第六作 闇の鳴動

第四部 二話 老師2

投稿日:2021年4月11日 更新日:

翌日、俺は疲労の残る体で出社した。
全身の筋肉が限界まで酷使された感覚が残っている。
不思議なことに筋肉痛にはならなかった。
運動とは違う理屈のダルさなのだろうか。

まずは動画の生データを同僚に見せて意見を聞く。
「なんですかコレ?」
「気功だってさ。胡散臭いだろ?」
モニタではジャージ軍団が老師に転がされる様子が流れている。
「うん、胡散臭い」
「ところがだよ。実際に目で見ると凄いんだよ」
「先輩の撮り方がダメってこと?」
「いやいや。誰が撮ってもこうなるから」
ハンディでジャージ軍団をすぐそばから撮影した動画を再生する。
多少ブレる映像ながらも、全体を映したものよりはリアルな映像が撮れている。
「ああ確かに。アップで撮ると見え方違いますね。うん。良い良い。ジャージの人達が必死な顔してるのが良い感じ」
しばらく動画をチェックしていく。
「あれ?……これ先輩?……え?……ぶはっ!…なにこれ先輩チョーやられてるじゃん!ウケる」
俺が老師に転がされるのをハオさんが撮影した映像を再生すると、案の定、同僚は吹き出した。
「まあウケるよな。これだけ見たら。でもこれめっちゃ苦しいんだよ。息できないし」
「ほぇ~。じゃあこれマジなやつなんですか?」
「マジなんだよ。信じられないことに」
そう。
気功という、本来ならばとても信じられない現象を俺は昨日体験した。
身をもって老師の気を受けたのだ。
そしてタラチヒメ様のことを言い当てられた。
老師がどれほどのものか知らないが、笠根さんや伊賀野さんのような霊能者であることは間違いない。
そもそも笠根さんが老師に会いたくて俺を引っ張り込んだんだしな。
その笠根さんは昨日、しっかりと老師にアポイントを取っていた。
後日改めて老師に話を聞きに行くらしい。
その時には伊賀野さんや篠宮さんも連れて行くという。
老師とコンタクトを取るという笠根さんの目的は果たされたわけだ。

「予算と納期は?」
俺が転がされる映像をひと通り見終えた同僚が自分のデスクに戻りながら聞いてきた。
「撮影と編集で20~30万ってことだから、俺1人で1週間くらいで仕上げる感じかな」
「なるほど。私今週ヒマなんで手伝いますよ」
「お、助かる」
「いえいえ。週末の飲み代は先輩の奢りで大丈夫です」
「それが目的かよ笑。まあいいや、それでよろしく」
完成品に対する老師の評価が良ければ次につながるかもしれないしな。
クオリティを上げておいて損はない。
2人がかりとなれば予算以上の仕上がりになるだろう。
笠根さんの顔を立てるためにもお友達価格でサービスすることにしよう。
そんなようなことを社長にLINEすると了解の返信が来た。
週末の飲み会には社長も参加するらしい。
支払いを押し付けることができそうだと安心して、俺は同僚に編集方針と完成イメージを伝えた。

予期せぬ同僚のヘルプによって3日ほどで出来上がった映像はそれなりのクオリティとなった。
途中経過のチェックを兼ねて老師のインタビューを撮るために訪問したい旨をハオさんに連絡する。
翌日でも大丈夫とのことだったので伺うことにした。

指定されたのは横浜中華街の裏路地にある一軒の店。
看板などは掲げておらず、かろうじて両開きの引き戸に華華飯店と書かれている。
中華街のメイン通りにある煌びやかな店とは正反対の、まるで商売っ気のない寂れた料理屋。
時刻は16時。
まだ日は落ちきっていないのに裏路地にあるせいかやけに薄暗い。
メイン通りの電飾きらびやかな看板からの対比で余計に薄暗さが強調されている。
要するに非常に胡散臭い店構えだ。
「…………」
意を決してガラスの引き戸を開ける。
店内には日本語のメニューなど置いておらず、完全に常連の中国人客のみを相手にしている、本場仕様の古びた店だった。
「○○△?」
店内に入るといきなり中国語で話しかけられた。
声のした方を見るとエプロン姿のおばちゃんが俺を見ている。
「あの…ハオさんいますか?…あとコウ先生は……」
というとおばちゃんは「ああ」と言った。
「撮影の人だね?みんな奥にいるよ。ついてきて」
と流暢な日本語で言って俺を手招きし、振り返って店奥に歩き出した。
おばちゃんの後について行くと店奥の個室に案内された。

