山に入れなくなった話朗読バージョン

山に入れなくなった話【朗読用】  第5話

投稿日:2021年8月29日 更新日:

笠根かさねさんと別れたあと、俺は夜間出入り口から病院内に入った。
病棟まで戻ると斎藤さんが俺を見つけて近寄ってきた。
「どうでしたか?」
心配そうに聞いてくる。
優しい人だ本当に。
「おかげさまでなんとかなりそうです」
そう言うと彼女はホッとしたようにため息をつき「よかった…」と言った。
惚れてしまいそうだった。

病室に戻るのは若干怖かったが、笠根さんの言葉を信じてベッドに横たわる。
あっという間に疲れが襲ってきて、何を考える間もなく俺は意識を手放した。
朝まで熟睡できたのは数珠のおかげだったのだろうか、翌朝目を覚ますと疲れは綺麗サッパリ消えていた。
起き抜けなのに思考は明瞭で何をすべきかすぐに理解して行動に移す。
朝の健康チェックと朝食を済ませて退院する旨を看護師さんに伝える。
医師の判断を仰がなければダメだと言われたが半ば強引に手続きをして俺は病院を出た。
時刻は9時。
笠根さんはまだ到着しないだろう。

「前田さん」
声をかけられて振り向くとちょうど夜勤明けの斎藤さんが病院から出てきたところだった。
「よく眠れましたか?」
朝の光を浴びて爽やかに微笑む斎藤さんにお辞儀をして挨拶する。
「おはようございます。昨夜は本当にありがとうございました」
「いえ、昨日は本当に私も怖くて、ナースコールが押された時、あ、ヤバイって思ったんです笑」
「あの時は本当に死ぬかと思いましたから、斎藤さんが来てくれて治まったから助かったんですよ」
「いえいえ、私じゃなくても治まってましたよ。ああいうのは基本的に人目を避けるんです」
「今は?何か見えますか?」
斎藤さんは昨日の笠根さんのように俺の周囲を目で探り「いいえ、なにも」と言った。
笠根さんが来るまで一緒に待ってくれると言うので病院を出たところにある喫茶店に入った。
朝だというのに結構客が入っている店内は賑やかで不安を払拭させる。
昨日は恐れに振り回されるようにあちこちの寺社を回っていたが、今日は朝から笠根さんを待っている。
しかも斎藤さんと一緒に。
大した変化だと思った。

しばらく話していたらヴヴヴとスマホが鳴った。
液晶には笠根さんの名前が表示されている。
出ると笠根さんの声がスマホから聞こえてきた。
「もしもし、おはようございます。昨夜は大丈夫でしたか?」
「はい、おかげさまで何事もなく無事でした」
「それは何よりです。私今駐車場に到着したんですが、前田さんどちらにいらっしゃいますか?」
「喫茶店にいます。すぐに出ますのでそのまま駐車場にいてもらえますか?」
「了解しました」
電話を切って立ち上がる。
斎藤さんも出る準備をしている。
二人分の会計を済ませて喫茶店を出る。

駐車場に行くと笠根さんが車から降りて待っていた。
昨日と同じようなシャツにジャケットというラフな格好だ。
「おはようございます。斎藤さん、お久しぶりです」
笠根さんがまず斎藤さんに話しかけた。
「お久しぶりです笠根さん、昨日はありがとうございました」
斎藤さんが丁寧にお辞儀をして言う。
「いえいえ、昨夜は顔も見せずごめんなさい。事情は聞きました?」
「ええ、先ほど喫茶店で」
「そういうわけなんですよ。斎藤さんから連絡をもらってオバケのたぐいかと思って来てみたら超ヤバイのがいてビックリ、みたいな笑。いやあお恥ずかしい限り」
そう言って頭の後ろを掻く。
「それにお話を聞く限りじゃあのオバケも相当危険な霊みたいで、迂闊に飛び込まなくて正解でした」
冗談みたいな口調が最後は真剣なものに変わった。
斎藤さんも最初は笑っていたが、笠根さんが言い終わると真剣な面持ちにかわる。
「斎藤さん、あなたの仕事はここまで。これ以上はいけない」
「はい、あの、毎度毎度自分で連絡しておいて申し訳ないんですけど、あの、お気をつけて」
「無茶はしませんよ、できませんしね。私で手に負えなかったら本山ほんざんの方にお願いすることになるでしょう」
そう言って俺をチラと見た。
「わかりました。前田さんもお元気で」
そう言って俺を見る斎藤さん。
これでお別れかと思うと少し寂しい気もする。
「はい、事態が片付いたらお礼に伺います。その時はお食事でも」
自分でも信じられないくらい簡単に軽口が出た。
こんな時に何を考えているのかと思われただろうか。
俺自身自分の軽薄さに驚いている。
大変な時だってのに、いや大変な時だからこそ、か。
恐ろしさの中で希望を求めるかのように俺は斎藤さんに好意を持ったのだろう。
斎藤さんは一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに笑顔になり「はい笑…是非」と言った。

