オリジナル作品 外国人労働者

外国人労働者07

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部屋の真ん中に立って小刻みに頭を動かす女の霊。

部屋の中に渦巻いていた靄はすっかり消え失せている。

女の霊の「あ゛っあ゛っ」という不快な声が部屋に響いている。

 

老師がお札と鈴を手にゆっくりと歩み寄る。

女の霊は動かない。

ただ立ち尽くして頭を振っている。

 

「△△!□◯◯△◯」

老師が何事かを唱えながら、女の霊の胸のあたりにお札を貼り付ける。

空いた手で印を結んで、貼り付けたお札にさらに何かを書き付ける動作をする。

女の霊が頭をガクンとうなだれた。

動けないようにしたのだろうか。

 

「□△、◯◯◯△、□□△」

また何事かを呟き、お経を唱えながら鈴を鳴らす。

 

チリーン

 

チリーン

 

老師はお経を唱えながら鈴を鳴らす。

 

チリーン

 

チリーン

 

「ハオ!◯◯△□」

 

しばらくそうした後、老師がハオさんに何かを言いつけた。

すかさずハオさんが何かを老師に手渡す。

箱だ。

弁当箱ほどの大きさの、木で出来ているのだろうか、黒く塗られて装飾が施された化粧箱のようなものを老師が片手で受け取る。

チリーンと鈴を鳴らして老師が床に箱を置いた。

 

「◯◯△!△□△△!」

何かを呟きながらうなだれる女の霊の鼻先で鈴を鳴らす。

 

チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン

 

早く激しく鈴を鳴らす。

と、女の霊が頭を上げた。

裂けた首元から血がダラリと溢れる。

そして、

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!」

 

凄まじい絶叫を上げた。

老師は早口にお経を唱えながら鈴を鳴らし続けている。

ハオさんも合掌し、老師に合わせてお経を唱え始めた。

 

女の霊の絶叫と鈴の音、そして老師とハオさんの読経の声が交錯し、部屋全体を音が埋め尽くす。

女の霊は苦しそうに、あるいは逃れるように身を捩り、頭を大きく振って悶えている。

何かに抵抗しているようだ。

と思ったその時、女の霊がズルッと引きずられるように下にずり下がった。

足元を見ると膝まで箱の中に埋まっている。

箱の大きさは弁当箱ほどしかない。

その箱に両足を揃えて捻じ込まれている。

どうなっているのだろうか。

箱に近づくにつれて女の霊の体が縮んでいっているようだ。

 

封じようとしている。

老師がお経と鈴の音を鳴らし続けている間、女の霊はズルッ、ズルッと箱に引きずり込まれていく。

そしてそれに抗うように絶叫し身悶えている。

女の霊が両手を伸ばして老師の首を絞める。

「ハオ!」

老師がハオさんに呼びかける。

すかさずハオさんが長い数珠のような物を女の霊の腕に巻きつける。

その途端ダランと両手が垂れ下がる。

お経と鈴の音は続いている。

両手を塞がれた女の霊が口からゴボッ!と血を吐き出す。

老師もハオさんも血に塗れるが怯まずにお経を唱え続けている。

 

「…………」

目の前で繰り広げられる中華式の除霊(?)に呆気に取られていたが、目の端にふと動くものが見えた。

揺らめくように現れたのはホンさんだ。

娘さんの姿はない。

ホンさんは困ったような焦ったような、それでいて苦しそうな顔で除霊の様子を見ている。

老師達の後ろからゆっくりと近づいていく。

絶叫する女の霊とホンさんを見比べる。

ホンさんは除霊を邪魔しようとしているのだろうか。

あるいは最初からそのつもりで?

老師達は気づいていない。

このままでは後ろからホンさんが何をするにせよ遅れを取ってしまう。

 

「くそっ」

思わず悪態をついて立ち上がる。

除霊中の老師達を迂回してホンさんに後ろから近づく。

俺に気づくことすらせず除霊の様子に釘付けになっているホンさんの肩に手を置く。

振り返ったホンさんの顔はやはり苦しそうだった。

その顔を見た途端、理解した。

「うう…ぐ……」

歯を食いしばって呻くホンさん。

目に涙を溜めて俺を睨みつけてくる。

 

悲しいんだ。

奥さんを失うことが辛いんだ。

「…………」

俺は黙って首を左右に振る。

邪魔してはダメだと、ホンさんの目を見つめて首を振る。

「ふ…ぐ…ぐう……!」

ホンさんの口から呻きが漏れる。

辛そうに顔を歪め、吐息ともつかない呻きを漏らす。

 

二度目だ。

ホンさんにとって奥さんを失うのは二度目なんだ。

一度目は気づくことすら出来ず、二度目は目の前にいるのに助けることが出来ない。

俺はホンさんの肩に置いた手に力を込める。

ダメなものはダメだ。

ホンさんの悲しみは理解できるが、もう奥さんはどうにもならないところまで壊れてしまっている。

封じて長い時間をかけて供養してやらないと奥さんの霊は成仏すら出来ない。

今だって奥さんの霊は苦しいはずなんだ。

死んだ時の辛さがそのまま残ってるはずなんだ。

だからあんなに狂ってしまったんじゃないか。

ダメだ、と再度首を横に振る。

いつのまにか俺も涙を流していたらしい。

顔を振った拍子に両目から涙が溢れ落ちた。

 