「…………」
個室に入って唖然とした。
赤い。
10畳ほどの個室はVIPルームだったのだろうか。
赤い壁に赤い床。
赤い円卓に赤い椅子。
所々に金色の装飾が施してある高級感たっぷりの内装。
先程の古ぼけた店内からはおよそ想像できない、金のかかった内装に軽く混乱する。
まるで店奥が別の店につながっているようだ。
いや、ここがこの店の本当の食堂ということだろう。
外観や先ほどの店内はカモフラージュか何かだ。
何のためのカモフラージュなのかはわからないが、とにかくそういうことなんだろう。
会員制高級レストラン的な何かだ。

円卓に座っているのは4名の男女。
そこにハオさんと老師を見つけて、とりあえず「どうも」とお辞儀をする。
「マエダさん!ようこそ!ハッハハハハ!」
ハオさんがすかさず立ち上がり、両手を広げて歩み寄ってくる。
相変わらずの大声とスーツ姿。
「どうもハオさん」
と応じるとハオさんが片手を差し出して握手を求めてくる。
握手をしてから老師に向かい再度頭を下げる。
今度はしっかりと目を見てちゃんとしたお辞儀をする。
頭を上げると老師はニコニコと俺を見て頷いた。
座ったまま首だけ回して俺を見ている2人の男女。
ハオさんと同じく30歳前後といったところで、おそらく老師の弟子か何かなのだろう。
2人ともスーツ姿で、ハオさんもいつも通りスーツで、老師だけがポロシャツにスラックスというラフなスタイルだ。
仕事柄服装自由な俺も当然ながら私服姿なわけで、何やらいきなり失礼をしてしまったような気がして背中がムズムズする。
古びた店内からの個室のギャップと、打ち合わせ中に押しかけてしまったような場違い感で、早くも帰りたくなってきた。
しかもタラチヒメ様のこともある。
なんでこんな仕事を受けてしまったのだろう、そもそも笠根さんが……と現実逃避を始めそうになったが、老師がスッと手を伸ばして椅子を示したので我に帰る。
見れば老師の隣の席が空いている。
ハオさんが座っていた席を開けて俺に譲ってくれたようだ。
「どうも…失礼します……」
そう言って老師の隣に座る。

「○○、○□○?」
老師が俺に喋りかけてくる。
「今日はインタビューですね!」
ハオさんがすかさず訳してくれる。
「ああ…そうなんです。先生のインタビューを撮らせていただいて、それで映像は完成するかなと……で、その前にですね」
鞄を開けてノートパソコンを取り出し老師の前に置く。
「先日の動画を編集したので、それをまず見ていただきたいなと」
8割がた編集の終わった映像を確認してもらい、直しがあれば対応する。
プロの制作会社相手ならともかく、素人相手にはこちらで完成系のイメージまで提示した方がわかりやすいからだ。
それで先方のイメージと合わない部分を修正していく。
たまに先方の希望イメージを読み損ねていて、大幅に直さなければいけなくなってガックリする場合もあるが、ほとんどの場合においてこのやり方がもっともスムーズで効率が良い。
今回もうまくいったようで、映像を見ながらハオさんや2人のお弟子さんから好意的な声があがる。
老師はニコニコと画面を眺め、老師の後ろからハオさんとお弟子さん達が覗き込んでいる。
「○○~♪」
「△△○□!」
「○○□□○○、□□」
何やら楽しそうに画面を指差して感想を言い合うハオさん達を見て、どうやらうまくいったようだと安心する。
老師は常にニコニコしているので、映像に満足してくれているかは不明だが、まあダメと言われることはなさそうだ。
10分ほどの映像の再生が終わり、ハオさんが両手を広げて俺に感想を伝えてくる。
「マエダさん!素晴らしいですよ!ハッハハハハハ!!」
お弟子さん2人も笑顔で頷いてくれる。
「ありがとうございます。この映像にインタビューを差し込んで完成しますので、ご協力よろしくお願いします」
俺からもお礼を返して、早速インタビューの準備をする。
円卓を壁際に寄せ、老師が座る椅子の位置を調整し、簡易的なライティングを設置して、三脚に乗せたビデオカメラを老師に向ける。

