第七作 呪の曙(しゅのあけぼの)

第一部 三話 見え始めた影

投稿日:2022年1月18日 更新日:

天道宗を告発する記事を書いて1週間ほど経ったある日、私は東京駅の近くにある喫茶店に呼び出されていた。
呼び出しをかけたのは姉。
昔から頭の上がらない数少ない相手である。
篠宮神社の長女として最も神様の近くに置かれ、何をするにも拝殿や本殿が目に入る位置で行うよう躾けられて来た神様の許嫁。
母にしてみれば「神様がしーちゃんを直接見守りたいから、おそばに置かせて頂いてるだけよ」ということだが、本人にとってはたまったものではなかったらしく、高校卒業と同時に姉は東京へ出た。
両親の教育方針としてはただ「何をするにもできる限り神様の目の届くところで」というものだった。
躾も罰もない。
次世代の神嫁として徹底的に神様のおそばに置かれるのみ。

むしろ私や妹から見れば姉の特別待遇は羨ましいものだった。
ウチの神様は正直言ってだいぶフランクな御方だから、昔から両親の腕に抱かれて本殿に入ることは多々あった。
一度だけ、おかっぱ頭の少年を幻視したことがあって、父に話したらそれがウチの神様の御姿だと説明された。
父も遠い昔に夢の中で神様にお会いしたことがあるのだという。
母はもっとダイレクトに神様とお話をしている。
そしてかつては姉も母と同じレベルで神様の存在を感じていたらしい。
本殿に文机を持ち込んで夏休みの宿題をやらされていた時に、おかっぱ頭の少年が姉と一緒にノートを覗き込んで自由研究の課題を考えてくれていたのだとか。

そんなふうに無邪気に神嫁として育てられていた姉だったが、年が経つにつれて明らかに笑顔がなくなっていったように思う。
年齢相応に大人びていったわけだが、中学を卒業する頃には、昔の優しい姉から、どこか冷たい雰囲気の姉に変わっていた。
そしてあれほど本殿に入り浸っていたのに、すっかり本殿に近寄らなくなった。
用事や神事の際には巫女として私や妹と一緒にお勤めは果たしていたが、それだけだ。
まるで神様から距離を置くように、徐々に姉はその顔から無邪気さを消していった。
神様との近すぎる距離が辛かったのか、あるいは他の理由があるのか、何度か姉に尋ねたことがあったが結局話してもらったことはない。
そんな関係のまま大人になって、私も東京の出版社に就職して現在に至る。
東京で再会した時、姉はすっかり都会のビジネスマンとして完成されており、高層ビルに囲まれた大都会の風景によく馴染んでいた。
年末年始など実家で散々会っているはずなのに、都会で見る姉の洗練された雰囲気に、なんだか気おくれしてしまった。
それまで実家でのんびり暮らしていた私は、少しだけ姉に引け目を感じていた。

そんな姉からの呼び出しである。
嘉納を訪ねる時にも似た心境で姉を待っていると、とうとう姉が喫茶店に入ってくるのが見えた。
喫茶店に入るなり私の位置を探すこともなく私に目線をよこして軽く手を振った。
まるで最初から私の位置がわかっていたかのように。
「…………」
昔からそうなのだ。
姉は母に似た独特の雰囲気がある。
性格は正反対とも言えるし、高校を卒業してからは神事の手伝いすらしなくなったが、いまだに「そういう振る舞いをする」ことがあるのだ。

篠宮静香 32歳。
私達姉弟が両親から幾度となく聞かされてきた、偉大なる曽祖母の名前を与えられた篠宮神社の長女。
昔は優しさ100%、今では冷たさ100%の怖い姉である。
目の前に座って軽くお互いの近況などを伝え合ったところで、姉が今日の呼び出しの本題を切り出した。

「ところであんた、最近何やら物騒な活動をしてるみたいだけど大丈夫なの?」
姉は私がOH!カルトの編集者であることを知っている。
その雑誌で天道宗に喧嘩をふっかけている事を知って注意しに来たのだろうか。
「んー。今のところは何もしてこない。完全に無視されちゃってるっぽいね」
私は危機感を煽らないよう、いつも通りの口調で返す。
「相手はカルト教団なんでしょ?あんたが1人でいるところを襲われたらどうするの?」
心配してくれているのだろうか。
冷たい眼差しで言われると、心配してくれているのだとしてもお説教に聞こえてしまう。
少しざわついた心を押しとどめて、私は変わらぬ口調で反論する。
「そこは充分に注意してるよ。御守りも肌身離さずつけてるし、できる限り独りにならないようにもしてる」
「帰り道なんかはどうしてるの?あの彼氏君に送り迎えしてもらってるの?」
もう何年も前に紹介した元カレのことだろうか。
「あー…、ソイツとはとっくに別れてまして、駅から家まではまあ…1人ですけど」
そう答えたら姉は明らかに機嫌が悪くなった。
「全然大丈夫じゃないじゃん。何やってんの?」

「…………」
この辛辣な物言いをされるとたじろいでしまう。
大人になってからこんな言葉を投げかけられるのは姉からだけだ。
こればっかりは昔からの関係性なのでどうしようもない。
私は唇を尖らせて頷く。
これ以上の反論は分が悪い。
私とて危険に身を晒している実感はあるからだ。
それでもやらなければならないだけだ。
姉はため息をついて続ける。

「お母さん達は何て言ってるの?」
父にも母にも天道宗と対立することは話してある。
最悪の場合、実家に迷惑をかけることになるかも知れないと。
「もちろん最初は反対されたけど、どうしても必要なことだからって説明したら、最終的にはわかってくれたよ」
姉は苛立ったように唸ったが、少し考えて受け入れてくれたようだった。
「まあお母さんが良いって言ってるなら私としてはもういい。好きにしたら?」
だから好きにしてるのだと言いたかったが、姉が心配してくれたのは間違いないので、姉の言葉を素直に受け取る。
「ありがとう。それで…あのー…」
姉が納得してくれたので、私の下心も吐き出してみることにした。
私が話題を変えたので、姉が軽く頷いて、話を聞く意思を示す。

「できればお姉ちゃんにも手伝って欲しいかなーと……その……未来の神嫁さんとして、いざという時に戦力になってくれれば……」
「いや無理でしょ。私にはあんたやお母さんみたいな力はないから」
嘘だ。
「昔は凄かったじゃん。今からでも修行すれば絶対取り戻せるって」
「そのために仕事を辞めるの?」
「そこまでは…しなくてもいいと思うけど」

