZUKA@不動産鑑定士』という謎のアカウントがあった。
そのアカウントは他の全ての祈祷ツイートもリツイートで拡散しており、どの引用リツイートにも「国内のカルト宗教団体を糾弾するデモを応援する日本の宗教界。拡散協力願います。」と短い紹介文が記載されている。
なかなかにフォロワー数の多いアカウントのようでビュー数はどんどん増えていく。
……姉じゃんか。
姉がこんなアカウントを持っているのは知らなかったし、難関資格の不動産鑑定士を取得していたことにも驚いたけど、こんなバリバリのビジネスアカウントで宗教系・オカルト系のツイートをするなんてよほどの決断をしたに違いないことに何よりもびっくりした。
『それこそ対岸の火事ってやつよ。こっちに火の粉が降ってきそうになったら自分で何とかするから、そこまで踏み込んでこないでくれる?』
姉との会話が頭に蘇る。
天道宗のことを対岸の火事といって自分では何もしないと宣言した姉。
『だから嫌だって言ってんの。こっちの意思も尊重してよ』
その『嫌だ』と言ったことをこうしてやってくれている。
自分のビジネスアカウントの評判を落とすかもしれない宗教オカルト系のツイートをしてまで、思いつきに等しいタイミングで道厳寺に乗り込んだ私達を応援してくれている。
小木老人に憑依した複合霊を押さえ込めたのも、みんなの祈祷が後押ししてくれたのは間違いない。
「…………」
おそらくは母か姉が頼んだから私とは繋がりのない祓い屋さんや呪術師さんが祈祷をしてくれているのだ。
私には一言も言わないで。
それを知ってしまったらもう無理だった。
ウッと呻いた私に顔を向けた和美さんがギョッとするのがわかった。
ボトボトッとあふれて零れ落ちる涙は止まらず、私は口をおさえて呻くしかできない。
「ちょっと、篠宮さん大丈夫?」
「……うん……うんっ……」
片手にスマホを握って片手で口を押えてボロボロ泣くという奇行に困惑した車内の気分を変えるように神宮司さんが明るい声を出した。
「すげえなこれ。大迫一禅っつったら100歳超えてるんじゃないかっていう大物だぞ」
「大迫先生まで?いやあ私でも会ったことない超偉い人じゃないですか」
また何かを見つけたらしい神宮寺さんの言葉に笠根さんが驚いた声で返す。
「おお、さすが笠根さんは知ってるか。マジで大迫一禅がライブで祈祷してるわ。これはなかなかにレアな光景だな」
「ウチの宗派の実質トップですからね。とっくに現役は退いておられたはずですが」
「なんだよ、笠根さんって大迫一禅と同じ宗派だったのか」
「ええそりゃもう、大迫先生のおかげでウチの宗派はだいぶ浄霊の技術が発展しましたから。もともと孔雀王を見て坊さんになりたいと思ったクチなんで、大迫先生は私にとってのヒーローなんですな。はっはっは」
大迫一禅という懐かしい名前に驚いて涙が引っ込んだ。
それは父と母が子供の頃に経験した神嫁を継承するきっかけになった事件の話。
父が「住職さん」と呼んで語って聞かせてくれた優しいお爺ちゃん僧侶の名前だ。
そんなご縁のある僧侶が今この時に、私達の為に祈祷してくれているという。
「それ、聞かせてくれますか」
私は母の祈祷を自分のスマホで流しながらも、神宮寺さんに大迫一禅先生の読経を再生してくれるようにお願いする。
わかった、と言って神宮司さんがスマホで映像を再生する。
般若心経と思しき読経が聞こえてきて、神宮寺さんがタイムラインを操作して配信の最初の方を再生する。
しわがれた老人の声が流れ始めた。
『かつて、九州のとある町を巨大な怪異が襲ったことがありました』
いきなり出た九州というワード。
それがかつて地元であった事件であると直感で理解した。
母には申し訳ないが母の祈祷を再生する私のスマホの音量を少し下げて傾聴する。