あらかじめ作成していたインタビューの原稿をスマホに表示させる。
質問する項目とある程度の回答は、事前にハオさんを通じて老師に確認してもらっている。
こういうことを尋ねますよ、というリストを提出して、ハオさんサイドで打ち合わせをしてあらかじめ回答をくれている。
撮影ではその原稿通りに質問し、その場のノリで回答を掘り下げたりしつつ、老師に自由に語ってもらうという段取りだ。
カメラの録画ボタンを押して赤いランプが灯ったことを確認し、俺から老師へと話し始める。

―――それではこれからインタビューを始めさせていただきます。コウ先生、今日はよろしくお願いします。
そう言って頭を下げる。
画面に映り込まないギリギリの位置に立ったハオさんが小声で老師に訳してくれ、それに対して老師が俺とカメラを交互に見ながら話す。
完全にカメラ目線で喋るなど素人には不可能だ。
多少たどたどしいくらいがリアルで丁度良い。
一呼吸置いてからハオさんが老師が喋ったことを訳してくれる。
編集のために少し間を空けてくれという俺の要望にしっかりと応えてくれている。
「こちらこそよろしくお願いします」
ハオさんの声のトーンが落ち着いている。
いつもの大声はなんなのだろうと思いつつインタビューを開始する。

―――まずはコウ先生の不思議な技について教えてください。
体の大きな男性がいとも簡単に転がされていましたね。
「あれは氣(キ)という力です。私達が生まれつき持っているパワーです」
―――私達、というのは人間がみんな持っているということですか?
「その通りです。氣は別に不思議な力でもなんでもなくて、ただの物理現象です」
―――物理現象ですか。
「はい。やってもらったことはありませんが、学者や医師による分析を受ければ、科学的に氣を説明することは可能であると思います」
―――なるほど。手品でもオカルトでもないぞということですね。
それでその氣というのは修行すれば誰でも使えるようになるのでしょうか?
「はい。誰でもできるようになります。もちろん向き不向きもありますから、全員が同じ水準に達するかはお約束できません。しかし鍛えれば鍛えるほど強くなるのは間違いない」
―――私でもできますか?
「もちろんできます」
―――どのような修行をすれば良いのでしょうか?
「私の氣を受けて、氣がどのようなものであるかを体感します。私のレッスンは理論でなく実践ですから、繰り返し行うことによって体が氣の感覚を覚えます。そうすれば自分で自分の氣を扱う段階に進むことができます。そこから先は秘密です」

そう言って老師は笑った。
インタビューは滞りなく進み、老師も興が乗ったのか多くを語ってくれた。
口調こそボソボソとしたものだったが、実ににこやかで楽しそうに見えた。
老師が語りハオさんが訳す。
お弟子さん2人は壁際に立ってウンウンと頷きながら老師のインタビューに聞き入っていた。

無事にインタビューを終えて機材を片付けていると、個室の扉が開かれエプロン姿のおばちゃんが入ってきた。
手には大きな皿を2つ持っており、それぞれに料理が盛り付けられている。
お弟子さん2名が手早く円卓と椅子を元の位置に戻して、おばちゃんが料理を置き、部屋から出て行ったと思ったらまた違う料理の皿を持って入ってくる。
シュポッという小気味の良い音に目を向けるとハオさんが瓶ビールの栓を抜いたところだった。
「マエダさん!お疲れ様でした!これから食事になりますので!マエダさんも食べて行ってください!ハッハハハ!!」
そう言って青島ビールの瓶を俺に手渡してくる。
「へ?……あ……いや……」
老師に目をやるとお弟子さんからビールを注がれているところだった。
突如として始まった宴会の様子に面食らっていると、さあさあとハオさんが俺の背を押して老師の隣の椅子に誘導する。
腕時計を確認すると17時30分を回ったところで、俺が到着してから2時間も経っていない。
会社に戻ってやることもある。
「あ……いや…ええと……」
どうやって断ろうかと考えていたら、
「△○、△○」
老師が手に持ったグラスを俺の方に寄せて来た。
「……はは…どうも……」
流されるまま俺も手酌でビールをグラスに注ぎ、老師のグラスに俺のグラスを合わせる。
老師がグイッとグラスを煽ったので俺も一口ビールを飲む。
今の老師の言葉。
雰囲気から察するにおそらくは「まあまあとりあえず一杯」的な言葉だとは思うのだが、それとは裏腹に「わかってるよな?」と言われているような気がして、俺は逃げ出したい気持ちを持て余しつつ席を立てない状況に陥ってしまった。
俺には老師に尋ねられたくない話題がある。
それは向こうも気づいている。
その上でこの展開。
実に日本人のことをよくわかっていらっしゃる。
この状況から守備よく逃げ出す方法を、俺は思いつかなかった。