不意に女の霊の絶叫が大きくなった。

見ると既に腰のあたりまで箱に引きずり込まれている。

ホンさんが俺の手を振り払い近づこうとする。

俺はホンさんを後ろから羽交い締めにして動きを止める。

筋肉に覆われたホンさんの動きを封じられるとは思えなかったが、ホンさんは止まってくれた。

「……◯◯……」

涙声のホンさんが奥さんの名を呼ぶ。

女の霊はなおも絶叫しながらまた箱にズルッと引きずり込まれる。

もはや胸まで箱に埋まっている。

「……◯◯………◯◯……………」

いつのまにかホンさんが合掌して奥さんの名を呟いている。

俺はホンさんを羽交い締めにしていた手の力を抜いてホンさんを後ろから支えるような体勢になった。

 

女の霊はズルッ、ズルルッと力尽きたように箱に埋まっていき、やがて完全に箱の中に引きずり込まれてしまった。

蓋が開いたままの箱から、女の霊の髪の毛がはみ出している。

老師がその髪の毛を箱の中に押し込んで蓋を閉めた。

そして机の上に箱を乗せ、お札を何枚も厳重に貼り付けて封印した。

そして新しい線香に火をつけて消し、煙をたなびかせてから箱の前に立てた。

目の前にあったホンさんの巨体が揺らめいて消えた。

娘さんの元に戻ったのだろうか。

 

チリーンと鈴を鳴らして老師が箱に向かって静かにお経を唱える。

少しの間お経を唱えてから、こちらに向き直って「◯□」と言った。

ハオさんが間をおかずに「終わりました」と訳してくれる。

老師がまたボソボソとハオさんに話しかける。

それをハオさんが通訳する。

「先生は少し手を焼いたと言っています。あの女の霊は強い力を持っていました」

たしかに。

部屋中が荒れ狂ったり、俺を殺そうとしたり、実際のところかなりヤバい霊だったのは間違いない。

だが、それでも老師が圧倒していたように思う。

「カサネさん、大丈夫ですか?」

「え?…ああ…私は大丈夫です。もうなんともありませんよ」

そう言って右手でOKのサインを作る。

 

「では続いてホンさん親子を転生させるために、まずは成仏してもらいましょう」

そうだった。

そもそもホンさん親子をなんとかする案件だったのだ。

少し休憩した後、老師が立ち上がって儀式を始めた。

線香を焚き、お経を唱える。

程なくしてホンさん親子が姿を現した。

本日4度目の呼び出しである。

ホンさんは疲れたように力なくお嬢さんの手を握って、部屋の入り口から入ってきた。

 

老師の前に立つと小声で何事かを言って老師に頭を下げた。

老師も穏やかな声でホンさんに語りかけている。

恐らくは奥さんの供養をよろしくというようなことを話しているのだろう。

しばらくホンさんと老師の問答が続く。

老師が俺のことをチラッと見て、ホンさんにウンウンと頷いた。

 

ハオさんが呼ばれて老師に何事かを指示される。

「カサネさん、ホンさんとお嬢さんの成仏を手伝ってあげてください」

「は?」

思わず間抜けな声が出てしまった。

どういうことだ?

「ホンさんは、カサネさんに送り出してほしいと言っています」

「へ?…そりゃあどういう……いや、構いませんが……」

「ホンさんはカサネさんに感謝してると言っています。見ず知らずで言葉がわからないのに一生懸命やってくれたと。先程奥さんを封印してる時にも、ホンさんを止めてあげたでしょう?」

「ええ…まあ…」

たしかに。

ホンさんに殴られる覚悟で止めに入った。

ホンさんの心情を理解してやれたのも違いない。

それで気に入ってもらえたのだろうか。

「カサネさんのお経でなら大人しく成仏すると言っています」

なんと。

この期に及んで抵抗するつもりもないだろうに。

「わかりました。私がお経をあげさせてもらいましょう」

そう言ってホンさんを見る。

疲れてはいるが穏やかな表情のホンさんが片眉をヒョイっと持ち上げてみせた。

初めて見るホンさんのフランクな仕草に思わず口元が緩む。

 

ホンさん親子と向かい合って座る。

俺は正座で、ホンさんはワイルドに胡座をかき、お嬢さんを膝に座らせている。

「では…」

と軽く頭を下げて、お経を唱える。

合掌して数珠を擦り合わせ、お気に入りのお経に気持ちをたっぷり込めて唱える。

数分もしないうちにホンさんとの間に絆が出来上がっているのがわかった。

お経を通じてホンさんに心を伝える。

どうか安らかに、安心して後のことを任せてほしい、ホンさんの家族を思う愛情に敬意を表する、リーさんには罪を償わせて更生させるから、思い残すことなくあの世で奥さんを待っていてくれ、などなど思いのたけをお経に乗せてホンさんに伝える。