『その怪異はとてもとても恐ろしく、当時の私達では手に負えない相手でございました。その困難の時に、シズさんという1人の巫女がその命を賭場に投じて悪霊に挑みました』
シズさんという名前で確信する。
大迫一禅先生は間違いなくあの時のことを語っているんだ。
『その巫女は命が尽きるまで怪異を押さえ込んで、その後の解決に至る道筋を私達に示してくれました。それを見ていた私はその姿に憧れを覚えました。私も宗教者としてあのようにありたいと』
シズさん。
シズお婆ちゃん。
両親から何度も何度も聞かされた偉大なる曽祖母。
お役目の最中に寿命が尽きてしまったけれど、過酷なお役目を母が引き継ぐことで私達の町は救われた。
『それから40年余りが経ちました。私はもはや穏やかな気持ちでこの身を御仏の手に委ねようと思っておりましたが、この歳になって、この危局を自身の最後の使命と見定めて、この身を燃やす熱き思いが老いた私の胸に灯っているのを感じます』
小木老人とは対極の、正しい熱き想いを燃やす大迫先生の言葉に私の胸も熱くなる。
ホウと息をついた和美さんも同じように感じているのだろう。
笠根さんも神宮司さんも、若い宗方くんですら老僧侶の言葉に敬意を払っているのがわかる。
『この国を脅かす邪教の存在は、すでに皆さんもよくよくご存知のことと思います。その企みを潰さんとして多くの若者達がその身を焦がしながら駆け回ってくれております。この老体で彼らと共に走ることは敵いませんが、皆さんと一緒に、魔人天道の企みを封じるためのご祈祷を致したいと思います」
苦しいのだろうか、ゲホゲホと咳き込むのが聞こえる。
しばらく息を整えて、大迫先生がまた話し始めた。
「どうぞ皆さん、その場が危険でないならばどうかお座りになって、お立ちのままでも結構ですが、できれば正座か座禅を組んでいただいて、手を合わせていただけますでしょうか』
和美さんの隣で宗方くんが手を合わせるのが見えた。
これは始まるなと思い母の祈祷の再生を止める。
膝に置いたスマホ画面の母に向かってごめんねとありがとうを同時に念じる。
『お唱えするのは般若心経で結構でございます。お経の文言にとらわれず、お心を天に向けていただく姿勢こそが邪教の企みをくじく唯一の態度であると私は思います。お経がわからなければ私達の真似をするだけで結構です。どうぞお心を一つにして、この国の為に、若者や子供達のために、ご家族のために、ひとときの祈りを、共にお捧げしたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします』
カーン、と鐘を鳴らす音が響いた。
そして『仏説摩訶般若波羅蜜多心経~』という大迫先生の声に続いて、幾人もの僧侶が声を合わせてお経を唱和していく。
その空気感に畏敬の念をもって沈黙していると、ふいに神宮寺さんが配信の再生を止めた。
「ここまでにしておこう。大迫サンの気持ちは伝わったし、篠宮さんのお母さんも一生懸命お祈りしてるわけだから、どっちがどっちという考えは持ちたくねえわな」
その言葉の優しさに、ありがとうございますと返して自分のスマホを見た。
母は祈祷の前に何と言っていたのだろうと配信開始時まで映像を戻すと、ツイート本文と同じように『これから天道宗糾弾デモの安全祈願と清祓のご祈祷をさせていただきます』と言ってすぐに祈祷を始めていた。
母らしい簡潔な様子に思わず笑顔になって今度こそ再生を止めた。
母の想い、大迫先生の想い、姉の想い、見も知らぬ宗教者さんやオカルト実践者さん達の想い、面白おかしく事態をウォッチしているネットユーザー達の想い、それらすべてが天道宗にNOを突き付ける私達の背中を押してくれている。
それだけで充分だった。
「うおー!!!」
心に満ちた熱い想いが声になって出てきた。
再びビクッとなった和美さんや笠根さんには申し訳ないけど勢いに任せて吐き出す。