次々に運ばれてくる料理と酒。
「○□!△△マエダさん○□。□△□!○○!!」
ハオさんが大声で乾杯の音頭を取り、老師もお弟子さん達もグラスを掲げてから一気に煽る。
途中俺の名前が聞こえたが、どんな内容なのか検討もつかない。
冷や汗をかきつつ俺もちびりとグラスに口をつける。
老師はニコニコとグラスを傾け、ハオさんやお弟子さん達は中国語でガンガン話している。
突如として外国に放り出されたような場違い感にひたすら戸惑いつつ目の前の料理に細々と箸を伸ばす。
時折老師が俺に話しかけてはハオさんがすかさず通訳する。
「マエダさんは中国に来たことはありますか?」
「結婚してるの?彼女は?」
「TV番組みたいな映像を作れるなんてすごいですね」
「映画も作るの?」
「今度、日本で起業してる中国人の社長を紹介するよ」
そんな感じの当たり障りのない質問に無難に対応していたら、幾分か場の雰囲気にも慣れてきた。
その頃合いを見計らったように、
「オバケを見たことはある?」
と外角スレスレのボールが飛んできた。
ついに来たぞこの話題が……。
ゴクリと唾を飲み込んで俺は、
「オバケっすか?……いやあ…ない…かな~?」
とまた曖昧マンに徹しようとした。
「でも、カサネさんに頼ったことがあるんでしょう?」
と今度はハオさんが聞いてきた。
老師の言葉を訳すでもなく、ハオさん自身の疑問を投げかけて来たのだ。
「…………」
どうしよう。
笠根さんの紹介である以上、2年前のあの件については知られている可能性が高いことを考慮するべきだった。
「あ…いや……」
「カサネさんはマエダさんの除霊が失敗したと言ってました。イガノさんが大変だったんでしょう?」
言葉に詰まる俺とは対照的にハオさんの言葉は淀みなく出てくる。
「それは…ですね…オバケではなくオニだったというか……まあそうですね……オバケっちゃオバケだったかも……」
ああ!とハオさんが声をあげる。
「失礼しました!日本人はオバケと鬼を区別しますよね!マエダさんに憑りついていたのはオバケではなく鬼でした!」
そう言ってから小声で老師に通訳するハオさん。
老師はウンウンと頷きながら聞いている。
「マエダさんは鬼という妖怪に憑りつかれました。カサネさんもイガノさんも失敗した。それでその鬼を自分で撃退した。それで合ってますか?」
「いや…自分でやったわけじゃ……」
言わせようとしてるのか?
タラチヒメ様のことを?
老師もハオさんも何も言わない。
お弟子さん達も黙って俺を見ている。
俺の言葉を待っているようだ。
「この前…老師が言っていた狐の妖怪っていう話…なんですけど」
何を言うべきか全くわからないまま、俺はなかばヤケになっていた。
言っても言わなくても、何がどうなるかさっぱりわからない以上、俺が取るべき立場は決まっている。
タラチヒメ様を怒らせることだけは全力で回避しなければならない。

「その御方は俺の故郷の神様なんですよ」
ハオさんが意外そうに目を丸くし、俺の言葉を通訳する。
老師の表情は変わらず、お弟子さん達は怪訝そうに眉を顰める。
「老師には妖怪に見えたかもしれないんですけど、俺にとっては神様なんですよね。子供の頃と2年前と、俺はその神様に助けてもらいました」
この言葉をハオさんの通訳で聞いた男の方のお弟子さんが声を張り上げた。
「○△!△△○□!」
中国語で何を言ってるのかはわからないが、お弟子さんの言いたいことはわかる。
老師が間違ってるというのか!って言ってるのだろう。
「俺の故郷の山に昔から祀られていた神様で……妖怪とか神様とか俺にはうまく説明はできないんですけど……まあとにかく神様です」
「○△!」
ハオさんの通訳を聞いてまたお弟子さんが何か言いかけるも、老師が片手を上げてそれを制する。
皆の視線が老師に集まる。
老師はニコニコしながらボソっと一言呟いた。
「それは失礼しました」
ハオさんが少し戸惑った様子で通訳する。
「□□△。○○□○△」
「マエダさんの神様を妖怪と言ったのは間違いでした」
「○○」
老師がペコっと頭を下げた。
「ごめんなさい」
ハオさんは怪訝そうに老師の言葉を俺に伝える。
お弟子さんはムッとした様子で俺を見ている。
「…………」
いやいやいやいやいや!
「あの…全然!そんなもう…謝ってもらうほどのことじゃなくて!……いや…あの…申し訳ないです」
老師の突然の謝罪に面食らって、俺は老師よりも深く頭を下げた。
顔を上げると老師はニコニコしながら俺を見ていた。
「△○?」
「許してくれますか?」
ハオさんの言葉を聞いて俺は大きく頭を縦に振る。
「いやもう全然!お気になさらずで」
「○△○。□□△」
「ありがとう。それではマエダさんの神様のことを教えてくれますか?」
ん?
老師がハオさんに向かってボソボソと話しかける。
ハオさんはウンウンと頷きながら老師とやりとりをしている。
男のお弟子さんはムッとしたままで、女のお弟子さんは真剣な様子で、老師とハオさんのやりとりを見ている。
どういう流れなんだこれ?