「お姉ちゃんは次の神嫁って決まってるんだから、もうちょっと世のためにですね…」
私の言葉を姉が鼻で笑った。
「世のためって何よ。神嫁になったら世のためじゃなくて神様のために働くものでしょ」
それにねえ、とため息をついて続ける。
「あんたもわかってるはずだけど、私が神嫁になる時ってお母さんが死んだ時だからね。そんなのどう考えてもあと数十年は先でしょ」
そうか。
まるで歳を取ることを忘れてるような母がいる限り、実質的に姉が神嫁になる可能性は低いのか。
だから姉は無関心を決め込んで仕事に熱中してるんだ。
「この際だからハッキリ言っておくけど、お母さんが凄すぎて私なんか完全に空気だからね?神様の興味もお母さん一択。お母さんの娘だから私達にも優しくしてくれてるだけで、お母さんから代替わりしたら神嫁なんて名誉職みたいなものよ」
なんと。
「それ……本当なの?」
篠宮神社の神嫁。
それはウチの神社だけに伝わる特別なお役目なのだと思っていたが、母限定だったのか。
姉は呆れた様子で続ける。
「当たり前だけど、お母さんやひいお婆ちゃんがやったことって、私達には逆立ちしたってできないことでしょ?そんな機会もないし。だから私が神嫁になるって言っても、本当に形だけのものなのよ。それに下手したらお母さんの方が私より長生きするかも知れない。そんなことがわかってるのに、今さら私に何か期待したって無駄よ無駄」
姉の立場はわかった。
だが姉の力が私よりも優れているのは間違いないはず。
なんとかして姉の協力を取り付けたかったが、姉の固い表情を見るに、なかなか難しそうだ。
「そのカルト教団の親玉を捕まえて、実家に引きずっていけば、お母さんがなんとかしてくれるでしょ」
そうなのだ。
母がその本領を発揮するのは実家だ。
東京まで出張してもらって、そこで万が一にも母が害されることがあれば、それこそ私達は切り札を失う。
考えたくはないが、例えば相手が銃などを所持していた場合、母の霊力がいかに強力でも殺されてしまうだろう。
だから霊的なことと同時に、暴力的な事態への防御も考えなくてはならない。
それが私達の最も懸念するところであり、姉のお説教の理由でもある。

「あー…それから…」と言って姉が軽く唸る。
姉にしては珍しく言葉を選んでいる。
何を言われるのだろう。
「くれぐれもお母さんを危ない目に合わせないでね」
それは勿論そのつもりだ、と言おうとしたが、その前に姉が言葉を重ねた。
「万が一でもお母さんが死ぬようなことがあれば、下手したらウチの家系断絶するから」
姉妹だから同じような思考になるのは不思議ではないが、姉の想像は私よりもだいぶ恐ろしいものだった。
「……なにそれ」
「言ったでしょ?神様が本当に大切に思っているのはお母さんだけ。私達はオマケなの。そんなお母さんがあんたのせいで死んじゃったら、あんたは勿論だけど、下手したら家ごとバチが当たるかもね」
「そんなことない」
思わず出した声は自分でも驚くほど低かった。
服の上から御守りを握りしめる。
「今までだって何度も神様が助けてくれた。天道宗の箱をお祓いするのだっていつも手伝ってくれた。ウチの神様はそんな冷たい神様じゃないよ。お姉ちゃんにもわかるでしょ?」
姉は相変わらず冷たい目で私を見つめている。
そしてフウとため息をついた。
「それだけお母さんが特別だってこと。神様の好意を裏切るようなことをしないでくれればそれでいいよ」
神様を否定するようなことを言われたせいか、徹底して冷めた態度を貫く姉に苛立ったのか、私は姉に文句を言いたくなった。
「お姉ちゃんはなんとも思わないの?めちゃくちゃ非人道的なことが行われてるんだけど」
「そういうのは正義感あふれるあんた達に任せる。私は私の仕事や生活を大事にさせてもらうわ」
そう言ってヒラヒラと手を振った。
「その生活だってどうなるかわからないんだよ?天道宗が何を考えてるのかわからない以上、潰した方が良いに決まってるじゃん」
「それこそ対岸の火事ってやつよ。こっちに火の粉が降ってきそうになったら自分で何とかするから、そこまで踏み込んでこないでくれる?」
「やっぱり自分で何とかできるんじゃん。力がないとか嘘でしょ」
「だから嫌だって言ってんの。こっちの意思も尊重してよ」

「…………」
姉が間違っているわけではない。
正しくはないが、だからって無償で働けというのは筋違いだ。
関わってしまったから、私達は危険に身を晒してまでやっている。
それが縁や神仏の導きというものであるなら、私達がやらなければならないのだ。
「わかった……もし万が一の時は実家のことよろしくね」
なかば拗ねた調子で、唇を尖らせて私はそう言った。
「万が一のことが起きないように、手をひきなさいって言ってるんだけど、それでもやるならまあ…頑張って」
姉は最後まで冷たい視線でそう言った。

結局、物別れに終わった姉との話を終えて、一人で銀座の街をプラプラ歩く。
買い物に来たカップルや家族連れがにこやかに行き交っている。
「…………」
姉にすげなく断られて落ち込んだ気分のまま、なんの目的もなくしばらく歩いた。

姉は神嫁を継ぐ意思はない。
それどころか神様との関係を疑うようなことまで言っていた。
「…………」
姉に言われたことに傷ついて、さっきから御守りの感触を求めて何度も触ってしまう。
時間ができたら実家に帰りたい。
本殿のお掃除を手伝って、お父さんと一緒にお勤めをするのだ。
ふいに襲ってきたホームシックに目が潤んでしまう。
口をへの字にして涙を堪えながら、私は弱気を振り払うために大股で歩く。
何度目になるかも分からず御守りを触った時、ふとあの時のことを思い出した。

笠根さんや和美さんと一緒に、丸山理恵さんの遺体の除霊を霊安室でやった時。
ヨミの霊が油断した私の背後を取って、首を締め付けられた。
ヤバいと思って御守りに手を添えたとき、笠根さんが突然大きな声で「喝(かつ)!!」と叫んでヨミの霊を追い払ってくれた。
笠根さんは言った。
『いやあ、なんだか知らないけど突然気合が入りましてねえ。篠宮さんが何かされてるのがわかったんで一喝したと。まあよくわからんですな。はっはっは』
あれこそ神様が私のピンチを、笠根さんを通じて救ってくれた事例に他ならない。
それこそ生まれてから今まで、何度も何度も助けられてきたのだ。
今さら神様が私に興味ないなんて、そんなこと言われたって信じるもんか。
是非とも早いとこ天道宗をぶっ飛ばして、姉に嫌味を言ってやりたい。
あんたと違って私は神様と仲良くしてるのよ、と。
涙が引っ込んだので、顎を上げて和美さんのように格好良く歩く。
大丈夫だ。
私は篠宮水無月。
篠宮神社の次女でござい。
天道宗なんて屁でもねえよ。

改めてこちら側の戦力を考えてみる。
まず母については戦力としては期待しないことにした。
母は九州から出たことはほとんどない。
冠婚葬祭でも無ければ基本的には実家で神様にお仕えしている。
神嫁として母を頼ってくる人がいる以上、長く実家を離れるわけにもいかないし、母の力は実家にいるからこそ神様からダイレクトに与えられるものだ。
天道宗との対決が東京で行われるなら、母の助けを借りるのは厳しいだろう。
母は来るというかもしれないが、私としては直接的な暴力に訴えてくるかもしれない天道宗の相手をさせるつもりはない。
それは神宮寺さんや和美さんとも相談して賛同してもらっている。
姉の言葉は言い過ぎだとは思うが、的外れでもない。
私達が母の娘だからという理由で神様から目をかけていただいているのは間違いない。
私達の都合で母をこちら側の戦力として扱うことはできない。