「いやあ、やるもんですなあ最近の若い人は」
車で走り出した直後、笠根さんが言った。
「こんな状況でねえ、あんなこと言えるなんて大した根性だ。もしかして前田さんてアレですか?女たらし?」
昨日の様子とは打って変わって笠根さんは楽しそうによく話す人だった。
「違いますよ笑。自分でもビックリしました。何も考えずにスッと出ちゃったんですよね」
「ははあなるほど。わかりますよーそういうの。私も別れた奥さんと出会った時はそんな感じでしたから」
などと実に軽い調子で話しながら青梅おうめ街道を西東京方面へ走らせる。
やがて街道を外れて生活道路をしばらく進み住宅街の中へ。
到着したのは何の変哲も無い閑静な住宅街の中にポツンと立つお寺だった。
「さあ、ここからはしかめっ面していきますよ?前田さんはお客様ですけど、ウチの住職は結構堅い人なんで、ヘラヘラしてると怒られますから気をつけてくださいね」
そう言って笠根さんは黙って車を境内に乗り入れ駐車場に停めた。

本堂脇の事務所の様な部屋に通され応接セットに座る。
本堂へは渡り廊下でつながっているようだ。
それほど大きな寺ではなく事務所も普通の居間という感じ。
黒い革張りのソファの居心地の良さを楽しむほどに俺は安心できていた。
なんとなく、寺に来れば安心という考えがあったのだろう。

ほどなくして笠根さんが部屋に入ってきた。
続いて住職らしき老人が入ってくる。
俺は立ち上がって一礼する。
老人は応接セットの俺の向かい側に立ち軽く頭を下げて「住職の宮内みやうちです」と言った。
宮内住職に促されて座り自己紹介をする。
それから一連の経緯を説明しようと思ったのだが、宮内住職の方から話を始めた。
「笠根からお話は伺っております。なにやら厄介なモンに憑かれておるそうで、さぞかしお大変なことでしょう。お察しいたします」
よそ行きのアルカイックスマイルを浮かべながら淀みなく言う。
年の頃なら70手前だろうか。
禿頭に白い口髭のいかにもなお坊さんだった。
「はあ、これはどうも。どうにも私自身何が起きているのかあまり理解していないんですが、まあとにかく大変は大変でして、どうかお助けいただきたく……」
そこまで言ったところで話を遮られた。
「ここに滞在していただくのは構いません。ここにいるうちはあなたも安全でしょう。しかしこちらではそのぅ、お祓いや除霊といった類はやっておりませんで、笠根は多少心得があるようですが、原因を突き止めて問題を解決するとか、悪い霊を懲らしめて健康を回復するとか、そういったことはそれを手広くやっている寺などに任せることにしております」
泊めてやるが解決は約束しないぞということか。
言葉の端々というか宮内住職の醸し出す雰囲気に、迷惑だと思っているのが現れていた。
「構いません。安心できる場所があるというだけでもありがたいので、どうかよろしくお願いします」
迷惑だろうがなんだろうがこちとら必死だ。
宮内住職が直接的に断ってくる前に結論を出させてもらった。
「まあ数日…ぐらいだと思うんですよ」
まだ何か言いたそうにしている宮内住職に笠根さんが畳みかけるように言葉を繋ぐ。
「私が責任持ってちゃんとやりますから、ね?」
ウンンと唸って宮内住職は言葉を引っ込めた。
「ま、そういうことですから、ゆっくりしていってください」
よっこいしょと言って宮内住職は立ち上がり、部屋を出ていった。