「先生はマエダさんの神様のことが知りたいと言っています!」
と、ハオさんが突然俺に大声で話しかけた。
「先生は最初にマエダさんの神様を見た時、とても恐ろしい妖怪だと思いました。でもそれは妖怪ではなく神様の間違いでした。だから先生はその神様のことをよく知りたいです。マエダさん、教えてくれますか?」
「え?…いやまあ…」
そのつもりで来た。
タラチヒメ様は故郷の山にいる神様で、俺はタラチヒメ様をを信仰していると宣言するために。
しかしそれ以上の何を言えば良いのだろうか。
俺にタラチヒメ様の何がわかるというのか。
「○○□△。マエダさん、△△○」
老師がニコニコしながら何かを言った。
すかさずハオさんが通訳する。
「今度は先生がマエダさんにインタビューします!ハッハハハハ!!」

「…………」
ハオさんのテンションが元に戻っている。
いきなり老師が謝罪したもんだから不穏な空気になったが、当の老師は相変わらずニコニコしているし、場の空気は完全に先程までの宴会モードに戻った。
タラチヒメ様のご加護だろうか。
老師が良い人なのはわかるが、お弟子さんの前で頭を下げられたら、俺みたいな若造にはたまったものではない。
未だに眉間に皺を寄せている男のお弟子さんに何か言ってやって欲しい。

「その神様の名前は?」
老師の質問が始まった。
これまで同様に老師が喋った内容をハオさんが訳す。
老師の言葉を訳す時は自然な声量になるようだ。
「えっと……天垂血比売(アメノタラチヒメ)様、という名前です」
老師がチラッとお弟子さん達に目を向ける。
すかさず男のお弟子さんが鞄から手帳を取り出してメモを取り始める。
女のお弟子さんがスマホを俺の前に置いた。
画面ではアプリが起動している。
おそらくは録音アプリか何かだろう。
そして女のお弟子さんもメモを取り始めた。

「どこの神様ですか?」
「狐が神様になったの?」
「マエダさんの故郷では皆が信仰してる?」
「その神様に助けてもらった経緯は?」
など様々なことを聞かれたが、そのほとんどに答えられなかった。
タラチヒメ様の来歴なんか知らないし、古事記も日本書紀も読んだことはない。
気になってネットでタラチヒメ様の名前を検索したりしたことはあるのだが、ろくな情報がないし情報の真偽も俺には判別つかない。
そもそもそういうのは篠宮さんに聞けば良いわけで、俺では役不足にも程があった。

俺が答えられたのは俺自身の経験だけだ。
「どこが本拠地の神様かというのはわからないです。ただ俺の故郷は関西の山奥なんですけど、その辺の山全体が聖域みたいになっていて、人間は入っちゃいけない決まりになってます」
そこに馬鹿なガキが遊びで入って神隠しに逢ったと。
遠い記憶を思い出し罪悪感がチクリと疼く。
あの時一緒に山に入って帰ってこなかったあいつらのことは一生忘れないが、記憶の中ではもう顔もぼんやりとしか思い出せない。
あいつらだけじゃなく故郷の村のこともかなり曖昧になってきている。
だが山の中で最後に聞いた「待ってよ!」という声だけは未だ鮮明に耳に残っている。