私達の陣営としては神宮寺さん、平野さん、連雀さん、笠根さん、和美さん、嘉納、そして私。
鑑定ライブ事件の合同除霊以降、なにかと連絡を取り合うようになったのはこの7人。
なんだかんだインタビューの件もあって、嘉納とも頻繁に連絡を取っている。
他にも霊能関係の知り合いとして数名いるが、まあそんなところだ。
中国人のグループはコウ老師とハオさん、お弟子さんが日本に何人来ているのかは不明だが、それほど多いわけでは無い気がする。
全くの予想でしかないが。
天道宗に関しては丸山理恵さんから和美さんが聞き出した範囲では数名しか情報がない。
トップ2人と、タツヤと名乗った呪術士。
あとは運転手兼監視役の男と、研究者や医者など。
どれほどの規模の研究施設を持っているのか知らないが、呪術師まで豊富に抱えているとなると正面からぶつかり合うのは無理だ。

雑誌やラジオを使って煽りつつ、あくまでこちらは身を潜めて、それこそ闇夜に紛れて後ろからザクリと刺しに行くようにやるしかない。
テロを仕掛けてきたのはあちらなのだ。
来週から仕事のほとんどをリモートワークにすることは編集長にも了解をもらっている。
さてどこに潜みましょうかね。
ようやく昂ってきた気持ちに口角を上げる。
ハオさんのように嫌らしく笑おう。
御守りに手を添えて、愛していますと念じる。
男女の愛ではない。
家族の愛とも少し違う。
一人の氏子としての崇敬だ。
最も強い言葉を探したら愛になった。
愛しています、私の神様。
追い風が髪をくすぐる。
ビルの谷間から覗く夕焼けが綺麗だ。
心ひとつで世界はこんなにも変わる。

誰かに会いたくなってスマホを取り出す。
とりあえず通話履歴の中からすぐに会えそうな相手を見つける。
あの人ならお店にいるだろう。
念のため訪問する旨を連絡して、私は駅へと向かった。

泰雲堂のガラス戸を引き開けると、神宮寺さんの弟子兼店番の宗方くんではなく神宮寺さん本人が店番をしていた。
前もってアポを取ったので待っててくれたのだろう。
宗方くんは薬の陳列棚の在庫をチェックしていたようで、振り向いて挨拶をしてくれる。
宗方くんに挨拶を返して、私は神宮寺さんの目の前に立つ。
「こんにちは神宮寺さん。突然押しかけちゃってすいません」
そう挨拶をすると神宮寺さんはいつものようにニヤリと笑った。
「どしたんだい篠宮さん。そんな気合の入った顔しちゃって。カチコミにしちゃあ色っぽい格好してるじゃねえの」
いつものデニムとジャケットなのだが、神宮寺さんの軽口としてはまだ序の口だ。
私も神宮寺さんの軽口に乗ってニヤリと笑う。
「ここに住まわせてもらおうかと思って」
そう言ったら神宮寺さんは目をまん丸にしたが、一瞬で立ち直った。
宗方くんがブハッと吹き出したのが聞こえた。
「おいおいマジで愛人かよ。俺としちゃあ通い妻くらいがちょうどいいんだけどねえ」
「あ、そういうのはいいんで笑」
手を上げてお断りの意思を示す。
私があっさりとノリを引っ込めたので、神宮寺さんもそれ以上は突っ込んでこなかった。
「毎日じゃなくていいんです。ちょっとこれから住処を転々としようかと思ってまして」
神宮寺さんはホウと息をついて腕を組んだ。
「流石に独り身でいるのは怖くなっちゃいまして、和美さんと違ってガードしてくれる人もいませんし」
「なるほどねえ。あんだけ派手に煽ってりゃ、連中もそろそろ動いてくるかも知れねえってか」
ハイと頷いて頭を下げる。
「時々で良いので泊めてもらえませんか?」
「勿論いいともさ。部屋は娘が使ってた部屋をそのままにしてあるから、そこで寝泊まりしてくれて構わない」
娘さんがいたのか。
息子さんが亡くなった、という老婆の霊の言葉を思い出す。
「ありがとうございます。娘さんは今どちらに?」
「今は結婚して海外にいるよ。だから部屋に残ってるのはそれほど大したもんじゃないだろ。気に入らねえものは捨ててもらっても構わない」
それにしても、と言ってまたニヤリと笑う。
「ビビってるにしちゃあ随分とハイになってるじゃないの。店に入ってきた時から目が怖えぞ?」
私も真似してニッと笑う。
「戦闘モードOKって感じです。色々あったんでまあ、聞いてくれますか?」
わかった、と言って立ち上がる神宮寺さん。
宗方くんに店番を頼んで、すぐそばにある応接セットに座って向かい合う。
宗方くんにも聞こえる位置だが、聞かれてマズい話でもないので構わず始める。

とりあえず今日の出来事から話すことにした。
姉と会ったこと。
姉は神嫁を継ぐ気がないこと。
私のせいで母に何かあったら、下手したら家系断絶の可能性もあると言われたこと。
私としては神様との絆を確信していること。
一人でいるのが危険だと言われて、流石にマズいと私も思ったこと。
それらを話すと、神宮寺さんはフムと言って腕を組んだ。

「良いねえ姉妹ってのは」
話のどこに仲良さげな表現があったかと思いつつ、はあと頷く。
「良いんじゃないの?篠宮さんがその神嫁ってのを継いじまったら」
予想外の言葉がかけられた。
「いくら篠宮神社の神嫁さんが歳食うのが遅いっつっても、流石に100歳越えるまでお勤めしなきゃならんなんて酷なことは神様もしなさんだろうよ」
「んーまあ…たしかに」
母の異常っぷりを言葉だけでは説明できないので、神宮寺さんの言っていることはわかる。
「篠宮さんが神様に認められて、そんで神様のお役に立つことを証明できれば、お母さんも神嫁のお役目を譲ってくれるんじゃねえか?」
流石に母のように、神様に貸しを作るレベルでの献身などとても出来ないが、それでも名誉職としての神嫁なら、継ぐ気がない姉よりは私の方が良いのかもしれない。
「今回のことだって、無事に天道宗をぶっ潰せたら、篠宮神社の神様だって篠宮さんに役目を与えたのを満足してくれるだろうさ。そういう神様なんだろ?」
神様の御心を推しはかるという、ある意味で不敬なことにも関わらず、神宮寺さんはそう言った。
私を通じて神様に聞かれていることは重々承知の上で、それでも言ってくれたのは素直に嬉しかった。
御守りに手を添えると、じんわりと温かい気がした。
服の中に入れていたから温まっただけなのだろうが、その温かみを今は信じたいと思う。
「まあ、神嫁になるかどうかはともかくとして、今は天道宗に嫌がらせするのを全力でいこうと思います。ご協力の程よろしくお願いします」
そう言って改めて頭を下げると、神宮寺さんは「おうともさ任せとけ」と笑った。

