オリジナル作品 首くくりの町

首くくりの町  第8話

投稿日:2019年2月11日 更新日:

年が明けてからも怪異は続きました。
後ろをついてくる影。
恐ろしいうめき声。
しかし首吊りに関しては私の清祓きよはらい以降発生していませんでした。
私の清祓い、というよりシズ婆さんの祈祷が効いたのでしょう。

年始を迎えた篠宮神社は大変な数の参拝客の対応に追われていました。
前年に始まった怪異のために誰もが神仏の加護を求めて神社やお寺にお参りしていたのでしょう。
その気持ちはよくわかります。

当然のように私達兄弟も手伝いのために神社に行きました。
普段は身につけない神職の装束しょうぞくに身を包み、例年に類を見ない数の参拝客の整理や駐車場の誘導などを行なっていました。

年末の祈祷の後からずっと、シズ婆さんは元気がありませんでした。
もともと静かな人でしたし、落ち込んでいるという風でもなかったのですが、話しかけても上の空というか、何事か考え込んでいることが多くなっていました。

年始の初詣の日には、シズ婆さんは境内の中のストーブが設置された休憩所でお客さん達に挨拶をしていました。
例年には見ない光景でした。
おそらく年末からずっと、シズ婆さんは覚悟を決めていたのだと思います。

正月の三が日が過ぎてしばらくしたある日、再び怨霊調伏ちょうぶくの祈祷が行われました。
拝殿にはシズ婆さんと神主さん、皐月と私達兄弟、それぞれの家族と氏子さん達数名。
全員が緊張の面持ちでシズ婆さんの祈祷を見守りました。

前回と同様に怨霊が現れ、姿は見えぬものの恐ろしい唸り声をあげて私達を威嚇いかくしてきました。
私の足首のあざが痛み、血がにじみました。
シズ婆さんもまた前回同様に神懸りしてお堂の中を歩き回り、ある一点まで怨霊を追い詰めて祝詞のりとを唱えました。
記憶が曖昧あいまいで確かなことは言えないのですが、聞き取りにくい祝詞の中にこんなようなフレーズが入っているのがわかりました。

『……この身において………の無念を………たまわんと申す………思いを遂げし………祓いたまえ………』

そしてひときわ大きく大幣おおぬさを振ったシズ婆さんがその場にうずくまり動かなくなりました。
神主さんが引き継いで御神体ごしんたいに祈って祈祷が締めくくられました。
神主さんは祈祷が終わるとすぐにシズ婆さんの元に近寄って容体を確かめました。
私達もシズ婆さんの元に駆け寄ります。

シズ婆さんは眠っていました。
静かに寝息をたて、一見した限りでは安らかに眠っているようでした。
それきりシズ婆さんが眼を覚ますことはありませんでした。

救急車でシズ婆さんが運ばれていき、集まった氏子さん達も帰宅した後、私達は拝殿で神主さんと向き合って座っていました。
病院には皐月のお母さんが付き添っていきました。
私達も病院に行こうと言ったのですが、皐月と私達兄弟は残るようにと言われたのでした。
私の母も同席の上で、神主さんが私達に今回の祈祷の説明をしてくれました。

神主さんいわく、シズ婆さんは怨霊と向き合うために現世うつしよを離れたということでした。
祈祷の中で怨霊との対話を試み、可能性があるならそのまま霊体となって怨霊をしずめるための方法を探るつもりなのだそうです。

「そんな!じゃあお婆ちゃんは一人で怨霊と戦ってるの?」

皐月が悲壮感のにじむ声で言いました。
神主さんはため息とともに頷きました。

「戦う、と決まったわけじゃないが、まあそうだね。お婆ちゃんは私達のためにやってくれている」

「どうして止めなかったの?そうなること叔父さんは知っていたんでしょ?」

皐月がなじるように問いかけます。

「皐月、聞きなさい。お婆ちゃんはな、自分が全部終わらせるから、私はお前達や町の皆さんを守るようにと、そう言って……」

言いながらふいに神主さんの目から涙があふれました。
言葉をげずにうつむき片手で眼を覆って嗚咽おえつしました。
あまりに唐突な反応に私達は驚きました。

「叔父さん、お婆ちゃんが何をするつもりなのか知ってるの?」

神主さんは何も言わずに頷きました。
とめどなく涙を流す神主さんに皐月は強く迫れないようで、膝の上で手を握りしめてもどかしそうに身をよじりました。

「シズ婆さんは今どうなっているんですか?」

兄が皐月の代わりに神主さんに尋ねました。

「ああ……そうだね……」

俯いて嗚咽していた神主さんが涙をぬぐいながら顔を上げました。
その顔には憔悴しょうすいと悲しみが浮かんでいましたが、それでも私達と向き合う意思が感じられました。
その顔を見て私は、シズ婆さんは死地に赴いたのだと理解しました。
そしてそれを知りながら神主さんはシズ婆さんを止めず、私達のために残ってくれたことも。