「気合入りました。入りまくってウリャウリャなんですけどまだ着かないんですかね。早く天道をぶっ飛ばしたいんですけど」
「すいませんねえ。ナビによるとあと10分ほどで到着するとは思いますんで、今すぐ天道をぶっ飛ばすのは厳しいんですがもうちょっとお待ちいただければ確実にお届けいたします」
私のテンションに笠根さんが申し訳なさそうに答える。
それからしばらく走って、笠根さんの言うとおり10分ほどで目的の住所に到着した。
コインパーキングに車を停めて横浜YMビルの前に移動する。
ジローさんや連雀さん平野さんも合流してYMビルのロビーに目を向ける。
大企業や中堅企業らしいガラス張りの大きなロビーを構えたオフィスビル。
しかし中に動く人の姿は見当たらない。
漂ってくる不気味な気配には覚えがあるし、ここからでも何人ものスーツ姿の人達が倒れているのが見える。
昨日のテロ現場では亡くなった人もいたわけで、先ほどまでのはしゃいでいた思考が一気に冷静になる。
「いるな」
神宮寺さんの短い言葉に頷きで応えてみんなの顔を見回す。
全員が準備OKという顔で頷いて、ジローさんがカメラで撮影を始める。
「行きましょうか。いつも通り充分に注意しつつ各自が必要なことをすると」
「「「「了解」」」」
みんなが口々に了解と短く答えるのを合図に歩き出す。
大きな両開きの自動ドアの手前にあるカード読み取り装置に小木本部長から奪った入館証を近づけると、ピッと音がして自動ドアが開いた。
全員がそのままロビーに侵入する。
明らかに異常だと感じるほどロビー内の温度は下がっており、室内に漂っていた人の気配が私達のいる所とは反対側に集まり始めた。
「おえっ」
不快な気配に思わずえずいてしまう。
こればっかりはクセみたいなもので、何度こういう現場を経験しても慣れることはない。
そうこうしている間にも黒い影となった嫌な気配はやがて人型となり、霊を見ることを意識して見ればそれは黒い甲冑姿の霊であることがわかった。
「また武士ですね」
「この規模のオフィスビルの受付ロビーに鎧兜の武者が立ってるのがすごいシュールね」
「まあ時代的には武士の世は長かったからな。それだけ浮かばれない霊もいるってことだろう」
何も考えずに口から出た言葉に和美さんと神宮司さんが乗ってくれる。
平野さんと連雀さんは武士にあまり興味がないのか黙って話を聞いている。
笠根さんを見ると倒れている人達の様子を確かめてくれていた。
笠根さんはいつも霊に直接ぶつかるのは私達に任せて自分はサポートに回ってくれるのが地味に助かっている。
私が見ていることに笠根さんが気が付いて右手でOKのサインを作ってウンウンと頷く。
どうやらあの人は気を失っているだけで死んではいないようだ。
中には殺されてしまった人もいるかもしれないが、少なくとも全員死亡という悲劇ではなさそうで安堵する。
とりあえず優先順位としてはあの霊をなんとかしてから救急車だと判断して改めて武者の霊を見る。
人命最優先という考えは当然だが、その中に私達の命も含まれているのだから脅威の排除を優先しなければならない。
救急車や警察の対応に追われて天道の霊に雲隠れされてしまうことだけは避けなければならない。
武者の霊は何もせずに立ったままこっちを見ている。
ただあのデタラメな気配、様々な言語で同時に話しかけられているような、理解不能な気持ち悪さはこれまでのどの霊よりも強いように感じる。
複合霊、箱の中で混ざり合ってしまった霊のことを私達はそう呼んでいるけど、それでもこの気味の悪さは上手く表現できていないように思う。
邪法によって生み出された異常な存在。
蠱毒の箱の中で勝ち残った強者であり、それゆえに様々な霊と喰らいあってバグってしまった哀れな霊。
今回もすんなりと祓うことができるだろうか。