当面は泰雲堂と伊賀野庵にお世話になり、あとは適当にウィークリーマンションなどを転々としつつ、なるべく1人にならないよう気をつけて活動することになった。
「早速今日からウチに泊まればいい。一樹を一緒に行かせるから、荷物をまとめて持ってきなよ」
一樹というのは宗方くんの下の名前だ。
車を出してくれるとのことなので、ありがたく甘えることにした。
元々取材で各地を回る仕事なので、スーツケースの中には常に一通り、旅の道具が整っている。
それらに加えて衣服を多めに詰め込んで、宗方くんの運転で再び浅草へ。
行き帰りの車内でひと通り宗方くんと雑談を交わしたのち、和美さんや連雀さんにも電話でお泊まりの件をお願いしたのだが、連雀さんには断られてしまった。
自宅には他人に絶対見せたくないものが満載なのだという。
「それは困る。見られたらマジでヤバいから。本当にごめん」
と言っていた。
和美さんには快くOKをもらえた。
お弟子さん用の大部屋ではまずかろうということで、和美さんのお母さんの部屋を使わせてもらうことになった。

夜になって泰雲堂に戻ってきた私と宗方くんに神宮寺さんの3人で浅草にある小料理屋に入る。
これからよろしくということで、ささやかな宴会を開くこととなったのだ。
神宮寺さんの馴染みのお店のようで、宗方くんも店主さんや常連さんから可愛がられている。
明らかに年上の私を宗方くんの彼女だと思い込んだ店内がちょっとした賑わいを見せたので、神宮寺さんがニヤリと笑って俺の愛人だと宣言し、そんなわけねーだろとツッコミを入れられて盛り上がっていた。
ひとしきり騒いでからそれぞれのテーブルでの会話に戻り、神宮寺さんに改めてお礼を述べる。

そのまま他愛ない話をしつつ程よく飲み食いしたところで、宗方くんが楽しそうに言った。
「篠宮さんのマンションに行った時、実は僕ちょっとドキドキしてたんすよ」
「なんだよ、オメーも篠宮さんに惚れてんのか」
神宮寺さんが面白そうに言う。
「いやいやそれもアリっちゃアリですけど笑。それとは別にほら、その天道宗?今襲って来られたらどうやって篠宮さんを守ろうかなとか、どこから逃げようかなとか、色々考えてました笑」
そう言って笑う宗方くん。
「…………」
「師匠から運転手兼護衛って言われた時はテンション上がったんですけど、いざ行ってみるとやっぱりビビりますね。一人でキョロキョロして、逆に僕が不審者だったかもしれません笑」
「なっさけねえなあ。オメーにだって最近は一人で色々やらせてんだろうが。ちょっとは根性ついたと思ってたがねえ」
「いやいや師匠。僕いっつもビビってますでしょ?師匠の仕事ほんとに怖いこと多いんですから」
私は知らず宗方くんを危険に晒していたことに気づいた。
この期に及んでも、ただの送り迎えだと考えてしまっていた。
馬鹿か私は。
「あーごめん!ごめんなさい!宗方くんを危ない目に合わせちゃったね。ホントごめん」
そう言って机に手をついて頭を下げると、神宮寺さんがイヤイヤと言った。
「大丈夫だよ。一樹にも前から護身術はみっちり叩き込んであるし、最近はそっち方面も色々教えてる。一人でお使いくらいはできるようになったんだ。それに人目のあるところじゃ連中も中々手は出せんだろう」
「そっち方面?」
私のオウム返しに神宮寺さんが宗方くんに「見せてやんな」と顎をしゃくる。
さっきから『一人で色々』と言っているが、一人で何をしているんだろう。

宗方くんはポケットから小さな巻物をいくつか取り出した。
アメリカのドラマなんかでよくある、紙幣を丸めて輪ゴムで止めたような、小さな巻き物。
巻物の輪ゴムを外し、一枚を広げて私に見せてくれる。
呪符だ。
千天千天千天、山山山月、五芒星、四縦五横の九字印、私には読み解けない梵字、急急如律令。
それらの字や図象が描かれているお札。
明らかに年代ものとわかるそれらを、無造作に輪ゴムでまとめてポケットに忍ばせていたのか。
「符の種類と使い方も教えてある。霊関係にゃそれがあれば大抵のことはなんとかなる。一樹、さっき渡したアレも見せてやれ。机の上に出すんじゃねえぞ」
そう言われた宗方くんがカバンの口を開けて中に手を入れる。
何かを持ってカバンの中が私に見えるように口を広げる。
カバンの中で宗方くんが握っていたのは黒い懐中電灯のような物だ。
「スタンガンっす」
宗方くんが小さな声でソレの正体をバラす。

「…………」
何という準備の良さか。
「篠宮さんのマンションに行く前に師匠に渡されたんすよ。これも持っていけって。普段はこんなのまで持たされないんですけどね」
「神宮寺さん……何でこんなの持ってるんですか?」
その言葉に神宮寺さんはいつも通り口の端を吊り上げた。
「ま、生きてるやつの相手をするのは初めてじゃねえってことさ」
天道宗の騒動が起きる前から、宗方くんは神宮寺さんになかば無理矢理弟子入りしていた子だ。
神宮寺さんも迷惑そうに言ってはいたものの、しっかりと教えることは教えていたということか。
「宗方くん…これ使えるの?」
机の上で丸まっている呪符を一枚手に取って広げ、模様や呪文を眺める。
何が書いてあるのかさっぱりわからない。
「使い方だけは師匠から教わってます。自分で書いたりは出来ませんけど」
宗方くんは頭をポリポリ掻きながら恐縮したように何度も頷きつつ言った。
「…………」
私なんかよりよほど危機感を持って行動している。
飄々としながら当然のように準備している神宮寺さんもすごいし、神宮寺さんを信じて私の護衛を引き受けてくれた宗方くんもすごい。
頼もしさと温かさに目が潤みそうになるが、気合いで乗り越えるためにジョッキを煽る。
これからの私は戦闘モードなのだ。
弱気は見せていられない。
「ありがとうございます」
ビシッと背筋を伸ばして二人に頭を下げる。
「こんなヒョロガキでも弾除けくらいにゃなるから、必要あれば使ってやってくれ」
「うっす。喧嘩は自信無いですけど、一人で危険なことするよりは俺に声かけてください」
気をつけよう。
こんな人懐こい顔して笑う宗方くんを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
改めてそう心に決めた。