「シズ婆さんは怨霊と向き合って、まずはその思いを理解したいと言っていた。怨霊が抱えている怨念、無念や怨みなんだと思うけど、それをなんとかして晴らしてやりたいと」

皐月は黙って聞いていました。

「知っての通りシズ婆さんはだいぶ高齢だから、もうすぐ自分の時が来るのがわかっていた。だから最後のお務めとして命をかけて怨霊と向き合うことにしたんだ。長いお勤めの中で神様と合一ごういつしてきたシズ婆さんだからこそ出来ることだ」

「お婆ちゃんは……死んじゃうの?」

皐月の声は小さく弱々しいものでした。

「よほどのことがない限り大丈夫だと思う。君達もさっき見たとおり、シズ婆さんは肉体的には眠っているだけだから」

その言葉で皐月はようやく少し安心した様子でした。

「シズ婆さんが心配していたのは、怨霊との関わりの中で時間がかかりすぎてしまうことだ。生者の時間感覚と霊の時間感覚は違うから、どれほどの時間がかかるかお婆ちゃんにも分からなかった」

「どういうこと?」

「このまま眠り続けて、お婆ちゃんに肉体的な限界がきてしまうことが唯一の心配事だと言っていたよ」

そうしてシズ婆さんは昏睡状態で入院し、私達は日常に戻りました。
その日を境に怪異も起きなくなりました。
シズ婆さんは見事に怨霊を押さえ込んだのです。

町を覆っていた不安の気配は徐々に薄らいでゆき、季節は流れ3年の月日が経ちました。
兄と皐月が高校二年生。
私が中学三年生の秋、シズ婆さんが亡くなりました。

怨霊との対話を始めてから結局一度も眼を覚ますことなく、家族や私に看取られながらこの世を去りました。
享年82歳。
米津医師はシズ婆さんの遺体を丁寧に確かめてから「寿命ですね。◯◯時◯◯分、ご臨終です」と言いました。

呼吸器と点滴と胃瘻いろうによる栄養補給で延命措置がとられていましたが、それでも徐々に弱っていったシズ婆さんは、やせ衰えてミイラのような姿になってもまだ生きていました。
しかし生命としての限界はとうに迎えており、いかに事情を知る病院であっても無理な延命をするわけにもいかなかったようです。
神様の加護を一身に受けたシズ婆さんは、人知を超えた働きの中でお役目半ばながらも天寿をまっとうし、この世を去りました。

シズ婆さんが息を引き取るその時、私達はシズ婆さんの病室に集まっていました。
ベッドで眠るシズ婆さんを囲んで、シズ婆さんが好きだったリンゴの唄を歌ったりしてその時を待ちました。

ふいに病室の中に甘い香りが漂いました。
私はその香りに覚えがありました。
あの時、お堂の掃除をしていた時に本殿の方から漂ってきた香りでした。
不思議なことにシズ婆さんの口から呼吸器が外れました。
まるでシズ婆さんがその香りを感じたいと思ったかのようでした。
シズ婆さんは二度、三度、浅い呼吸をし、そしてふーっと長く最期の息を吐いて息を引き取りました。

ピーーーーーという心停止を知らせる音が医療機器から鳴りました。
テレビなどで見たことのあるその光景に、シズ婆さんが亡くなったことがわかりました。

「お婆ちゃん!お婆ちゃん!……ごめんなさい……お婆ちゃん……ううう……うあああ………」

皐月がシズ婆さんに取りすがって泣きました。
神主さんは肩を震わせながらシズ婆さんに向かって深く頭を下げていました。
皐月のお母さんや周りの人達も皆泣いていました。
そしてそのままお通夜の準備が行われました。