「ああいう仮面って本当につけてるものなんですね」
「あれは面頬(めんぼお)とか頬当(ほおあて)つってな、かなり流行ってたみたいだぞ」
さすが神宮司さん、そういうことも良く知っているらしい。
「仮面の下の目が光ってたらまんまゲームに出てきそうですね」
「ま、鎧兜なんてどう見ても格好いいからな。昔の日本人のセンスに拍手だな」
「私はゲームやらないけどアレが格好いいっていうのは同意です」
続く私の軽口に二人も周りの状況を見つつ応えてくれる。
当然ながらふざけている感覚はない。
これが私達なりのウォームアップだ。
異常な状況であってもいつも通りに振る舞うのが最善の結果につながるのは普段のお祓いで実感している。
「武士が相手なら、前の成功例にもとづいて伊賀野さんに頼んだ方がいいかもしれん」
「ええ。もちろん私がやらせてもらいます」
そう言って和美さんが前に出ると、鎧武者が流れるような動きで刀を抜いた。
霊感を通して本物にしか見えない武者が、本物にしか見えない刀を両手で構えて私達に相対する。
「ヤローもやる気みたいだな」
神宮司さんが肩を回しながらニヤリと笑った。
和美さんが合掌して静かにお経を唱え始めると、それが合図であるかのように鎧武者がゆっくりと歩き出した。
神宮司さんも平野さんも和美さんに合わせるようにお経を唱和する。
読経に気づいた笠根さんが駆け寄ってきて和美さん達に合わせて読経を始めるが、それを和美さんは笠根さんに向けて手の平をかざして制し、周りで倒れている人達を手で指し示して読経しながらウンウンと頷く。
和美さんのアイコンタクトにすかさず了解の意を示して笠根さんは倒れている人達の介抱に戻っていった。
こんな場面でも以心伝心の様子の二人に内心でほっこりしつつ武者の霊の状態を確認する。
武者の霊は歩み寄りながら両手で刀を握って大きく振り上げた。
そして突然大股で一気に和美さんの前に飛び込んで大きな動きで刀を振り下ろした。
「ぐっ……」
和美さんが読経を中断させられて小さく呻き声を上げたのに驚く。
すぐに読経を再開したが、和美さんは少しふらついているようで、明らかに武者の刀を受けて何らかの苦痛を感じたであろうことがわかる。
以前に武士の霊を浄霊した時、あの霊も執拗に刀を和美さんに叩きつけていたが、刃は和美さんに届くことなく寸前で止まっていた。
にも関わらずこの武者の刀は和美さんに届いた。
そして読経を邪魔するほどには何らかのダメージを与えた。
痛みなのか精神的なものなのかはわからないが、この霊は私達にも届く刃を持っている。
それだけこの霊がヤバいということなのだろうが、和美さんに怯んだ様子はない。
「ノウマクサンマンダ〜バ〜ザラダンセンダ〜マ〜カロシャ〜ダ〜ソワタヤウンタラタ〜カンマン」
和美さんが読経から真言に切り替えて武者の霊へと一歩踏み出した。
それに対して霊は大きく一歩後退し、再び刀を振り上げる。
神宮寺さんと平野さんも和美さんに合わせて1歩前に出る。
再び武者の霊が和美さんの前に飛び込んで斬りつけ、さらに二太刀、三太刀と横薙ぎや袈裟斬りで切りつけていく。
和美さんはその度に体をこわばらせるような動きを見せ、それでもなお武者の霊に一歩を踏み出す。
痛いんだろう。
おそらく何かしらのダメージを受けている。
それなのに和美さんの気合いが武者の霊をまた後ずさらせる。
「ノウマクサンマンダ〜バ〜ザラダンセンダ〜マ〜カロシャ〜ダ〜ソワタヤウンタラタ〜カンマン」
仏の功徳あるいは威容を見せつけるように朗々と真言を唱え、和美さんはまた一歩武者の霊に歩み寄る。
「ゔォおおえぇぁァああアあ!!!!」
「…………!」
突然武者の霊が奇声を上げ、その気合いと共に霊の周辺の空気が膨れ上がった。
ガシャーン!と一斉にロビーにあるガラス製品が砕け散った。