それから宗方くんが普段やってる『そっち方面』のお使いの話を聞いたりして、神宮寺さんと宗方くんの意外な師弟関係に笑わせてもらったり興奮したりしつつ、改めて今後の予定を話し合った。
天道宗からしたらOH!カルト編集部の人間を片っ端から尾行すればすぐに自宅を特定できるだろう。
私が天道宗の記事を書いて煽っている編集者だということはもうバレていると思った方がいい。
彼らが私を拉致ろうと決める前に神宮寺さんや和美さんの協力を取り付けられたのは運が良かったかもしれない。
煽るのに夢中になって、天道宗の特集から一週間以上経っているのだ。
彼らが静観を決め込んでいる理由は不明だが、やろうと思えばいくらでも私を拉致ったり傷つけたり出来たはずだ。
「…………」
そう考えると本当に迂闊だった。
姉の辛辣な物言いは確かに的を射ていたのだ。

一人暮らしの宗方くんと別れて神宮寺さんと2人で泰雲堂に戻る。
「神宮寺さん、本当に本当に、本っ当にありがとうございます」
そう言って改めて頭を下げる。
私が気づかないところにまで気を回してもらっていたのを思い知らされた宴会だった。
楽しかったと共に、恐縮することは多かった。
「なんだよ。惚れ直したか?」
「どっちかって言うと宗方くんに惚れる場面じゃなかったですか?笑」
「おいおいなんだよ。ああいうガキが好みなの?最近の女子は大人の渋みってもんがわかってないねえ」
まあいいや、と言って続ける。
「篠宮さんは周りを観察する能力はピカイチなのに、自分のこととなると割と抜けてるからな。危なっかしくて見てらんねえから、ずっとウチにいてもらって構わないよ」
そう言って笑った。
いつものニヤリではなく、口の両端をわずかに横に引いただけの、自然で優しい笑顔だった。
「…………」
「今日は疲れただろ。風呂を溜めてくるから、先に入って休んでくれ」
そう言ってお風呂場へ向かう神宮寺さんの背中にお礼を言う。
愛人だなんだと言うくせに、扱いはまるで孫のようだ。
「…………」
神宮寺さんがあと30歳、せめて20歳若かったらなあと、ちょっと思ってしまった。

自宅と会社に寄り付かなければ、東京の街から私一人を見つけ出すのはほぼ不可能だろう。
もちろん最低限の出社は必要だったが、尾行を回避する行動を神宮寺さんから教わり、その通りにすることで今のところ天道宗と思しき気配を感じることはなかった。
泰雲堂で生活をしながら、相談者さん達と連絡を取り続ける。
その家の代々の宗教に関することなので苦労もしたが、いくつかの箱を預かってお祓いをしたり、天道宗から脅されている人の相談に乗ったりしていたら、あっという間に1週間が過ぎた。

怪談ナイトのリスナーさんの実家に笠根さん和美さんと一緒にお邪魔して箱を預かり、和美さんの庵でお祓いをした時、同席したジローさんが興奮気味に私達にラジオ出演を打診してきた。
私はもちろんOKだし、和美さんもメディア出演は望むところだそうで快諾、渋る笠根さんを3人で説得して、次回の怪談ナイトに出演することになった。
ラジオ出演を終えて、笠根さん和美さんと一緒にタクシーに乗り込む時、ジローさんの背後が一瞬ゆらめいた気がしたが、よく見直すと何もないのでそのままタクシーに乗った。
ジローさんが襲撃されたのはその直後のことだった。

翌日、ジローさんからLINEをもらって渋谷の喫茶店で待ち合わせた。
詳しいことは会ってから話すとのことだったが、切羽詰まったような印象が文面から読み取れて、楽しい話ではないだろうなと覚悟して渋谷に向かった。
喫茶店に入るとジローさんは既に到着していた。
「…………」
遠目からでもジローさんが落ち込んでいるのがわかる。
昨日の様子とは打って変わって肩を落とし、力のない瞳で目の前のコーヒーを見つめている。
近づく私に気づいて視線を上げ、
「ああ篠宮さん、昨日の今日で呼び出してすいません」
と笑顔を作ったが、その顔にあるのは落胆だ。
番組でもクビになったのかと思うほど、明らかに意気消沈している。
「こんにちはジローさん。そんな顔してどうしたんですか?」
自分の物言いがなんだか昨日の神宮寺さんみたいだなと内心で苦笑しつつ、ジローさんの対面の席に座る。
いやあ…とため息をつくジローさん。
注文を聞きに来たウェイターさんを見送ってから、ジローさんは話し始めた。
「昨日はお疲れ様でした。お陰様でいい反響ですよ」
ジローさんがまた力のない笑みを作る。
「それは良かったです。それで、何があったんですか?」
単刀直入に聞いてしまおう。
悪いことなら早めに聞いておきたい。
できる限りの優しい口調と笑顔で、ジローさんに本題を促す。
ジローさんは一瞬だけ視線を下に落としてから私の目を見つめた。
「勧請院さんに……会ったんです」

それからジローさんは昨日、あの後に起きた出来事を説明した。
私達と別れてから、ジローさんもタクシーに乗った。
なぜか勧請院さんがタクシーに乗っていて、あの女の霊と折り合いをつけて天道宗に復讐をするために動いていると言った。
それで天道宗のことを聞き出すためにジローさんに接触したと。
勧請院さんは嘘や隠し事を嗅ぎ分ける直感力が優れていて、クリティカルな情報を隠しているジローさんに怒った女の霊が出てきた。
少女の霊をけしかけられて、精神的に激しく責め立てられたと聞いて、念のため御守りを持ってジローさんの周囲をよく観察してみたが、それらしい霊の気配は感じなかった。
「それで結局、俺の部屋まで来てしまって……逃げたり隠したりするのも無理で……その……」
「全部喋っちゃったと」
言いにくそうにしているジローさんが可哀想だったので、先回りさせてもらった。
「……はい。申し訳ない」
そう言って頭を下げるジローさん。
その背中があまりにも小さく見えて、腹の底から熱い感情が湧き上がってくる。
「それは災難でしたね。それで?他には何かされました?」
努めて明るい口調で尋ねる。
顔を上げたジローさんはポカンとした顔で私を見て「えっ?」と声を出した。
「例えば、肉体的にも怪我をさせられたり、次はこれをしろと脅されてたり、そういうことはないんですか?」
「ええ…はい。そういうのは…ないですね」
「なあんだ。じゃあそんな落ち込むようなことじゃないですよ笑」
明るく明るく、ジローさんが元気になるように。
「ジローさんドンマイです。前もそうでしたけど、あの女の霊って本当に嫌なやつですよね。狡猾っていうか」
「え?…あ、いや…」
お願いだから元気になって。
ジローさんはもっと格好良くなきゃ。
「もしかして、あの女の霊に好かれてるんじゃないですか?」
いひひと下品な笑顔を作ってジローさんの顔を下から覗き込む。
「いや…そんなわけないでしょ笑」
ようやくジローさんの顔に色が戻った。
くだらない冗談でも空気が軽くなるならいくらでも出せる。
「まあとにかく昨日は災難でしたね。犬に噛まれたと思って諦めるしかないですよ。ジローさん」
「はあ…まあ、そう言っていただけるなら…」
「逆に私の方が申し訳ないです。昨日タクシーに乗る前にちょっとジローさんに違和感あったんです。今さらですけど」
そう言って今度は私が頭を下げる。
「ああいや、全然そんな…気にしないでください」
今度は私に気を遣ってもらって、これで私達は元通り対等になった。
「逆に考えるとですよ?勧請院さんの現状がわかっただけでも大した成果ですよ。ジローさん」
「んん、まあね、たしかに。痛めつけられた甲斐はあったかな」
そう言って苦笑する。