宮内住職と入れ替わるように小太りの僧侶が入ってきた。
「おおタッキー、こちらが例の人」
タッキーと呼ばれた小太り僧侶が「ども」と言って軽く頭を下げる。
年若い僧侶で五分刈りの坊主頭に黒縁眼鏡、なんとも愛嬌のある顔に嫌みのない笑顔が好印象だ。
タッキーかよ、と思いつつ俺も会釈を返す。
「前田さん、彼は私の後輩の滝沢くん。滝沢くんだからタッキーね」
まんまじゃねーかと内心でツッコミを入れつつ「前田です」と名乗った。
「まあタッキーに関してはどうでもいいや。タッキー、伊賀野いがのさんのこと何かわかった?」
「どうでもいいは余計でしょ笑。まあ、わかりましたよ。ていうか公式ブログに書いてありましたよ『伊賀野庵いがのあん』って。住所も電話番号もちゃんとあります。まずは電話からじゃないですかね」
「おお、やるねタッキー。さすが元オタク」
「今もオタクですけどね」
というフランクすぎる僧侶達の会話を黙って見ていたら、「じゃあ前田さん、電話しましょう」と言われた。
「えっ?どこに?」
「だから伊賀野さんのお寺ですよ」
「いや…だって…亡くなってるんじゃ…」
「娘さんの方は生きてるんじゃないですかね。書き込んだのも娘さんですし、まだ電話番号も載ってるし」
「ドメインが生きてるってことは誰かがお金を払ってるってことですから」
とタッキー。
全然僧侶っぽくない。
「タッキー、そういう専門用語は使わないでいいから。ITに明るくても僧侶じゃ意味ないから」
「いやいやいや笑。ドメインぐらい常識ですから」
「君の常識をお寺に持ち込まれても困るんだよ」
なにやら僧侶漫才が始まりそうな気配がしたので口を挟む。
「わかりました。とりあえず電話してみます」
「ああ、すいません。タッキーが調子に乗りまして。電話はとりあえず私がします。お寺同士仲良くってことで」
そう言って笠根さんはスマホを取り出して電話番号を入力する。
04から始まる番号だった。
程なくして相手が電話に出た。

「ええとはじめてお電話いたします。西東京の方明寺ほうめいじというお寺の笠根と申しますが、伊賀野さんはいらっしゃいますでしょうか。ええ、ええ、はい私は僧侶です。はい、はい、ああ、お嬢様の、どうもはじめまして、ええ、ブログですね、見させていただいて、はい、誠に恐縮なのですが、その件でお話をお聞きしたくてですね、ええ、はい、そうなんです、その撮影にまつわることで、こちらで今現在対応しているところなんですが、はい、はい、いえ私ではなく、こちらにいらっしゃる方で、はい、ああ本当ですか?助かります。はい、住所ですか?ええと、よろしいでしょうか、東京都西東京市〇〇、〇〇—〇、陽明宗ようめいしゅう方明寺です。はい、はい、お待ちしております、ありがとうございます、ええ、はい、それではよろしくどうぞ、失礼します」

ほんの数分やりとりして電話を切った笠根さんは、
「すぐに来てくれるそうです、先方が到着するまで何もするなとのことです」
と言った。
なんと、電話一本でそこまで話が進むとは。
「件の霊のことだとわかった途端えらい剣幕でしたよ。若そうな女性なんですが、お母さんの仇打ちなんでしょうかねえ。とりあえず話を聞きたいそうですが、あの剣幕じゃあすぐに除霊とか言い出すかも」
タッキー、と呼びかける。
「本堂を使うかもしれないから住職の了解もらってきてくれる?それと僕らも色々準備しといた方がいいだろうね」
わかりました、と緊張の面持ちで飛び出していくタッキー。
場の空気が一変していた。
「前田さん、もしかしたらいきなりバトルかもしれません。腹ぁくくっといてくださいね」
そう言って背中をバンと叩かれた。

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やこう

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