山に入れなくなった話朗読バージョン

山に入れなくなった話【朗読用】  第3話

投稿日:2021年8月29日 更新日:

暮れ始めた街はまだ明るく少し不安が薄れるが、漠然とした焦りのような感覚が足を動かす。
仕事をしすぎたせいか肩が少し重い。
揉みほぐしマッサージに行こうか。
渋谷に着いてもやることなんかなくて、あちこち行ったり来たりしながらひたすら歩いた。
肩が重い。
特に右肩が凝っているようだ。
ふと気がつくと代々木公園に戻ってきていた。
犬を連れている老人が歩いてくる。
カップルや学生が楽しそうに話している。
ベンチに座ってワンカップを飲むサラリーマンが見える。
いつもの光景だ。
「おいあんた」
犬を連れた老人とすれ違うときに声をかけられた。
「大丈夫か」
何が大丈夫かと老人を見る。
老人は俺の肩を見ている。
右肩を見るとシャツに泥が付いていた。
かなりの量がべったりと張り付いている。
困惑しつつも、どうりで肩が重かったわけだと納得して泥を振り払う。
そしてシャツに残ったシミを見て鳥肌が立った。
シャツの肩の部分に4本の筋ができていた。
後ろから前にかけてやや広がる形。
これ、手形じゃないのか?
どう見ても後ろから肩を掴まれた形に見える。
その形に泥が載っていたのだろうか。
吐き気がする。
嫌な匂いがシミから漂っていた。
「あんた、お参りしてきなさい。凄く変な顔してるよ。顔色も良くない」
老人はそう言って犬を連れて去った。
すぐ近くに代々木八幡宮よよぎはちまんぐうがある。
老人の背中に目をやると腰から赤い御守りがぶら下がっていた。
念のためにお参りしていくか。
御守りも欲しい。
肩は相変わらず重い。
不安が蘇ってくる。
頭の後ろがガンガン鳴っているような気がする。
怖い。
薄暗くなり始めた道を急ぎ足で代々木八幡宮へ向かう。
初めて行った代々木八幡宮は都心に似つかわしくない鬱蒼とした雰囲気で結構怖かった。
お参りしてから厄除けの御守りを購入する。
手に持って御守りの感触を楽しみつつ神社を出る。
鳥居をくぐったところで、手の中でパキッと音がして御守りが割れた。
何も考えてはいけない。
気にするな、たまたまだ。
神社に戻って厄除け以外の御守りも全種類購入する。
丁寧に鞄の奥にしまってから鳥居をくぐって道に出る。
何も聞こえない。
大丈夫だ、大丈夫。
翌日も行ける限りお寺や神社を巡り、御守りやおふだを買いまくった。
怪訝な顔をして俺を見る坊さんや神職の目を避けるようになるべく急いで御守りとお札を買ってまわった。
鞄がパンパンになり、一旦会社に戻って机の上に御守りとお札を並べる。
「なんすかソレ」
同僚の女の子が聞いてきたので資料だと言っておいた。

再び電車やバスを駆使して近隣の寺社を周り、夕方に会社に戻ると机の上の御守りとお札が全部なくなっていた。
「あれ?御守りどうした?」
同僚に聞く。
「なんすかー?」
「いや、机の上にあったろ、御守り」
「ああさっきの、てかまた買ってきたんですか?」
「沢山必要なんだよ。そんでここにあった御守りどうした?」
「どうもこうも、手ぇつけてないっすよ。机の中じゃない?」
引き出しを開ける。
何もない。
「おい、冗談やめろって笑」
同僚の椅子の背もたれを掴んで揺らす。
パソコンに向かっていた同僚がこちらに向き直る。
「やーめーて。なんもしてないっすよ。社長じゃない……ってか先輩、なにそれ」
同僚が俺の肩を指差す。
吐き気がした。
右肩に泥が付いていた。
昨日と同じ形だった。

すぐに会社を出て自転車で代々木八幡宮に向かう。
なんでもいいから神社の人に相談したかった。
飛ばしすぎたせいか息が上がる。
信号で止まり肩で息をする。
吐き気が凄い。
今日は何も食べていないのに胃が何かを吐き出そうとしている。
耐えきれず自転車から降りて排水溝の蓋に吐き出すと黄色がかった胃液が大量に出てきた。
胃が荒れているのか少し泡立っている。
再び吐こうと身をかがめた瞬間、横から凄いスピードで自転車が突っ込んできた。
頭に衝撃を感じて意識が飛んだ。