壁を彩る花瓶も、天井の照明も、入り口の自動ドアも、その横に広がる壁としての強化ガラスでさえ、粉々に砕け散って無惨に地面に広がった。
にわかには信じられない破壊を目の当たりにして読経も真言も止まってしまったが、和美さんは周囲の惨状にチラと目をやってまた大きな声で真言を再開した。
「ぉぉおァああぇアあああ!!!」
武者の霊も気合いと共にまた和美さんに切り掛かり、めちゃくちゃにも見える斬撃や突きを叩きつけていく。
和美さんはややフラつきながらも真言をやめない。
加勢に入るべきか考えたが、そばには平野さんも神宮寺さんもいるのだ。
何かが必要なら合図が来るだろうと身構えつつ和美さん達の戦いを見守る。
横を見ると連雀さんも御札を取り出し臨戦体制で待機している。
私が見ていることに気づいてコクと小さく頷いた。
いつでも行けるぜと2人で意識を共有して改めて3人に向き直る。
和美さんの真言が朗々と響き渡るなか、武者の霊は疲れたように動きが緩慢になっていく。
いくら斬りつけても怯まない和美さんに苛立ったように大声をあげて威嚇する。
「ゔぉぉぁあァぁあああ!!!」
複雑で不気味な、何人もの声や何カ国もの言語で同時に話しかけられているような、異様な怒声。
その声にいつかの老婆のような呪詛が含まれているようで、聞くだけで不安と憂鬱が頭を満たしていく。
服の中のお守りを握りしめて最前線に立つ3人を見守る。
ふと武者の霊の姿がかき消えた。
と思った次の瞬間、神宮寺さんの後ろに立った武者の霊が背中から神宮寺さんを袈裟斬りにした。
ぐっ……!っと苦しそうな声をあげて神宮寺さんが振り返る。
平野さんと和美さんが一瞬遅れて武者の霊に向き直り息をのんでいる。
「いきなり消えるのはよくある手だけど、刀を持った霊にやられると困るわね」
再び距離を取った武者の霊に迷惑そうな目を向けて平野さんがあっけらかんと言うが、その顔に余裕はなさそうだ。
「痛えよこの野郎……。伊賀野さんよくあんなの何発もくらって平気だな」
「平気じゃないですよ。めちゃくちゃ痛かったです」
言いながらも和美さんは前に出て武者の霊と向かい合う。
「私が折れないからって老人に標的を変えて後ろから切りつけるなんて、昔のお侍にはそれほど矜持なんてなかったのかしら?」
和美さんの挑発に武者の霊の苛立ちが爆発する。
「……グォぉおおあァあああ!!!」
その声と共にまた霊の周囲の空気が膨らみ、床に散らばったガラス片がガチャガチャと音を立てて散らばっていく。
何か周波数的なものでもあるのだろうか。
この咆哮に私達は特に身体的な影響はないが、ガラス製品は圧によってビルの外側へ押し出されていく。
ポルターガイストとも違うその異様な光景を見ながら、ふと母の祈祷する映像が頭に蘇った。
「…………」
守られている。
母の、大迫一禅先生やお弟子さん達の、月影堂さんの、名もなき祈祷師さん達の祈りが、私達を守ってくれているのかもしれない。
月影堂さんは呪殺祈願なんて物騒なことを祈っているわけだから、この武者の霊になんらかの枷をかけている可能性もあるか。
もしもみんなの祈祷がなかったら、あの咆哮に私達も深刻なダメージを受けていたのかもしれない。
可能性としてはどこまで合っているかという感じだが、とにかくそう思い込むことで私はあの咆哮が私達には効かないという確信に胸を熱くした。
「…………」
ありがたい。
みんなの思いが追い風となって私達に力を与えてくれている。
少年漫画みたいな考えかもしれないが、私達はみんなの思いを背負ってここにいるということを強く意識する。
おそらくは和美さんや他のみんなもそんな手応えは感じているはずだ。
「ゴぉォぁあああ!!!!」
武者の霊が吠えまたフッとかき消えた。
「ぐぅっ…」
和美さんの真横に出現した霊が現れると同時に和美さんに刀を振り下ろした。