チクリと胸が傷んだのも一瞬のことで、俺は説明を続ける。
「俺の故郷の皆が信仰していたかというと、どうも違う気がします。山に入っちゃいけないということが重要で、それこそ子供には「山にはモノノケがいるから入るな」と教えていましたから」
老師がホッホっと笑った。
「○○△、□□〇〇△、〇□△△」
「ハッハハハハ!!!」
老師の言葉に爆笑するハオさんとお弟子さん達。
「先生が間違えたのは、先生の心が子供のように素直だからですね、と言っています!ハッハハハハ!」
「…………」
なに言ってんだ?
と思ったが俺もそこは乗っかって笑っておく。
たゆまないヨイショこそ上下関係の潤滑油なのは日本も中国も変わらないようだ。
老師の自虐ボケを皆で持ち上げて、和やかに逆インタビューは進んだ。

子供の頃に神隠しにあったこと。
何故か俺だけ戻してもらえたこと。
その事件が原因で呪いをかけられていたこと。
大人になって呪いが発動して鬼につきまとわれたこと。
笠根さん伊賀野さんに頼るも祓えなかったこと。
死人が出たこと。
もう無理だとなって、どうせ殺されるなら鬼なんかより故郷の神様に食われて死のうと思ったこと。
都内の山に入ったら故郷の山に呼び寄せられて、そこで神様が鬼を食ってくれたこと。
そしてつい最近、依代として遥拝に参加したらまた呼び寄せられて死ぬほどビビらされたこと。
それを老師の質問に答えながらじっくり話していたら、あっという間に2時間ほど経っていた。
「今度、笠根さんと会う予定ですよね?その時に篠宮さんというライターの女性が一緒に来ますんで、タラチヒメ様の詳しいことはその人から聞けると思いますよ」
そう言ったら老師はニコニコと大きく頷いた。

中華街を出てフウとため息をつく。
乗り越えた。
俺自身の体験談で満足してくれた老師は最後まで機嫌良さそうにホッホッホと笑っていた。
俺自身も老師に引け目を感じるところは無くなった。
誠心誠意、真心を込めて動画を完成させよう。

なんとなく故郷の方角かなという空に向かって手を合わせる。
俺は試練を乗り越えましたよ。
だからどうか祟らないでください。
放っておいてください。
ごめんなさい!
タラチヒメ様へ祈りを捧げる。
まさか祈って怒られることもないだろうが、本当ならちゃんと参拝してお参りするのが筋だ。
だがタラチヒメ様を御神体としている神社はネットでは見つけられなかった。
故郷には近寄るなと言われているし、そもそも山に入れない。
毎度毎度篠宮母に頼るわけにもいかないし、こうして故郷の方角に手を合わせるくらいが俺の精一杯だ。

スマホを取り出して時間を確認する。
20時を過ぎたところだ。
会社に戻るのは諦めよう。
由香里から仕事が終わった旨のLINEが来ている。
京浜東北線の関内駅への道を歩きながら由香里に電話する。
「はーい。仕事終わった?」
「俺は試練を乗り越えたぞ」
「え、なに?どんなテンション?」
スマホ越しにクスクスと笑う由香里の声が聞こえる。
聞き慣れた由香里の声のはずなのに、なぜかあの恐ろしい笑い声を思い出して全身に鳥肌が立った。
「もしもし?」
「いや…なんでもない」
気のせいだ。
気のせい、ということにしよう。
何もなかった。
「浩二?電波悪いのかな?」
「いや大丈夫。今横浜で仕事終わってさ、これから帰るところ」
「お疲れ様。あのね――――」

関内駅に着いたので由香里との通話を終了する。
さっき感じた寒気。
由香里のクスクスと笑う声にすら反応してしまった。
思っていた以上に俺は恐れているのか。
「…………」
いや。
もしかしたら。
嫌な想像が湧き出して、胃の奥が重くなる。
老師がタラチヒメ様を見たと言って、妖怪だと勘違いした。
それを俺が訂正して、老師がすぐに謝ってくれた。
そんなイレギュラーな状況を、タラチヒメ様が見ていないはずがない・・・・・・・・・・
もしかしたらあの時、老師はタラチヒメ様のプレッシャーを感じたんじゃないか?
だからあんなにあっさりと受け入れたんじゃないか?
全く突然、俺の脳裏に自分の言葉が蘇った。
老師がいきなり謝ったことにテンパって、つい口走ったことだった。
今の今まで忘れていた。
気にすらしていなかった言葉。