時は遡りますが、シズ婆さんが眠りの中で怨霊との対話を始めて少し経った頃から、皐月が夢を見るようになりました。
その内容は一貫しており、連続していました。
それはシズ婆さんが誰かに殺される夢でした。
夢ごとに違うどこかの誰かが、シズ婆さんを痛めつけて殺すのです。
時には男性であったり女性であったり、複数人や子供の時もありました。
誰もが憎しみの表情でシズ婆さんを殴りつけ、首を絞めたり包丁や斧などでシズ婆さんを滅多打ちにしたりして最終的には命を奪うのです。

最初にその夢を見た時、皐月は泣きながら深夜に電話をかけてきました。
母が兄を起こして電話を取り次ぎ、尋常でない皐月の様子に兄は家を飛び出していきました。
私は翌朝になってそのことを知り皐月の家へと向かいました。
皐月は寝間着のまま居間で座っていました。
かたわらには皐月の母親と兄がいました。
父親はすでに出勤していったようでした。

兄から夢の内容を聞いている間、皐月は黙って俯いていました。
私達は皐月を慰めて励ましました。
怖い夢を見たんだろう、もう大丈夫だと。
その時はそれで終わりましたが、皐月はその後も同様の夢を数日おきに繰り返し見るようになりました。

何も抵抗せずになぶり殺されるシズ婆さん。
殺すのは毎回違うどこかの誰か。
皐月は日に日に暗く落ち込んでいきました。
私達は皐月がノイローゼになったのではないかと心配しました。

ある日皐月は神社で神主さんに詰め寄りました。

「あれはお婆ちゃんが怨霊に苦しめられている姿よ!叔父さんもそう思うでしょう!」

神主さんは皐月をなだめるのに必死でした。

「なんでわからないのよ!お婆ちゃんが苦しんでるのに何もしないわけ!?」

皐月は半狂乱になって叫んでいました。

「皐月、落ち着きなさい。落ち着いて……」

「今すぐお婆ちゃんを起こしてよ!今もお婆ちゃんは殺されてるんだよ?」

「もしもその夢が本当だとして……」

「本当に決まってるじゃない!!!」

皐月の悲鳴のような叫びに一瞬の沈黙が訪れました。

「わかってる……わかってるから落ち着きなさい。その夢の中でお婆ちゃんが怨霊に痛めつけられて殺されているとして、それをする事でお婆ちゃんが怨霊の無念を晴らそうとしているなら、止めることはできないよ」

「っ!……………………本気で言ってるの?」

皐月が唖然あぜんとして神主さんを睨みつけました。

「止められない?……なにそれ……人でなしどころじゃないよ……叔父さん……息子でしょ?」

怒りに震える皐月の迫力に皆が怖気付おじけづいていました。
あれほどに苛烈な雰囲気の皐月を見たのは後にも先にもその時だけです。

「皐月、よく聞きなさい。私だってお婆ちゃんが苦しんでいるのを知って辛い。おそらくお前が見ている夢は本物だ。でもお婆ちゃんが背負っているのは大切なお役目だ。誰かがやらねばならないからお婆ちゃんがやってくれてるんだ」