少し顔色が良くなったものの、ジローさんはまだ浮かない様子だ。
「ジローさん、まだ何か抱えてませんか?」
「ん…いや」
「この際だから全部吐き出しましょう。一人で抱えてもいいことないですよ」
吐いちゃえ吐いちゃえ。
辛くても吐き出すことで少しは楽になるかもしれないんだから。
「俺は…やっぱり許されないことをしたんだなと」
少女の霊に出会ったことで、罪悪感に苦しんでいるのか。
「んー…そこですか……」
これはうかつなことは言えないぞ。
「あの女の子だけじゃない。多分すごい数のリスナーさんが亡くなってる。俺はその人達になんの償いもしていない」
ジローさんは辛そうに机の上のコーヒーを見つめながら言葉を絞り出している。
かなりキツいんだろう。
「だから仇を討つんでしょ。ジローさん」
私の言葉でジローさんは少し顔を上げた。
「ジローさんだって腕を折られたり、散々な目に遭ってるじゃないですか」
「いや…それはそうなんですけど…」
「あの女の霊が言ったことなんてジローさんを追い込むための方便ですよ。ジローさんは被害者。加害者は天道宗。それが事実です」
「…………」
ジローさんは言葉が出てこないようで、口をもごもごさせている。
「天道宗をぶっ潰して、亡くなった方達の無念を晴らす。もし償うとしたらそれが最高の償いなんじゃないですか?」
「そう……かな……うん……それしかないか……」
「ジローさんは番組を通して散々謝ってきたじゃないですか。これ以上できるとしたら仇討ちだけですよ」
「たしかに……うん、うん、そうですね。篠宮さんの言う通りです」
ジローさんの目にようやく力が入った。
「やってやりましょう。最大限の仇討ちを。天道宗をぶっ潰す!」
しっかりと私の目を見て力強く言った。
「はい。今後ともご協力よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
前に進むことでしかジローさんの心を回復させることはできない。
私が差し出した右拳に、ジローさんが左の拳を軽く打ち付けた。

「次に勧請院さんが狙うとしたら?」
気合の入ったジローさんと今後の事を相談する。
「やっぱり伊賀野さんのお寺じゃないかな。丸山理恵さんのことも話しちゃったから」
「ですね!すぐに和美さんに連絡しないと」
そう言ってジローさんに断りを入れて席を立つ。
スマホだけ持って喫茶店の外に出る。
和美さんに電話して、ジローさんが勧請院さんに襲撃されたこと、全て話してしまったので丸山理恵さんのことも伝わっていること。
伊賀野庵が襲撃されるかもしれないから警戒を強めてほしいことなどを伝えた。
「わかった。篠宮さんも充分注意してね?それじゃ」
そう言って和美さんは電話を切った。
席に戻るとだいぶ顔色の良くなったジローさんがコーヒーのおかわりを注文していた。

ジローさんもどこかに身を潜めるか聞いてみたら、「ウチは元々セキュリティ厳しいマンションだから大丈夫」とのことだった。
「勧請院さんならまだしも、天道宗が襲撃してきたとしても部屋に立てこもってガードマン呼ぶくらいのことはできるし、阿部ちゃんや小林さんのことも考えると、俺一人だけどこかに身を隠すことはできないな」
そうだ、小林アナ。
彼女を襲撃される可能性もあるのだ。
直接手を出さないまでも、彼女の家を知ってるぞと脅すだけで、私達を牽制するくらいはしてもおかしくない。
自分の身すら守る意識のなかった私はともかく、小林アナを守る算段は立てなくてはならない。
いちアナウンサーとして原稿を読んでいただけということにして、小林アナは次の天道宗特集からは外れてもらうことにした方が良いかもしれない。
しばらくは他の番組などに回ってもらって、あくまで怪談ナイトは仕事のひとつということを強調しておくべきだろう。
それをしたとして標的から外れるかどうかは不明だが、打てる手は全て打つに越したことはない。
そんなことを話して、ジローさんと別れた。

翌日、天道宗に脅されているという経営者さんに話を聞きに来た私は、池袋にあるビルの一室で、相談者であるこの会社の経営者を待っていた。
この取材で私は、決定的な情報を得ることになる。

「お待たせしました」
ノックと共にそう言って部屋に入ってきたのは60手前の男性だ。
三谷幸弘。
三谷建設というこの会社の四代目だそうで、人の良さそうなおじさんだ。
小柄でふくよか。
かなり薄くなった頭がチャーミングといえばチャーミング。
完璧な営業用のスマイルを浮かべながら挨拶をしてくれる。
私も挨拶を返して、まずは私の方から自己紹介をした。
こちらは相談を受ける立場だが、倍近くも年上の相手に生意気を言うつもりはない。
OH!カルトの編集者で、天道宗の特集を書いたのは自分ですと告げると、三谷社長は笑顔を消した。

「随分とお若い方なんですね」
しまった。
やはり誰かと一緒に来るべきだったか?
そう思ったが。
「あ、いえ馬鹿にしてるわけじゃないんです。勘違いさせてしまいましたね。申し訳ない」
と手振りを交えて言ってから続ける。
「あなたのようにお若い方が立ち上がっているのに、私らいい歳した大人は今までずっと黙ってきたんですから、お恥ずかしいと」
三谷建設は老舗の建設会社で、役所や商業ビルなんかも手がける大きな企業だ。
テレビCMも流しているし、三谷建設のロゴが入った建設現場をよく見かける。
その経営者にしては随分と情けない態度だと思った。
「あなたの書いた記事を読ませていただいて、ようやく助かると思ったんです。大変な勇気をもらった。まずは最初にお礼を言わせてください。篠宮さん、本当にどうも、ありがとうございます」
座ったまま深々と頭を下げる。
私はイエイエと手を振り、三谷社長の語るに任せることにした。
私が聞きに回ったことを察して、三谷社長はゆっくりと話し始めた。
「天道宗という名前は知りませんでしたが、あの箱の製作者達は先々代の時代から私らを脅してきたんです。それが私の代になってようやく終わるかもしれない。あの記事を読んでからはもう、お会いできるのを心待ちにしていたんですよ」
はあそれはどうも、と相槌を打ちつつスマホを取り出して録音アプリを立ち上げる。
録音して良いか確認するとOKとのことなので、そのまま録音を開始する。
「先々代の時代からとすると、天道宗に脅されていた期間は数十年ということでしょうか?」
三谷社長は渋面を作って頷く。
「そうなります。最初は脅してくるというよりは友好的なパートナーだったようですが、私の代になってからは間違いなく脅迫されていますね」
最初は違ったと。
過去のことから聞くべきか、それとも今現在の困りごとから聞いた方が良いだろうか。
「私の親父である先代社長の時代はちょうどバブルの全盛期でしたから、天道宗と持ちつ持たれつの関係になって、なんでもやってきた。私としてはずっと空恐ろしい思いでしたよ」
私の考えを読んだわけではないだろうが、三谷社長は過去の話から始めた。