不意を突かれた和美さんは今までで一番キツそうな声を出してよろめいた。
「ぉおおオぉああアおああ!!!」
そして呪詛の混じる雄叫びを上げながら和美さんを切りつけていく。
離れている私には身体的なアレこそないものの、不安と憂鬱が蓄積してどんどん嫌な気分になっていく。
目の前で呪詛を叩きつけられている和美さんは大丈夫だろうか。
「ノウマクサンマンダ〜バ〜ザラダンセンダ〜マ〜カロシャ〜ダ〜ソワタヤウンタラタ〜カンマン」
その嫌な気分を吹き散らすように和美さんの真言が再開する。
今度は神宮寺さんと平野さんも和美さんに合わせて真言を唱え出した。
武者の霊はめちゃくちゃに刀を振り回して和美さんに切りかかるものの、疲れてしまったのか、それとも気合いで負けてしまったからか、徐々に勢いはなくなりやがてその刃は和美さんに当たらなくなっていった。
以前の武士の霊のように和美さんの手前で刃が止まっている。
和美さんの勝利だ。
「ノウマクサンマンダ〜バ〜ザラダン……逃げるな!」
いきなり和美さんが霊を怒鳴りつけたのに驚いてビクッとなりつつ注目すると、神宮寺さんと平野さんも驚いた顔を和美さんに向けて固まっていた。
「あんたいま逃げようとしたでしょ」
和美さんが続ける。
武者の霊は刀で空を切って荒ぶり去勢を張る。
どうやら和美さんは霊が離脱しようとしているのを見抜いたようだ。
「あなたねえ。わかってる?」
和美さんの声に若干の呆れのようなものが混じった気がする。
私達からは荒ぶる霊にしか見えないが、和美さんの霊の状態を見極める精度はこのところどんどん鋭くなっている。
おそらくは丸山理恵さんとの交流によって。
「あなたみたいな強力な霊を相手できるのなんて私達くらいのものよ?あなたが苦しくて苦しくてどうしようもなくても成仏できなきゃそれがずっと続くの」
チャンスと見てこのまま浄霊に移行するつもりらしい和美さんは武者の霊にたたみかける。
武者の霊は両手で刀を構えたものの斬りかかってはこない。
「私だって1人じゃあなたの相手はしない。あなたみたいな強力な霊が近づいてきたらすぐに逃げるわ」
そりゃそうだ。
今だってこんなに苦戦しているのだ。
1人だったら回避あるのみ。
「そうなるとあなたは誰かを傷つけるしかやることがなくなる。いくら助けて欲しくても誰もあなたの相手をしない。あなたに手を差し伸べるチャンスって今しかないのよ」
霊能者で取り囲んでいるこの状況が特殊であると聞かされ武者の霊の動きが止まる。
「ここにいた人達をみんな斬りつけて楽しかった?それで気が晴れた?天道のせいでそんなに苦しいのに天道の味方をするの?」
和美さんの声はもはや優しさを感じるほどに穏やかだ。
武者の霊からはなおも苛立ちが感じられるが、何もできないようだ。
「今だから私達はあなたの相手をしているのよ?今なら成仏して苦しいところから逃げることができる」
真言と読経によって仏の功徳を見せつけ成仏の道があることを示す。
武者の霊の攻撃がダメージになることにヒヤッとしたものの、最終的には霊を怯ませ精神的に勝利したことでその攻撃も通用しなくなった。
「あなたが逃げなきゃいけないのは私達じゃなくて苦しみからよ。わかった?」
そして逃亡を謀ろうとした霊を見破り、今や浄霊に導こうとしている。
寄り添ったり説教したり、霊によってやり方や態度を変えつつお経と言葉でしっかりと相手に響かせていく。
和美さんは間違いなく私の最推しの霊能者さんだ。
「今が嫌ならいつならいいの?申し訳ないけど私達は上に行かなきゃいけないからあなただけに時間を取られるわけには行かないの。逃すつもりもないけど滅してしまうほどあなたは話が通じないわけでもないから、できれば大人しく決断してほしい」
和美さんの言葉に武者の霊は逡巡するようにしばらくわなわなと震えていたが、やがてあきらめたのか力なく刀を下ろした。