神主さんの目がみるみるうちに真っ赤になっていきました。
涙をこらえて皐月に語り続けます。

「お婆ちゃんは殺されるのを覚悟で怨霊との対話にのぞんだ。それは聞いていた。その決意と覚悟を、お前は可哀想だからと否定するのか?」

これには皐月もひるみました。
が皐月も反論します。

「一度や二度じゃないのよ!?毎日あんなふうに殺されるなんて……そんな覚悟してたわけないよ!」

「だとしても!」

今度は神主さんが叫びました。

「だとしても止めるわけにはいかないんだ!」

膝を叩きながら悔しそうに言いました。
いつもの穏やかな神主さんからは想像できないほどの大声でした。
神主さんの目から涙が溢れました。

「ここでやめてどうなる?また何人も死ぬのか?それからどうする?誰か犠牲になってくれる人を探すのか?」

真っ赤に充血した目で皐月を見つめる神主さんに、皐月も気圧けおされたようでした。

「私達がやらなければならないんだ!……お婆ちゃんはそれができるからやってくれてるんだよ……私だって……私に力があれば……」

そう言って神主さんは俯いてしまいました。
ほんの数秒、神主さんが鼻をすする音だけが聞こえました。
そして顔を上げて言いました。

「もしもお婆ちゃんだけでダメだったら、次は私がやる」

なんのことか一瞬わかりませんでした。

「私にはお婆ちゃんのような力はないけどね、それでも誰かがやらなければ。それでもし……」

神主さんは一旦言葉を切りました。
一瞬だけでしたが躊躇ちゅうちょしたようでした。

そして、

「もしも私でも終わらなかったら、ここにいる誰かに役目を引き継いでもらいたい」

と言いました。

「……………」

誰も一言も発しませんでした。

その場には皐月と私と兄、皐月の母親、そして数名の神職さんがいました。
この場にいる者でお役目を継いでいく。
怨霊の無念が晴れるまで嬲り殺しにされ続ける役目を。

お断りだ。
冗談じゃない。
誰もがそう思っていたと思います。
皐月を除いて。

翌日になって神職さんの一人が退職していきました。
私は翌日になっても気持ちの整理がつかず悶々としていました。
兄も同様でした。
シズ婆さんや神主さんの覚悟は大変立派だけれど、その覚悟を自分も持てと言われたら無理としか言えない。
神職さんですら逃げ出すそのお役目を、一体誰が継げるというのか。

私達は無言でシズ婆さんがいる病院に向かって歩いていました。
病室には皐月がいるはずです。
夢を見るようになってから皐月は毎日シズ婆さんの側で付き添っていました。
私達も同様にシズ婆さんの側で何を話すでもなく皐月に付き合ってシズ婆さんを見舞うのが日課でした。

しばらくして、皐月はよく出かけるようになりました。
毎週末の土日を利用してどこかに1泊してくるのです。
後でわかったことですが、皐月は神楽かぐらを習いに行っていたのでした。

九州各地や四国や本州の由緒ある神社を紹介してもらって神楽を習い、巫女としての素質を高めるための修行を繰り返していました。
有名な舞大夫まいだゆうさんを招いて篠宮神社の神楽殿で実践的な指導を受けていた時に私達はそのことを知りました。
この時すでに皐月の中には、シズ婆さんの後を継ぐのは自分だという決意が固まっていたのでしょう。

今だから言うわけではないのですが、私自身も次のお役目は自分かなという思いがありました。
覚悟や使命感など全くありませんでしたし、できるなら絶対に回避したいお役目でしたが、それまでの体験から考えて私がお役目に当たる可能性が高いと感じていました。
なぜか。
あの日、夢の中で神様と思しき誰かに言われたこと。

『皐月は可哀想だ。お前が支えてやるのだよ』

その言葉が胸の奥に残っていました。
それに私の足首にはまだ怨霊に掴まれた時のあざが消えずに残っていたのです。
シズ婆さんが祈祷で怨霊を呼び出す際も私の痣が呼び水になっていました。
他ならぬ私自身が、怨霊との繋がりを持ち続けていたのです。

皐月は数日おきにシズ婆さんの夢を見続けていました。
私達はシズ婆さんがどんな殺され方をしたか、皐月から全て聞いていました。
皐月は日を追うごとに落ち込んでいき、側で見ている私達も苦しかったので、皐月一人にその夢を背負わせるのは可哀想だということで、皐月に頼んで夢の内容を話してもらうようになったのです。

その頃から私達の関係に変化が現れ始めました。
中3になってすっかり垢抜あかぬけた兄が皐月と別れたのです。
兄は髪を茶色く染め、制服を着崩して、金森先輩と遊んだりするようになりました。
一年以上に及ぶ不安を忘れようとするかのように兄はチャラチャラするようになり、シズ婆さんの病室に来ることも少なくなっていきました。
兄は皐月と大人の階段を登りたいと望んでいたようですが、当の皐月がそれどころではなく、また、巫女の修行をする以上は異性との肉体関係は厳禁ということで、皐月と兄の間にすれ違いが生じていました。
結局皐月の方から別れを切り出し、幼馴染に戻ろうということになったようでした。
私はそれを皐月から聞いていました。
私としてはチャンス到来かという気持ちもあったのですが、もしそうなるとしてもこの怪異が解決してからだという思いは皐月と同じでした。

そうして皐月は巫女の修行に、兄はチャラ男道を邁進まいしんし、私はといえば特に何をするわけでもなく、以前と同様に神社の手伝いや掃除をして日々を過ごしました。
シズ婆さんの病室に行かない日は決まって神社で手伝いをしていました。
時間があれば神職さん達に混じって祝詞の勉強をしたり、滝に打たれに行ったりもしました。
あわよくばもう一度神様にお会いしたいという思いからでした。
後になって指摘されたことですが、私自身も充分に神職見習いと言える日々を過ごしていたのです。

  • この記事を書いた人

やこう

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