「拝み屋、というんでしょうか。顧問料という形で毎年いくらか支払っているわけなんですが、それが始まったのが先々代の時代です」
拝み屋。
正直に天道宗とは名乗らず、拝み屋として関わってきたと。
「とは言っても大した金額ではありません。せいぜい年に数万円ですから、経費としても微々たるもので、特に気にも留めてきませんでした。ただその…」
三谷社長の言葉が詰まる。
ここからが本題だと記者の直感が告げる。
「拝み屋としてやってもらってる祈祷がですね、地鎮祭なんですけども、どうも独特で…その…大丈夫なのかなと思ったことがありまして」
いわゆる地鎮祭とは神道の言葉で、仏教式の場合は地鎮法とか安鎮法とかいわれるが、まあやってることは同じだ。
神仏に祈願して土地を清める儀式。
「先代の時代にはみんな目を瞑っていたわけなんですが、私の代になってからは社内でも問題にする人間が出始めたんです。取締役会で議題になったこともありました」
「その地鎮祭の独特なやり方というのは?」
「ごくたまになんですが、基礎工事の際にあるものを埋めるように指示をすることがあります。土地の霊を鎮めるために必要な措置とのことなんですが、地鎮祭の時にそれを持ってきて、基礎工事の時にこれを一緒に埋めなさいと」
「鎮物(しずめもの)ですか?」
「はい。そんなようなことを言っていました。ただ毎度毎度というわけではなく、ごくごくたまになんです。何年かに一度くらいで。それで何か変だなとは思っていたのですが、ずっと昔から行われてきたことですし、彼らが施主さんの了解も取ってきますから、まあずっと続けてきたと」
聞いた限りではおかしな点はないように思うが、三谷社長の顔は渋面のままだ。
「どこに引っ掛かりを感じたんでしょうか?」
「……施主さんの了解が取れない場合もあるわけです」
そう言って机の上に置いてある私のスマホに目を向ける。
「すみません。ちょっとここだけ録音をやめてもらってもいいでしょうか」
オフレコで話したいということだ。
こういうことはよくあるのでその言葉に従って録音アプリを停止する。
まあ私のジャケットの胸ポケットに仕込んでいるICレコーダーでは、最初からずっと録音しているのだが、そこは内緒だ。
オフレコと言われた内容を記事に書くことはないが、聞き返して話の全体を理解するためには必要なのだ。
スマホの録音アプリが録音待機状態である画面を三谷社長に提示して続きを促す。

「そういう場合は施主さんに内緒で、ウチの従業員に埋めにいかせていました」
施主に内緒で、ということは契約違反とまではいかなくとも、明らかに建設会社の仕事の範疇を超えている。
「昔ならまだしも現代ではコンプライアンスが厳しいですから、私の代ではやめようとなった。それで取締役会に天道宗の人間を呼んで、会社としての方針を伝えたわけです。これからは施主さんの意向に沿わない鎮物はしないと」
なるほど。
「それで、脅されるようになったと?」
「はい。ああ、ここからは録音してもらって構いませんよ」
そう言って私のスマホを手で示す。
お礼を言って録音を再開する。
「まずは私のところにあの箱が送られてきました。それから取締役全員の家にも送られました。それで…まあ、あとは篠宮さんの書いた記事にあったようなことが起きました。それで今後も必要に応じて鎮物をするようにと」
「そのことを誰かに相談したことは?」
「何度かありますが、それこそ雑誌の記事にあったように、断られるか失敗するかして、結局今まで来てしまいました」
例え宗教家でも霊能者であっても、あの箱の対処はなかなかできるものではない。
私達も一人では絶対に対処しない。
最低でも3人は数を揃えて、不足の事態に対処しなければならない。
先日の和美さんの除霊がスムーズすぎただけで、それまで毎回何かしらの危険はあったのだ。

「その鎮物をした物件のリストなんかあったりしますか?」
そう聞くと、「ちょっと待っててくださいね」と言って内線で誰かに指示を出す。
しばらく三谷社長の話を聞いていたら、社長と同じくらいの年齢の男性が部屋に入って来た。
明らかに高級とわかるスーツにカフスボタン。
結構偉い人なのだろう。
社長にプリント用紙の束を手渡して二言三言交わしたのち、私に会釈して退室して行った。

「これが創業以来ウチで施工してきた物件のリストです。大昔のものは抜けがあるかもしれませんが、おおむね正確にできています」
社長が応接テーブルの上に数枚のプリントを置く。
私に見やすい位置と向きなので、見ても構わないということだろう。
物件の名称や住所、施主、年月日、工法などの専門用語がビッシリと書いてある。
「一番右の列を見てくれますか」
表の最後に『拝』という列があって、「通常」と「特殊」という二種類の分類わけがされている。
「この拝という列の特殊というのが、鎮物をした物件です。さっきの男はウチの常務でして、オフィシャルのデータに付け加えさせました。一般の社員は拝み屋のことは知りませんから」
そう説明され、「特殊」に分類された物件の特徴を考えてみるが、何も思い当たる節はない。
「三谷社長はこの「特殊」の関連性って、何か想像つきますか?」
と聞いてみると、社長は口をへの字に曲げて眉を上げた。
困ったような、思案するような、そんな顔。
そのままの表情で数秒ほど固まってから、フムとため息をついて話し出した。
「今まで社員や外注を使ってデータを分析して来たんですが、結論はさっぱりわからない。それでも分析に使った資料なんかは提出されてくるんで、それも一応まとめてあるんです」
そう言って社長は、手元に残っていたもう一枚のプリントを私の目の前に置いた。
地図だ。
首都圏の地図上に、いくつかの箇所がマーキングされている。
「鎮物を埋めた物件の位置を示す資料です。何か龍脈とか、風水関係のポイントなのかと思って、風水士の方にも見ていただいたんですが、どうやらそれも外れだったみたいで」
なるほど風水か。
この資料を連雀さんに見せたら何かわかるかもしれない。
そう思っていたのだが。
「息子が子供の頃にこれを見たことがありましてね、幼稚園の頃でしたから、5歳とかそのくらいだったんですが、『僕この星座しってるよ』って言ったんです」
んん?
「星座なんて考えてもいませんでしたから、息子の指差す通りにね、線を引いてみたんです。それがこれです」
そう言ってもう一枚のプリントを私の目の前に置く。
「…………」
地図上に無作為に並べられたと思っていたマーキング。
そのうち7つが赤ペンで丸をつけられ、それぞれの丸を直線で結んでいる。
柄杓のように見えるそれは  