どうやら救急車に乗せられているらしい。
痛む頭を救急隊員が手当てしている。
そのまま病院に運ばれて検査を受けるらしい。
少しの間とはいえ頭を強く打って気絶していたので、その日は病院に泊まっていくことになった。
病室に寝かされた俺のところに女性の看護師さんが入ってきて俺の鞄を枕元の台に置いた。
病室はカーテンに仕切られたベッドが4台がある大部屋で、使っているのは俺の他には爺さん婆さんのようだった。
老人ホームに入ったような気がした。
「あの」
看護師さんは何か言いにくそうにして、そのまま出て行った。
明日は休むと会社に連絡しようと思って鞄の中のスマホを取り出す。
鞄を開けると、中に入れていたはずの御守りやお札が全てなくなっていた。
周りの爺さん達は眠っているようで、俺は声を小さくして会社に電話した後、実家に電話した。
母親の声を聞きたくなったのだ。
「母ちゃん覚えてるか、俺がガキの頃、神隠しにうたやん」
「んー?ああ覚えとるで。そのせいで町におられんようになったんやわ」
「あんな、俺、最近ちょっとおかしいねん」
「なんで?山に入ったんか?」
「いや、入ってへんけど」
「なんや。そしたら何がおかしいねん」
「いや、なんか具合が悪いというか」
言葉に困った。
取り憑かれたかもしれないと言えなかった。
「まあ今度うちに帰っておいで。お父さんも喜ぶやろ」
わかった、と伝えて電話を切る。

スマホの画面を見ると20時だった。
検査で随分と待たされたからすっかり夜になってしまった。
今日は寝るしかない。
明日早いところ退院してお寺か神社に行こう。
その時、隣のベッドでギシと音がした。
隣で寝ている爺さんを起こしてしまったのだろうか。
すいません、と心の中で呟いてスマホを枕の下にしまう。
また隣でギシといった。
しばらく目を閉じて眠ろうとするがなかなか眠くならない。
ギシ…ギシ…と隣のベッドで音がする。
爺さんがトイレに行こうとしてるんだろうか。
ギシ…ギシ…ギシ…ギシギシギシ……ギシギシギシギシ………
ベッドが軋む音がどんどん大きくなる。
なんだこれは、と思う間に俺と爺さんの反対側のベッドでもギシギシ音がし始める。
さらにその隣のベッドもギシギシいったかと思うと、ガタガタガタガタ!!と大きな音を立てて揺れ始めた。
俺が寝ている以外の3台のベッドが物凄い勢いで揺れているのだ。
暴れているといってもいい。
暴れているのは爺さん婆さんか、はたまたベッド自体が———。
そう考えた途端、部屋全体が轟々ごうごうと音を立てて揺れ始めた。
大きな地震のようだった。
カーテンが揺れ点滴が倒れる。
右肩が思い切り握りしめられたように痛んだ。
左手で右肩を押さえつつ俺はナースコールを探した。
部屋が揺れる音以外にも人の唸り声のような低い音が部屋全体に響き渡っている。
頭の上にナースコールを見つけて手を伸ばす。
カーテンの向こうから手が伸びて、ナースコールを押そうとしている俺の腕を掴んだ。
「ううううう!!!」
恐怖でパニックになりながらナースコールを押す。
俺の腕を掴んでいる手は物凄い力で、俺の腕を握りつぶそうとしているようだった。
そして揺れるカーテンの向こう、手の先には肩が見え、黒い髪のようなものが。
そして一瞬大きくカーテンが揺れて顔が見えた。
「ぐううううう!!!」
あの女の子だ。
何年も前の心霊番組で取り憑かれ行方不明になった木崎美佳きざきみか
あの映像のままの格好でそこにいる。
しかも一瞬見えたあの目はまさに、あの常軌を逸したグルグル回る気持ち悪い三白眼さんぱくがんだ。
滅茶苦茶にナースコールを連打しているとようやく看護師さんが来た。
その瞬間、轟音はやんで揺れも治った。
まるで何事もなかったかのように夜の病院は静まり返っている。

もうダメだ、取り憑かれてるんだ。
御守りもダメ、相談しに神社へ行こうとしたら吐き気に襲われ、気がつかないところから自転車に跳ねられ病院送りだ。
今日一日で色々なことが起こりすぎている。
このまま夜を越せるのか?
無理に決まってる。
次に何かが起きるまで寝てられるのか?
ガタガタ震える俺を見て看護士さんが心配そうに声をかけてきた。
「あの、大丈夫ですか?」
入院患者に向かって大丈夫ですかとは妙だなと思った。
「鞄…空いてたんで見えちゃったんですけど…」
看護師さんは言いづらそうにしながらも言葉を続ける。
「御守りとか…さっきあんなに沢山持ってたのに全部なくなってるなんて初めてで……今も…いる…っていうか……ごめんなさい…こんなこと言ったらいけないんだけど……」
「いるって…見えるんですか?」
看護師さんは小さく頷いた。
「昔からそうなんですけど…あなたの場合…割とはっきり……ですね」
「怖くないんですか?」
「怖いですよ……凄く怖い……窓のすぐ外にいますから」
窓の外を見る勇気はなかった。
「でも…心配っていうか……なんとかしないと多分ヤバそうで……」
「なんとかって、できるんですか?お願いします。なんとかしてください」
思わずそうまくし立てた。
「今から来てくれるかわからないんですけど、そういう人に知り合いがいて、連絡してみますか?」
「お願いします!すぐに来てもらいたい。今日も神社に向かっていたんです。そしたらいきなりハネられて」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」

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やこう

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