「ありがとう」
短くそう言ってから改めて手を合わせなおし、今度は静かにお経を唱え始めた。
優しいそのお経をしばらくじっと聞いていた武者の霊は、静かに刀を鞘に納めてから床にあぐらをかいた。
首元の紐を外して兜を脱ぎ、面頬も外して素顔を晒す。
顔の右半分は鬼のように変形して恐ろしい形相をしていたが、左側は二十歳そこそこの青年の顔をしていた。
青年は両の拳を前について頭を下げ、その姿勢のままスーッと消えた。
「お見事」
和美さんの読経が静かな余韻を残して終わったとき、神宮寺さんが短くそう言った。
平野さんもウンウンと頷いて和美さんの背中をさすっている。
「本当にすごかったわ。和美さんの粘り勝ちね。優しい和美さんに送ってもらえてあの霊もきっと満足したわよ」
「勝てたからいいけど死ぬほどキツかったわ。めちゃくちゃ怖かった」
なんと。
気合いでゴリゴリ押してたように見えたけど内心はヒヤヒヤしてたのか。
「最初から最後までずっと押してたように見えたけどヤバかったの?」
横から声をかけてみる。
完全に押しきってたようには見えなかったけど、勝利した和美さんを讃えて余裕だったねと言ってみる。
「見てたからわかってると思うけど切られるとめちゃくちゃ痛かったわ。あとあの声ね」
「いつぞやの呪詛ババアと同じだな。目の前で気合の入った呪詛をかまされると結構キツい。伊賀野さんの根性ハンパねえわ」
「本当にね。あの状況で頑張れる和美さんって心が強いわ」
最前線にいた和美さんが答えて神宮司さん平野さんがそれぞれ感想を述べる。
やはり3人は相当なプレッシャーの中で戦っていたのだ。
「さてと、救急車呼んでとっとと上に行くか」
神宮司さんの声に周りを見渡すと10人以上の人が倒れている。
これだけの被害を出した霊ではあるものの、逆に考えるとこれだけで済んだという面もある。
あの青年の霊とどんな対話をしたのか、根ほり葉ほり聞いている暇はなさそうだ。
後で和美さんに聞かせてもらおう。
「とんでもない映像が撮れた」
武者の霊が消え、さて上に行こうと思ったら倒れている人を診ていたはずの笠根さんがいない。
そのことに気が付いて周囲をキョロキョロしていたら、ジローさんが興奮した様子で話しかけてきた。
「やっぱ映ってました?」
大霊障であれだけ拡散したことから、箱の中の霊達はなんらかの術によって映像や写真に映るようになっていると予想していた。
どうやらそれは正しかったようでジローさんのカメラにもしっかり映っていたようだ。
「バッチリ映ってたよ。肉眼じゃ黒い煙がうっすらとしか見えないのに、レンズ通すと鎧兜の侍が刀を振り回してる。最初は気持ち悪かったけど慣れちゃえば全然追えるね」
さぞかし特撮やCGのような映像が撮れたことだろう。
ホクホク顔のジローさんと話していたら、探していた笠根さんが階段に続くと思しき鉄の扉を開けてロビーに入ってきた。
「すみませんみなさん!もう一体お願いします!」
入ってきた笠根さんは汗だくで、おそらくなんらかの理由で上か下の階に行って複合霊とエンカウントしたのだろう。
焦った様子でヘルプを求めてきた。
「上等じゃねえか。今度は俺がやらせてもらうわ」
「予想はしていたけど、連中はあの箱を使ってこっちを足止めするつもりみたいね」
やる気まんまんの神宮司さんの言葉に、いくぶんか疲れた調子で和美さんが続ける。
「交代でやっていきましょうね。和美さんはしばらく休んでて」
平野さんもやる気のようだ。
目の前で頑張る和美さんを見て興奮しているのかもしれない。
ジローさんが再びカメラを構え、連雀さんはスマホで救急車の手配をしてくれている。
このビルでどれだけの箱が開封されたのか考えたくもなかったが、私も和美さんの雄姿に燃えさせてもらったので、冷静を意識しつつ積極的に対処していこうと気合を入れた。
続きます。