「北斗七星…ですか」
「はい。ただし逆さまですけどね」
そうだ。
たしかに北斗七星が逆向きになっている。
北斗七星は不動の星である北極星の周りをグルグル回る柄杓型の星座だ。
季節によって柄杓の向きも回転している。
だがその形自体に大きな変化はない。
星との距離などによって微妙に形が変化するだけだ。
だがこれは。
「たしかに逆さまになってますね。北斗七星をそのまんま反転させたような」
「はい。それで他にも星座がないか調べてみたんです。息子にも手伝ってもらって。そうしたらですね」
そう言って三谷社長が新たなプリントを目の前に置いた。
そこに描かれているものを見て思わず「うへえ」と変な声が出た。
「…………」
五芒星だ。
完全な形の、まごうことなき星形。
東京の都心部に配置された五芒星。
神社などを結ぶと現れるレイライン。
それは神を祀る場所を意図的に配置することで意味のある形を作り、それをもって結界として作用するように祈願するものだ。
東京五社と呼ばれる神社で形作られた五芒星や、山手線と中央線によって描かれる陰陽図、本州を一直線に横断する神社群など、国内にあるレイラインの数々はOH!カルトで何度も取り上げるほど魅力的で、単なる都市伝説の域に収まらない。
それと同じものを天道宗が作っている。
そしてその五芒星の中心にあるのは  

「これは……呪術……ですね」
ようやくそれが口から出た。
三谷社長が返答の代わりにため息をついた。
「社長…その…天道宗が埋めていた鎮物って…見たこと…ありますか?」
三谷社長はしばらく沈黙していたが。
「箱……でしたね。中身は見ていませんが」
と言った。
「私の家に送られてきた箱。篠宮さんが書いた記事に載っていた箱の写真。あれと同じような黒い箱でした。ちょっと小さくて、書道なんかに使う小箱くらいのサイズでしたけど」
天道宗がまともに神様を祀るだろうか。
そうも考えたが、胸騒ぎと共に嫌な想像が沸き起こり、すぐに確信に変わる。
あの箱によって作り上げた怨霊でレイラインを作っていたのだとしたら。
「篠宮さん」と三谷社長が声を出した。
少し声が震えている。
「私らはこの東京の街で、何をやらされてきたんですかね」
大会社の社長とは思えない弱々しい様子にいたたまれなくなって、私は「大丈夫です」と返してしまった。
「社長のお陰で天道宗が何を企んでいるのか、ハッキリしてきました。社長の家にある箱も他の役員さんの家にある箱も、きっちりお預かりしてお祓いしますんで、今後は天道宗の言うことに従わないで大丈夫ですからね」
そう言って笑顔を作って見せる。
まるきりの空元気だが、まだ何をどうすれば良いか全然わからないのだが、私達がやらなければならないのは確かなのだ。
せめて相談者さんの不安は取り除いて帰るべきだろう。
「……よろしくお願いします」
そう言って三谷社長は頭を下げた。

三谷建設を辞して、私は池袋の街を歩く。
「…………」
昼下がりの空を見上げる。
ここは天道宗が敷いた五芒星のレイラインの内側に位置する。
レイラインは東京の中心部を覆う形で敷かれていた。
完全な形の五芒星。
その頂点を結ぶ真円のエリア。
山手線の路線図をちょっと広げたくらいの大きさが天道宗の結界内ということになる。
「…………」
レイライン。
結界。
本来ならば神仏の力を有機的に活用するための配置。
それを怨霊で行っているのであろう天道宗の結界。
本来の結界が魔を祓い邪気を通さないための装置ならば、天道宗はまるで逆の作用を祈願している。
すなわち聖を祓い神気を通さないための装置だ。
そしてあの箱の性質を考えるならば『閉じ込める』という意味合いもあるのだろう。
霊を招き妖へと変質させる結界。
それが東京の街を覆っている。
そしてその中心にあるのがあの施設。
郵便番号100-0001。
東京都千代田区千代田1-1。
皇居だ。
日本の臍とも言える中心の中心。
そこを狙い撃ちする怨霊の結界。
「…………」
最悪だ。
悪質にも程がある。
皇居を狙うというのは皇室をどうこうというよりも、日本国を呪うという意思表示なのだろう。
日本国を呪う呪術を張っている。
数十年をかけて。
最低限のコストで。

私が気になったのは、「天道宗はなぜ呪いの肝の部分をアウトソーシングしたのか」というところだった。
宗教団体として金も人材もあるなら、自分達で建設会社を立ち上げれば良い。
そして宗教団体ならではの資金力でもって土地や建物を買収すれば良い。
そうしないのはなぜか。
答えは簡単だ。
『天道宗はそれほどカネを持っていない』
元来が秘匿的な宗派だ。
積極的に宗教的な勧誘もしていない。
信徒から集まる献金は他の新興宗教と比べると微々たるものだろう。
だからこそ三谷社長のような建設会社を脅してまでコストを抑える必要があった。
丸山理恵さんに使われたのがお香だけでなくなんらかの薬物であったことから、奴らがNPO法人として薬物関連の団体を立ち上げていることから、そっち方面にカネをかけているのは明白だ。
それ以外の分野に関してはアウトソーシングでやっている。
だからこそ三谷社長のように情報を提供してくれる相談者が現れる。
そこに活路があると思いたい。
「…………」
天道宗はほぼほぼ準備を終えている。皇居を囲むレイラインが完成していることからもそれはわかる。

そして北斗七星。
地図上に現れる北斗七星といえばピンとくるのは一つだけだ。
平将門。
日本三大怨霊と言われる将門を神として奉るために作られた結界。
それを逆さまにして何をするつもりなのか。
おおよその意図は想像できるが、断定するには検証が必要だ。
レイラインとしての北斗七星を裏返してビルを建設する。
「…………」
ヤバい感じがビンビンくるけれども、可能性が確定するまでは想像の域を出ない。
武蔵野の地霊をとことん挑発するような天道宗の呪術。
もう見えたよ、アンタ達の「やりたいこと」は。
あとはどうやって邪魔するかだけ。
次号のOH!カルトは天道宗特集第二弾にすると決めた。
ニヤリと、口の片方を持ち上げる。
天道宗の作った魔法陣の内側で、真っ青な空に向けて私は宣言する。
「テメエらの悪行なんざ全てお見通しなんだよ。首を洗って待ってろ」
ザアッと風が吹き渡る。
服の中でブルっと御守りが震えたのがわかった。
私は篠宮水無月。
来月発売のOH!カルトは是非とも購入していただきたいと願う、健全なイチ編集者である。

  • この記事を書いた人

やこう

ご乗車ありがとうございます。 車掌は怪談や奇談、洒落怖、ホラーなど、『怖いモノ』をジャンル問わず収集しているオカルトマニアです。 皆様も「この世発、あの世行き」の夜の寝台特急の旅をごゆっくりお楽しみください。

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