『あの…全然!そんなもう…謝ってもらうほどのことじゃなくて・・・・・・・・・・・・・・・・!……いや…あの…申し訳ないです』

「…………」
謝ってもらうほどのことだった・・・・・・・・・・・・・・から老師はすぐに謝ったんじゃないか?
老師にはタラチヒメ様が見えていた。
神様が機嫌を損ねた時のプレッシャーを、あの恐ろしい視線を感じたんじゃないのか?
「…………」
謝ってもらうほどのことじゃない。
一体どの口がそう言ったんだ?
その言葉を言っていいのはタラチヒメ様だけだ。
「…………」
冷や汗が噴き出してくる。
気にしすぎだ。
大丈夫だ、大丈夫。
気がつけば足が震えていた。
ここは関内駅。
視線の先に改札があって、周りは喧噪に満ちている。
それなのに、あの濃密な木と土の匂いが蘇ってくる。
風の音しか聞こえない、山にいるすべての獣が息を潜めているかのような静寂が聞こえる。
「…………」
なぜ老師はあんなにタラチヒメ様のことを聞きたがった?
俺がタラチヒメ様のことを説明すると、すごいですねとか、日本の神様は奥が深くて面白いねとか、そういうわざわざ大袈裟に褒めそやす・・・・・・・・・・・・・・ようなリアクションを取っていなかったか?
それってもしかしたら、あの場でタラチヒメ様のご機嫌をとる必要があったからじゃないのか?
「…………」
全部俺の妄想だ。
それでも冷や汗が止まらない。
ガタガタ震える俺を見て周りの人が気持ち悪そうにしている。
何か、しなければ。
全部妄想だったらそれでいい。
だがもしも俺の妄想が半分でも当たっていたら、俺は今、相当ヤバいことになっている。
テンパってただろうがなんだろうが、神様の言葉を勝手に代弁してしまったのは致命的なミスだ。
「…………」
本当に致命的。
マジで命を失うかもしれない失敗だ。
迂闊だった。
なんで俺はあんなことを口走ったんだ。
眷属と言われていい気になっていたのか?
老師にわかってもらうしかないとか、俺みたいな三下が何を調子に乗っていたんだか。

改札には向かわず駅から出て人気のない道を探す。
人の多い駅前から離れるように震える足でフラフラ歩いていたら、ふと赤い鳥居が見えた。
『横浜辨天』と書かれている。
辨天…読めない…弁天様だろうか?
頭を深く下げて鳥居を潜る。
とりあえずお参りをして、「すいません場所をお借りします」と祈る。
何人かの参拝客がいる境内の中でなるべく人目につかない場所を探す。
その場でスマホの地図アプリを起動して故郷の山の方角を正確に調べる。
故郷の山に向かって跪き、頭を地面に擦り付ける。
周りで参拝客が何か言ってるのが聞こえるが、構っていられない。
体の震えが大きくなる。
致命的な状況を前に俺は腹を括って祈る。

天垂血比売様。
私、前田浩二は先程、あなた様に対して大変失礼な発言をしてしまいました。
全てご覧になっていらっしゃったとは思いますが、あの高齢のコウ老師がいとも簡単に頭を下げたこと、それによってお弟子さんが怒りの視線を私に向けたこと、そういった突然の事態に取り乱し、老師の謝罪を軽いものにしようと思ってしまいました。
謝ってもらうほどのことじゃないとの言葉は、私なんかに謝ってもらう必要がないという意味で使ってしまった言い間違いであり、決してあなた様を軽んじての発言ではありません。
しかしながら、結果としてあなた様の御言葉を勝手に代弁する形になり、そもそもそんな資格すらない私が軽はずみにもしてしまったことは大変に畏れ多いことで、誠に申し訳なく思っております。
眷属にしていただいたことに愚かにも思い上がっており、老師を説得すべきかのような心得違いをしておりました。
このあまりにも愚かな―――

「阿呆」
という声がして体が飛び上がった。
まさかタラチヒメ様かと目をきつく閉じて念じる。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!