 

同時にホンさんの心が伝わってくる。

悲しみと安堵が心に満ちている。

救えなかった家族のこと、壊れてしまった奥さんが封印とはいえ安らかに眠れそうなこと、信頼できる僧侶に後のことを任せて旅立つことができること。

穏やかに澄み切ったホンさんの心が伝わってきた。

お経をあげる中でふと、お嬢さんの名前がリーユーであることがわかった。

可愛らしい女の子の「謝謝 (シェイシェイ)」という声が聞こえた気がした。

なぜか胸にこみ上げるものがあってお経をあげながら涙が溢れ出た。

ホンさんに笑われた気がして気恥ずかしくなる。

リーユーちゃんに向かってウンウンと頷いて見せると、リーユーちゃんもウンウンと頷きを返してきた。

可愛らしいその仕草にまた頬が緩む。

 

しばらくお経をあげていると、ホンさん親子が立ち上がるのがわかった。

行くのか、と心に念じる。

もう行く、ありがとうという気持ちが伝わる。

そして、自分達家族のことを覚えていてくれと言われた気がした。

忘れない、毎年5月の初めに必ずお経をあげるから、安心して成仏してくれと念じる。

ホンさんが笑顔で頷くのが見えた。

姿の見えなくなったホンさん親子の気配が薄らいでいく。

やがて完全に気配がなくなり、同時に線香が根元まで燃え尽きた。

 

お経を終えて立ち上がり、ふうとため息をつく。

と、ソファに座って見ていた老師がパチパチと手を叩いた。

ハオさんにボソボソと呟き、それをハオさんが訳す。

「お見事です。あんなに穏やかに成仏してくれるなんて、初めてホンさんを見た時には考えられなかった」

なおも拍手をしてくれる老師。

「いやあ照れますな…はは…霊能者の皆さんに囲まれながら除霊するなんて…」

今更ながらとんでもない環境だと思う。

伊賀野さんに吉冨さん、老師にハオさんと、並み居る霊能者の前で除霊するなんて、本業がお坊さんの俺には荷が重い。

が、もう終わったことだ。

何事もなく成仏してくれたホンさんに感謝だな。

 

そうしてしばらくの間、老師やハオさんに褒められおだてられ、日本の仏教の除霊方法なんかを質問されたりしていい気になっていた俺に、伊賀野さんが鋭い言葉のナイフを投げてきた。

「こら、いつまでも調子に乗ってないで帰る準備してよ。リーさんはともかく、その男の子は歩いて帰れるでしょ?」

グサッと刺さったナイフを胸の内にしまい、片付けをする伊賀野さん達を手伝う。

「…………」

思わず苦笑する。

たしかに調子に乗っていた。

僧侶としてはみっともない姿を晒してしまったな。

いかんいかん。

 

雪村君を起こす。

口から泡を吹いて倒れた割にはピンピンしていた。

リーさんは救急車を呼ぶわけにもいかないのでどうしようかと思ったが、なんと老師が引き受けるのでそのまま置いていって構わないという。

不法入国者のリーさんを老師がどうするのか気になったが、それでも言葉の通じないリーさんが罪を償うには老師の元にいるのが一番いいだろうと思い、お言葉に甘えさせてもらった。

雪村君の先輩には霊に殺されたとでも言っておけば良いだろう。

 

別れ際、最後の挨拶をしている時に、老師からテンドウという人物について聞かれた。

「テンドウを知っているか?」と。

俺も伊賀野さんも吉冨さんも全く知らない名前だったのでその旨を伝える。

そうか、気にしないでくれと老師は笑った。

 

駐車場で伊賀野さん、吉冨さんと別れる時、伊賀野さんがため息をついた。

「はあ。まあしょうがない、認めるわ」

「え?何を?」

伊賀さんは面白くなさそうにフムと息をつく。

「笠根さんの除霊よ。ああいう暖かい感じの除霊も効果あるのね。私にはない発想だわ」

「いやー、あれはもう、その前からホンさんとの関わりがあってのことですから」

「その関わりからして除霊だったってことでしょ?悔しいけど認めるわ。笠根さん、あなた凄い人だね」

「いやー…ははは…そう言われると…なんというか…」

「あのね、素直に褒めてるんだから素直に認めなさいよ。堂々とするところは堂々とする!男でしょ!」

「はは…はいはい…」

「そういうことだから、近いうちまた会いましょう。吉冨さんも笠根さんとお話したいわけだし」

「ですね、近いうちに是非」と吉冨さん。

「ええ、わかりました。落ち着いたらご連絡しますよ」

そう言って2人と別れた。

 

雪村君を見ると電話で先輩に事情を説明しているところだった。

頭をかきながらヘラヘラペコペコしている。

まったく、とため息をついて雪村君の肩を叩いて車に乗り込んだ。

  • この記事を書いた人

やこう

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