「顔を上げろ」
そう言われて恐る恐る目を開き、少しだけ頭を上げる。
タラチヒメ様かと思ったが、どうにも声が違う。
また少し身を起こすと目の前には赤い靴。
あれ?
完全に体を起こして見上げると、いつぞやの無愛想な少女が俺を見下ろしていた。

「阿呆。お前が眷属として中国人の坊主の勘違いを正すのは当然のことだ。問題などない。坊主がタラチヒメを神と認めて敬ったのもお前が考えた通りだ」
「あれ?…あ……え?」
唐突すぎて頭がついてこない。
なんでここに?
少女は変わらぬ無表情で俺を見下ろしている。
「それに言い間違いぐらいで神が怒るわけないだろう。タラチヒメはただお前に気づかせただけだ。それはお前がすぐに狼狽してタラチヒメを楽しませるからだ」
「え……いや……」
少女が言っていることはわかる。
だが理解が追いつかない。
少女の表情が僅かに動いた。
「狼狽したお前がわざわざ弁財天の境内で明後日の方角を向いて何の宗教かもわからない祈祷の真似事をしているのを見て腹を抱えているのだろう。よくもあんなキチガイに目をつけられたものだ」
「え?……それって……つまり……」
「お前の恐怖は遊ばれただけだ。よかったな。もう簡単に狼狽えるな。それからあの坊主には気をつけろ」
「遊ばれ……え?」
「まったく。言わねばならないことが最後になった。これで先日の礼はしたからな。あとは知らん」

そう言った直後、少女の姿はどこにもなかった。
俺は少女を見つめていたのに、消えたのが分からなかった。
まるて初めからいなかったかのように消えた。
「…………」
まさか夢だったのだろうか。
ありえない。
恐怖で震えながら土下座しているのに眠るなんてどう考えても無理だ。
ということはあの少女は確かにここにいたのだ。
あの少女が言っていたこと。
老師を説得するのは間違っていなかった。
タラチヒメ様は怒ってない。
むしろ笑って………。

「……嘘だろ……」
ため息が言葉として口から漏れた。
全身から力が抜ける。
そして、
「よかったぁぁぁ…………」
長いため息を何度もつかないと、この安心感と脱力感は落ち着かなかった。

改めて参拝してお礼とお詫びを伝え神社を出ると、老人に声をかけられた。
「こんばんは」
その人には覚えがあった。
篠宮さんの実家でタラチヒメ様を遥拝した時に参加していた老人だ。
150センチほどの小柄な体で、茶色い背広にストローハットを被った、いかにも老紳士という身なりが印象的なのでよく覚えている。
「あ…どうもこんばんは」
そう言って軽く頭を下げる。
老人はチラッと境内を見て、
「なにやら面白いことをなさっていましたね」
と笑った。
「いや…まあ…お恥ずかしい限りで」
この老人も見ていたようだ。
まあ夜とはいえ人目がある時間で通行人や参拝者の注目を集めていたし、境内の隅っこで土下座してブツブツ呟いてるという奇行をした手前、変人扱いされるのは仕方ない。
こんな所からはとっとと退散するに限るが、この老人が声をかけてきたということは、あの少女と関係があるということだ。
「あの、さっき少女の姿をした神様に声をかけられたんですが」
老人はウンと頷いた。
「ええ。見てましたよ。私は先日のお礼ということで神様から助言を伝えるように言われて来たんですが」
そう言ってハットを取り苦笑する。
「前田さんがあまりにも可哀想だったので、神様が直接お出ましになられたんですね」
「はあ」
「では私もひとつサービスということで」
老人が手を差し出して来た。
握手かと思って老人の手元を見たら名刺を持っている。
「松野と申します」
「あ、これはどうも」
「ご連絡いただければ神様にお伝えすることをお約束します。ただし、お力になれるかどうかは保証できません」
それに、と続ける。
「よほどのピンチにならない限り連絡しないでくださいね。タラチヒメ様に睨まれたくありませんから」
そう言って口の端を持ち上げて笑った。
「では」と帽子を被り直す松野さん。
「ご縁があればまたお会いしましょう」
そう言ってタクシーを呼び止めて乗り込んで行ってしまった。

「…………」
老師にタラチヒメ様に少女の神様に松野さん。
今日はもう色々ありすぎてめちゃくちゃだ。
それにしても。
「…………」
先ほどまでの恐怖を思い出して、何度目かもわからないため息が出る。
由香里との電話で感じた寒気。
やはりあれはタラチヒメ様の恐ろしい視線を感じたからだったのか。
少女の言葉によればタラチヒメ様は別に怒ってるわけでもなく、俺の様子を見て笑っていただけだと。
あの視線と寒気で俺に「気づかせた」。
篠宮さん風に言うと「ひと睨み」されたわけだ。
「…………勘弁してください」
最後に故郷の方角に向けて頭を下げた。
通行人の視線が痛かった。

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やこう

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